1. 千里山の歴史
~千里山西-大正時代のニュータウン、千里山東-戦後全国に先駆けた郊外型団地の誕生~
~あこがれの郊外住宅、千里山ブランドを求めて拡大~
明治43年(1910年)の箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)の開通を契機に、また第1次大戦終結後の好景気を反映して、池田、箕面、豊中など大阪郊外で住宅開発が急激に進みました。当時豊津から千里山までは佐井寺の西の端で起伏に富んだ丘陵の竹林、雑木林や佐井寺の出作地で、また梅・桃・桜の名所で全く民家がありませんでした。
大阪商工会議所会頭の山岡順太郎が、会社などに勤める中産階級のために、社会事業としての住宅経営が急務であるとして、林知事、池上大阪市長を発起人として有志を募り、E・ハワードの田園都市を意識した大阪住宅経営株式会社を大正9年に設立して千里山住宅地の開発に着手しました。
千里山住宅開発は当時としては壮大で、郊外生活の理想郷を実現しようと英国の田園都市レッチワースをモデルに駅近くに噴水を設け、それを中心に放射状の道路を設け、それを格子状に細分する円心状の道路を設けたまちなみが形成されました。住宅開発に併せて大正10年10月千里山駅が開通しました。大阪市内の船場の商店や会社に勤める中産階級に的を絞って、和洋折衷のモダンな400戸の家が建てられました。テニスコートや社交場としての会館、整備された下水道・街路樹があり、郊外住宅の理想郷、新しき文化村といわれていました。千里山西住宅街の誕生です。
千里山駅東側は、千里小学校分教場が大正12年に関西大学教室の仮校舎から現在の土地に移ってきましたが、戦前は佐井寺村までは松林・桃畑などの長閑な田園風景が拡がっていました。千里山佐井寺図書館西舘はこの地にあった木造校舎(昭和4年建設)の面影を残すよう設計されたもので、木造校舎の部材を使った復元教室があります。(2005年大阪府都市景観建築賞受賞)
昭和31年、全国に先駆けて郊外型住宅団地「千里山団地」が完成しました。テレビ公園、電話公園、ポンプ場広場、法面の桜や植栽など花とみどりに包まれた人気の団地でした。現在は桜が大きく育ち桜の名所として有名になりました。団地完成以降、周辺にも住宅がつぎつぎ建設され千里山東地域も住宅街となりました。
また、千里ニュータウン開発に合わせて、昭和38年阪急が南千里まで延伸し、終着駅でなくなりました。またこの時期から千里山ブランドを求めて千里山は拡大し、千里山ロイヤルマンション(第1回(1981年)大阪都市景観建築賞を受賞)などが建設され、近年まで拡大が続いています。
2.千里山の今 恵まれた環境をどう維持していくか あらたな課題も
千里山西住宅街は今も誰もが住んでみたい、住み続けたい素敵なまちです。和洋折衷の戦前からの建物、おしゃれな新しい家々があります。現在風致地区に指定され、住宅街としての景観が保たれています。住民の愛着と「千里山会館」(大正13年設立の千里山社交クラブを引継ぐ)を本拠にする「千里山自治会」が大きな役割を果たしています。
景観のポイントとして下記がかみ合って、家なみを形づくっています。
・おしゃれな邸宅 ・生け垣・敷き際の植裁
・庭の樹木 ・日々の清掃活動
・坂のある風景 ・大型車両を通さない小径
・風致地区での建築規制( 絶対高さ:15m以下 建ペイ率:40%以下)
まちには次のようなシンボルがあり、まちに変化と潤いを与え、まちの魅力を高めています。
・千里山第一噴水(ロータリ、開発記念碑がある。毎年ここでクリスマスコンサート開催)
・千里山の最高地にある千里山神社(標高71.8m、駅前は38m)
・登録有形文化財の千里寺本堂(昭和天皇大嘗祭の時、御所に饗宴場として建てられた建物)
・千里山基督教会の高くそびえる尖塔と礼拝堂(設計は一粒社ヴォーリズ設計事務所池田宏)
坂道など高齢者にとって辛い一面もありますが、駅前近くに商店や開業医の多いことから安心して住めるまちでもあります。
しかし、課題も多くあります。通過交通量の増大、駐輪・駐車場の不足などの交通問題、高齢化・核家族化の中での家屋・植栽などの維持管理、敷地の細分化、建替え問題、商店街などまちの活性化などの課題があり、安心・安全なまち、住み続けたい美しいまちを目指したまちづくりが求められています。特に千里山団地の建替えと千里山駅前の再生が大きな課題になっています。
それらの課題を踏まえ次世代によりよい千里山を引継ぐために千里山まちづくり協議会は活動しています。「まちづくり作法集」もその活動のひとつです。
3.千里山まちづくり協議会前史 ~千里山のまちなみを考える会~
1990年代後半に、千里山ではマンション開発、大規模店舗開発、緑住開発など大規模な開発にかかわる事業者と地域住民との間で係争事案が多く発生しました。それらの事案を抱える住民同士が情報交換、まちづくりに関する学習のため1997年6月に「千里山のまちなみを考える会」が設立されました。2000年には千二地区公民舘連続講座「千里山のまちづくりを考える」(全6回)を開催するなど自主的な市民によるまちづくり活動がみられました。
しかし、近隣地区に大型商業施設が進出しその影響を受け、2001年末に千里山駅西の「千里山中央市場」(開設は千里山団地完成の翌年の1957年)が閉店し、2003年4月その跡地に高層マンションが建設されましたが、この時はまちなみを考える会も市民もほとんど無力でした。この時の反省から「千里山まちづくり協議会」が結成されました。
4.千里山まちづくり協議会のあゆみ
千里山まちづくり協議会は「心ふれあう 安全・安心のまち 楽しいまち 千里山を目指して」をモットーにプロジェクト活動と毎月開催する定例会(現在毎月第2土曜日夜7時から開催)を中心に活動してきました。また関西大学生や他の市民団体とも連携し、楽しいイベントを共催や後援してきました。また会報「千里山まちづくりニュース」を発行し、会員だけでなく広く地域住民にも配布し、住民一人一人が、自分が住む地域に愛着を持ち、まちづくりに参加するよう呼びかけています。
《参考文献》
1. 千里山70年のあゆみ 平成2年11月 千里山自治会
2. 和田康由「田園都市を標榜した千里山住宅開発と山岡順太郎」平成11年9月 大阪春秋96号
3. 吹田市立千里第二小学校 創立30周年記念誌 昭和34年11月
4. 同 上 創立50周年記念誌 昭和50年12月
5. 千里山まちづくりニュース 1号(2004年3月)~6号(2006年12月)千里山まちづくり協議会
6. まちづくり作法集~千里山の暮しと住まい~ 2006年6月 千里山まちづくり協議会
7. 千里山の地域活性化サイト
千里山.NET
【記 : 松岡要三】2007年3月30日「大阪景観づくり研修会」ちさと図書館での講演より