Chan-de-lier(シャンデリア)のギタリストのBlog

リスクベースドアプローチ

2024年02月03日 10時02分00秒 | 日記
リスクベースドアプローチを積極的に取り入れるうえで、

リスクベースドアプローチと怠慢の違いが分からない人がわりと多いのではないかという印象がある。




というよりGMPは規制が多いからこれをクリアしていかないと
儲けは出せない仕組みが昨今はより強い。




まぁそれも会社のポリシーになるのだけれども。



患者にリスクあるかどうかで考えた際に、

ある程度のリスクは許容されるものである可能性の方が高い。後で根拠を述べる。




そして、もう少し踏み込んでいくと、


リスクと倫理を全うする考えを併せて見た時に
リスクはないが倫理的にどうなのだ?というところについては

人それぞれだ、という印象である。








まぁ、例えば誰も見ていないけれど、

ゴミを拾うだとか


結果は変わらないけれど、道理としてそのようなやり方が望ましい

とか

リスクはないけどこうした方がいい

とか





これはいわゆる倫理なのである。と考える。



患者にリスクはないようなことも

倫理として行うべきか。


そういう話である。




こういった多くの道理だとかについては、やっておいた方が当局に良い印象を与える、説明が簡単だ。であったりするからだ。

と、こんな話をしたら

僕があらゆる無駄なことはやめるべきだ。と主張しているように思うだろう。


だがそれは語弊がある。





僕は無駄であってもその会社として倫理として

良い印象を与える活動は必要だと思っている。

それは何故だろうか↓



ようは例えば味が同じように美味しいレストランがふたつあり

片方は店員の態度が悪いとする。

どちらの評価が高いか



そういう話である。




要は、何か不安をもたらしたり疑われるような活動は

例えリスクがなくても避けるべきである。


そういう話なのである。



では具体的にどうするのか。

その姿で良いのか!スタイルで良いのか!リスクがなければ何でもありなのか!?これをしっかり話し合っていくこと。

そして、リスク管理については怠慢ととられない活動として、

そのリスクがないことの意思決定をしっかり記録しておくことである。


他者からの疑いとは、

例えば回答が、分かりません。

といった他者を不満にさせるようなものから生まれるのだ。



ならば、我々は意思を持ってリスクがないからやっていないのだ。


こう主張できれば

倫理のない会社とは見なされない。


それが合理的であれば尚更だ。



怠慢というのは

そもそもそのようなリスクを何も議論しないまま、やらないことを言うのである。



いろんな人を混えて議論した結果、導き出した結論を

記録に残しておけば、それは怠慢ではないのだ。




そんな話を今後はしていかなければ

いけないだろう。


コンプライアンスを徹底するだけではない。