徳島を拠点に活動するヴィジュアル系バント Chan-de-lier(シャンデリア)のギタリストのBlog

再会と最期

2016年03月05日 21時23分18秒 | 日記
たまに僕はブログに亡くなった友人のことを書くのだけれど




なかなか受け入れられない現実を今も続けているよ。






数年前

あるお店で

バッタリと会ったあいつは相変わらずの顔だった。





また今度遊ぼう(#ω#)



そんなことも思ったな。








ほんの数日後。

母から知らせが

彼は特徴的な苗字で

県内じゃ他に3人といなくて




名前を聞いてすぐにわかった。




バイク事故だった。。。







そして

え?事故って大丈夫…なの??






尋ねると


首を横に振る母親。






まさか。。。






それからあっと言う間に

全て終わっていた。

何回忌の墓参りも。




気付いたら



もう、受け入れているような

わざと避けているような

奇妙な感覚なのである。





人は

自分の中に生き続ける

みたいなセリフを

映画やドラマで聴くことだろう。






しかしそんな穏やかなものではない。



奇妙。



それが正しいのである。







夢に友人が出て来ることもあった。


遊ぶ約束をした。





目覚めに

彼のことを考える。




家に行こうかと。



いや、いないのだ。。。
そうだ。いないのだ。





こんな感覚なのである。





毎日囚われることはなくとも

永遠に奇妙なままの感覚なのである。








しかし

友人とはいえ


どこまでの友人だ?



という話だが

僕は正直、高校時代を彼と

ずっと過ごして来たのである。






つまり彼がいないことは





当時の僕が消えたような感覚でもあり。



僕は文字通り

当時のことが曖昧になって行くのである。





バンドを始めたことも鮮明に覚えているのにだ。






あの日常にいた僕達は

幻であったかのようにだ。







と、

ふと思い出すのである。




当時の僕を1番知っている友人を亡くす気持ちは同じ境遇に立つ人でなければ知り得ることのないことだ。





そして




彼が亡くなる前の再会は


奇跡であり






あれがなければ風は変わっていたのかもしれないな。






何かに悩んでいたのかもしれない。




だから手元が狂ったのかもしれない。






そんなことも

今となっては

永遠に分かり得ないことなのだ。








こんなことを書くのも

格好を付けたい訳じゃなくて




書くことで

忘れないように


安らぐように



自分自身の為でもある。






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君が居てくれた街並みに

本当の僕は

穏やかに眠っている

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