上田力 「クロス・トーク」

作・編曲家、ピアニスト:上田力とスタッフが徒然なるまま語ります。

またチック・コリアが来るんですネ

2009-02-25 | diary
「Jobim My Love」を12年も続けてきた今だから語れるのは、86年の春先き、「ラティーナ」誌からジョビン初来日の知らせが入り、だから一筆をという依頼に、ハタと困ってしまった…

今頃になってジョビンは何をしにくるのか?という思いが自分の中で抑えにくいレベルになっていたことだ。ジョビンはかつて ゛私には作曲しか出来ないのに、日本から来るのは演奏家としてのコンサートの誘いばかり、作曲家としてなら直ぐにでも行くのに… ゛と語っていたそうだから、初来日実現のために日本側から、どんな<誘い>をかけたのかについては、ちょっと興味があったのだが、79年頃から始まった日本のブラジル音楽ブームも、この頃には一応鎮まり<フツウ>になっていたし、そんな中でのジョビンは、ボクにとって特別な<興味の対象>ではなかったから、つい ゛何しにくるの? ゛なんて思ってしまったのだろう。

もちろん、日比谷野音での、あの<トコトンゆるめ>のライヴに接して、それがどんなに見当外れの認識だったかを思い知らされたんだが、つい最近耳にしたのは、ある管楽器専門店で若い店員が ゛またチック・コリアが来るんですネ ゛と云ったら、古参のオジサンから ゛何しに来るの? ゛との反応があったという実話…これを<笑いばなし>のサカナにするのは自由だけれど、もし万一、そのオジサンがチックを知りつくしているからこその<おとぼけ>だったとすると…!。

麻生太郎っていうヒト

2009-02-14 | diary
今週月曜の午前中、衆議院予算委員会集中審議のTV中継で、公明党、赤羽一喜議員の質問に対する麻生首相の答弁に ゛(アメリカ)のオバマっていうヒトが… ゛という奇妙なフレーズが飛び出した。

オバマが既に大統領に就任し、圧倒的な支持を受け、山積みする難問にバリバリ立ち向かっているのは、今や小学生でも分かっていること…にもかかわらず ゛…というヒトが ゛などと他人事のような空々しい物言いをするのは、よほどの世間知らずか、手のつけようもないバカなのか!!

たとえば、自分が ゛上田 力っていうヒトが ゛なんて云われたとしても、まァテメエの知名度不足再認識くらいで済んでしまうし、麻生にしても、自民党からでさえモノ笑いのネタにされている ゛失言 ゛や ゛誤読 ゛の程度なら、゛またかョ ゛にもならないだろう。だがこの場合は、ちょっとレベルが違う。

オバマ大統領の抜群の支持率に比べて ゛手も足も出ない ゛ことによるコンプレックスからなのか、それともヒョっとしたら、アメリカ史上初の黒人大統領出現に対して、計らずもではなく、やはり出るべくしてポロリとこぼれ出てしまった< 潜在的黒人差別意識 >のカケラということではなかったのか?

だとすれば、小泉元首相からも ゛笑っちゃうくらい~呆れている ゛とまでコキ下された ゛麻生太郎っていうヒト… ゛、まさに世紀末的期限切れだよネ!!

<考え方>のChangeを期待

2009-02-08 | diary
< 紅白 >同様、 ゛NHK的何でも有りのゴッタ煮 ゛だが、それが逆にヤジ馬的興味をそそり、毎回観てしまう< 歌謡コンサート >。今週は< 冬景色特集 >とかで、中田喜直の『雪の降る町で』を秋川雅史が、アダモの『雪が降る』を石川さゆりが続けて歌った。

曲調が違うので単純な比較は出来ないが、ハッキリ感じたのは、秋川は、いつもの調子で ゛声にまかせて ゛歌っていたが、石川の方は、あくまでも<情感>を大切にする歌い方だったこと…この違いは<歌>として<音楽>としてのインパクトを大きく左右するもので、その点で、やはり秋川の『雪の降る町で』の方に<喝ッ>を入れたくなる。

というのも、かって ゛ショパン、へ短調ファンタジー ゛のパクリでは?というクラシック・ファンからの声もあがったほど、この曲は、クラシックの格調とポップ・ソングの叙情とが巧みにブレンドされており、その表現には ゛それぞれの ゛からの<表情>が欠かせないからで、秋川の ゛ただ、出せる声を出せば良い ゛的な<無表情さ>では、この曲の ゛こまやかな情景 ゛は、とても表現しきれるものじゃないからだ。

声量のコントロールが効かないのか、それとも見当違いの ゛余計な何か ゛がそうさせているのか、いずれにせよ、 ゛ただ声が大きいだけのデクの坊 ゛に成り下がってしまわないためにも、秋川には ゛じっくり ゛と思いきった<考え方>のChangeを期待しておこう!

<悪慣習的云いまわし>の ゛無神経さ ゛

2009-02-01 | diary
かなり前から、企業、病院、学校などでの不祥事のあと、関係責任者たちが、どれも同じように頭を下げて詫びる姿が、ウンザリするほどTV画面に登場している。つい最近も、三重県の某高校での盗難事件(あとで盗難ではなかったことが判明するのだが)で、担任の57才の教諭が ゛警察に届ける ゛という趣旨で、同学級の生徒27人全員の指紋を採る…というバカげた問題を起こし、またしても校長の詫びる姿がTVで放映された。

だが、この校長も、過去の多くの悪例同様 ゛…お詫びしたいと思います ゛という言いまわしで済ませている。かねがね不思議に思い、ハラに据えかねているのは、こんな場合、なぜ ゛…したいと思います ゛ではなく、ストレートに ゛お詫びします ゛と云わない(云えない)のか…ということだ。

゛思います ゛という均一的な言葉が入るために ゛詫びるキモチ ゛が(本当にあるとしても)何倍かに薄められてしまう。文法的にどうのこうのではなく、ハッキリ ゛伝える゛という意味で、この<悪慣習的云いまわし>の ゛無神経さ ゛を、このまま放っておいて良いものか!呆れるより前に ゛オレは怒ってるぞ ゛なのである。

でも、ヒョっとして、我がアレンジにも知らぬ間に悪慣習的ヴィールスが侵入しているかも?ならば、ここだけは気を鎮めて、素直に<聴く耳>を研ぎ澄まさなくちゃネ…。