Step forward one step!(夢の実現へ)

新たな「夢の更新&実現」への一歩を踏み出す息子!

良かったのか?悪かったのか?(後日談;その13)

2019-08-15 |  _(後日談)

8-14の夕空

 

 久しぶりに姉の家を訪ねました
 母が亡くなって久しい・・
 末っ娘(私)の 一人息子の成長を
 身近に感じてくれる人として
 姉の存在は有難いものです

 老いた母に代わって
 息子の沐浴の世話などをしてくれて
 赤ちゃんのころから
 息子の成長の折々を
 とてもよく記憶してくれています

 そして、
 この度の就職内定を
 亡き母に代わって
 心から喜んでくれています

 義兄(姉の夫)とともに
 異口同音に褒めてくれたこと、
 それは!
  幼少期から大好きだった航空の分野に
  公言通り、念願を叶えられたこと
  それは
  なかなか簡単なことではない
 ・・・と

 まだまだ「内定」したというだけで
 実際には来春から! の現実ではあるのですが、
 そこに至る(達成)までの
 息子の軌跡=成長過程への評価を
 さまざまな近親者から受けるたびに
 親子して
 夢の実現のために歩んできた歳月を
 あらためて 誇りに感じたりしました
 

 そして、
 姉夫婦の孫たちの話題にもなり、
 これから 中高へ進学するときの
 親としての指針といったような話題になったときに
 息子の就活からの新鮮な学びを伝えることもできました

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 振り返れば、
 ある日突然の変異や奇跡というものではなく、
 漠然としているようでいて
 息子の今日(現在)に到達できることを願う中で
 一貫した方針というもの=意思疎通はあった、
 そう 思うのです。。
 
 
 それは、
 幼いころから
 取捨選択は自己責任でさせてきたこと でしょうか。。
 別な言い方をすれば、
 提供はするけれど 押しつけはしない!

  提案(=親の思うところ)する理由をわかるように伝え、
  受け入れるか否かは 本人の意思に任せ、
  しかし、
  どんなに幼い頃でも、
  自分がそうしたい理由に対しての責任=約束
  という自覚を持てるように
  小さな事柄での「有言実行」という意識に対してだけ
  ある意味厳しく、
  繰り返し言い伝えてきたかもしれません
 
「できない」という現象の背景にある事情or理由
 そういったことについても
 表面的な解釈をしないで
 子供の「できない」理由を
 子供自身に自覚できるように話し合って
 最終的には
 嫌いだからできない&やりたくない という
 一見わがままな理由でも了承して
 「ならば! 他に何がしたいか? 何ならできるか?」
 といった風に
 自分自身で対案を出させる!

 その代わり!
 自分が取捨選択で 選んだのだから
 そのことは守ろうね! といった具合

 こんな感じでしたから
 周囲の同年の皆が
 同じ方向性の考えでやっている物事でも
 当人が「やりたくない」とか「嫌い」とか主張しても
 親のバランスシートで無理強いをしたことは無く、
 「やらなくていいよ~」
 「その代わりに 自分が選んだ物事だけは
   結果が出るまではやろうね!」
 
 
 結局のところ、
 何か一つは選ばざるを得ないという縛りの中での
 「自由選択」というトリックでもあったかもしれませんが
 
 要は、
 四つあった場合、
 どれも好きではないものが四つだったとしても
 必ず一つは選ばなければならない
・・そんな感じの罰ゲームのような選択だとしても
 そこで
 取捨選択=比較対照して自分で決める
 ということを繰り返し、
 選んだものとの関わり方=好きになる努力とかその他
 一定の期間は継続する責任と自覚
 そんなことろには厳しかったかもしれません


 果たして
 それが良かったのか?悪かったのか?

 けれども、
 現在の息子は幸い、
 その経緯によって培われた資質というものは
 備わっているような気がします

 仮に
 最悪の選択・・・だったとしても
 その時の自分は納得して選んでいること や
 想定外の状況からの好転術などなど
 ポジティブに受け入れる心強さは備わったような気がします


 私が子育ての方針・・と言えるようなものは
 他には特にはなく、
 常に当人が望む物事に対する意思確認をして
 それを支持してきただけでした

 まぁ、
 その原点と言えることは 無きにしも非ずですが・・ね 
 

 

 



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