表題の件について、
最近、無料配信されている物語シリーズよりあった表現である。
多少今から言うことはネタバレになるだろうから容赦してほしい。(あらすじを語るぐらいならネタバレとは言わないのかもしれないが)
ネタバレとは推理ものとか、そういった謎があるときに結末を知ると面白くないレベルによって変わるのだろう。
まぁそれはさておき、
物語シリーズ🐈というのが今Abemaで無料配信されているのだけれど、いまのうちに見たほうがいい。
というか、自分もにわかなんだけど。
ちょっと軽く触れておくと、今のご時世でやたら言われている女の子の性的描写は多いと思う。ただそんなのが気になる人はそもそも漫画やアニメや、そもそもドラマや映画なんかも見なければいいのだ。
全部蓋をして、見たくないものは見ないように閉じこもればいいのだ。
ちょっと言い過ぎたけど、そんな話は別の機会にするとして、本題に入ろう。
無意識に無感情に倫理を全うできる
とはどういうことか。
それはまぁ、例えば困っている人を助ける。これについて人はどのような感情を抱くのだろう。
可哀想だから?困っていて見てられないから?自分がそうだったら辛いから。
こんな感じだろう。つまり何らかの感情が働くのである。というか人助けというのはキリがなくて深い。
大してメリットがなければ別にやらなくてもいい。
その程度なのだ。それでいい。それが人間だ。
しかし本作の登場人物は
相手を可哀想だとか、そのような感情は一切なくとも、当たり前かのようにそれをやってのけるのである。
いつも正しくあるのである。
それはつまり、その人の個性とでもいうべきか。
その人は、そういう人なのである。
ところが、それは実はとても不器用なことでもあるのだ。
無意識、無感情であることから、
特に理由がないのだ。
あなただから、とか、そういったものがなくても自然とやってのけるのである。
本作ではそういったところに生きづらさを感じてストレスとなって自分に襲いかかっている部分が含まれている。
感じ方は人それぞれだが、
常に正しくあり続ける人に嫌悪感を抱く人は多いだろう。
何故なら、そんなことは多くの人は、いろいろな負の感情に左右されて、できないのだ。間違ったり、できなかったりして後悔して生きているのだ。
だからそんな完璧な人物が身の回りにいたら、驚いてしまうだろう。
そんなキャラクターを持つ人物は正しくあり続けるためにプレッシャーや生きづらさをふと感じる。そう。そういった、やはり人間なんて完璧じゃないのだ。
そういう話なのだ。
さて、最後に僕の考えで終わろう。
倫理を全うするというのは人が本来目指すべき姿であって、それをやってのける人は正直、偽善者とも違うし、人々にとって憧れるものであることに対して
そんな聖母マリアのような人がいるか!と考える人もいることだろう。
基本的には後者のような考えがあって、人は悪いこと、良くないことの正当化に使ってしまう生き物だと思う。
おそらくこれは人間の邪悪さの部分だろう。完璧な人などいない。
ただ僕が言いたいのは
仮に無条件に無意識に倫理を全うできる人がいたら、それは例えば今の世の中に必要なものだと思う。
見渡せば、不祥事がたくさん出てくるこの世の中で
倫理というものについて
深く考えてみてはどうだろうか。
そんなことを思った。
書きたかった。
そういう完璧に近いような人がいないから社会は不正をする、悪事を働く。
これが真理であり、現実なのだ。
以上