上田力 「クロス・トーク」

作・編曲家、ピアニスト:上田力とスタッフが徒然なるまま語ります。

時代遅れの < 和洋合奏 >にも成り下げかねない

2009-03-08 | diary
津軽三味線の吉田兄弟が、デビュー10周年記念とかで、ロス録音の新作「プリズム」を出したのでとりあえず聴いてみた。2003年に全米デビュー、その時、ニューヨークのCD店で自分達のアルバムを聴き、違和感を覚え ゛荒々しさは確かにこの魅力ですが世界中に発信する力を持っためには、もっと< きれいな津軽三味線 >があっても良いと思った ゛という兄弟の言葉は、二人が如何に広く深く津軽三味線を愛しているかを物語っている。

でも、これって、62年頃 ゛本当のニグロ・サンバは凄くホットで素晴らしい、だがボサノヴァは洗い清められたサンバだと思うが、私達は大切なことを失いたくない、どのようにスイング感を失わずにいるかに苦労してるんだ… ゛と語ったジョビンのメッセージと、ほとんど一致するメッセージだ。

だとすると吉田兄弟の「プリズム」は、そのような兄弟のキモチと、美しさというものが殆んど分かっていない見当違いのプロデュース、アレンジによる低迷作といわざるを得ない仕上がりだ。兄弟二人のユニークなキャラクターを全開させるどころか、時代遅れの < 和洋合奏 >にも成り下げかねない作品を平気で世に出すプロデューサーやアレンジャーには、 ゛私たちは大切なことを失いたくはない ゛というジョビンの名言を、納得のゆくまで味わい、噛みしめてみて欲しい…。

゛クラシックな表現 ゛

2009-03-02 | diary
゛私がこの曲を指揮すると、他の指揮者よりクラシックな表現になっているかもしれません。センチメンタルになりすぎたり、大ゲサすぎる抑揚はつけないようにしているのかもしれません~チャイコフスキーの音楽が、とてもクラシックなものだと考えているからです。 ゛

語るのは、1940年レニングラード生まれ、モスクワ音楽院出身のドミートリ・キタエンコ、N響1月の定期に12年ぶりの来日、「悲愴」を振るに先だってのコメントで先々週の「N響アワー」でのこと。

N響の「悲愴」とくれば、先ず故岩城宏之が涙と汗まみれで、情感タップリに振った名演奏を思い出してしまうのだが、キタエンコの指揮ぶりは、ちょっと違っていた。先ず各パートをバランス良く響かせて曲の構造がクッキリ浮かび出てくるのを目指していたようで、その点は、N響も、これだけハッキリとメリハリの利いた音を出せるようになったかという好印象を受けたのだが、反面、<涙にぬれた顔に薄陽がさし、涙の中から寂しい笑顔を取り戻す>といった岩城宏之指揮の絶妙な情感は全く感じられなかった。

これがキタエンコが説く ゛クラシックな表現 ゛だとすると、若い指揮者や奏者、譜面通り正確でミスの無い無表情な演奏を最優先させている日本の現状を連想しちゃうのだけれど、巨匠といわれるキタエンコには、まさかそんなことはないよね…?