観るとはなしに、でも結局、ほとんど毎回観てしまう「篤姫」、NHK大河ドラマとしては久々の好評らしいが、ボクが気に入っているのは音楽の方だ。
タイトル・バックのテーマはピンとこないが、逆にストーリーの中で、あまり出すぎることなく情景に応じたプラス効果を発揮しているからだ。
ところが、この作曲者はメロディを作るだけで、あとはアレンジャーまかせにしているらしく、どのメロディが、どの場面で、どんなオーケストレーションされているのか“わからない”のだそうだ。
作曲者自身が納得しているのなら、それで良いともいえるが、だとすれば、その効果の、かなりの部分はアレンジャーのウデにかかってくる…つまり、作曲者の世界より、アレンジャーの世界の色が濃くなってしまうのではないか?
だが、いまだにフィルム・カメラを愛用し続け、現像液の調合まで自分でやる…という「音楽写真」の第一人者、木之下 晃さんが、“自分だけの世界を作りたければ、すべてを自分で作らなければ…”という明快な主張を、72歳の今でも崩していない…。
比較はできないかもしれないが、“自分だけの世界”を作り出すことへの「こだわり」が、どれほどのものだったのか、それとも最初から、そんなものは“要らなかった”のかどうか…?
上田力のクロストーク 8月2日