今日も庭びより

宿根草がメインの庭に咲く花や趣味の絵の事など

私の記憶

2021-03-11 23:27:10 | 

今朝は久々に寒い朝でした。

 

庭木の枝切をしていたら、お寺の鐘が鳴っていました。

あ・・・2時46分

 

あの地震から今日で10年。

私が覚えていること、

そして、感じたことを書いてみたいと思います。

 

あの地震で、県内の色々な所で震度六強。

私の県でも津波で亡くなった人が24人( ;∀;)

忘れられた被災地ともいわれています。

あの日、揺れた範囲がとんでもなく広範囲で。。。

勿論、東北との境にある私のところも、かなりの揺れでした。

音立てて家が揺れ、崩れ落ちるのかと思うほどでした。

あの時絵を描いていた私は、

余りの揺れと、「だめだ! 外に出るぞ!」との言葉に、

ペインティングナイフと携帯を握って外に飛び出したのでした。

スリッパのままだったのか、覚えていないのですが。

 

それでも収まらない激しい揺れ・・・

家の内外でなにかが落ちる音、網戸も外れて落ちました。

揺れ続けて、何分経ったのでしょうか。

揺れが小康状態になったとき、

離れて住む息子達の安否と自分たちの無事をつたえたくて、

携帯のリダイヤルを押し続けました。

やっと長男の携帯につながり、互いの無事を確認して、

次男にはたまたま、災害伝言ダイヤルの使い方を練習してあったので

取りあえず伝言を入れておいたのでした。

揺れが落ち着いた時、きょうだい達の無事を確認。

 

其の後も怖くて家には入れず、車をすぐ近くの広い駐車場に入れ、

揺れがおさまるのを待ちながら、車の中にいました。

その時にカーナビのテレビで見た、仙台空港の津波の画像・・・

忘れられません。

其の後は少ないガソリンが心配で、テレビは見られませんでした。

 

揺れの合間を縫って、ブレーカーを落とし布団を持ち出し、

車に布団を敷いてその晩は、野宿。

当時の車も、後ろの席を倒すと二人が平らに寝られるスペースがとれる車でした。

(いまの車も、二人が寝られるスペースがとれること…が選択のポイントでした)

 

たっぷり持ち込んだ蒲団のお陰で、寒くはありませんでしたが、

時折襲ってくる激しい揺れに、まんじりともせずに朝を迎えました。

(お相撲さんが、前後で揺さぶっているような感じの揺れでした)

同じ駐車場で一緒に夜を明かしたお隣さん、パンを頂いたり、

お世話になりましたし、心強かったです。

 

次の日、電池を手に入れてお昼ごろに家に戻りましたが、火の気もなく寒かったです。

 

停電が続き、情報はちいさな携帯ラジオのみ・・・

情報の映像が無いのがつらかったです。

日本が一体どう言う事になっているのか・・・

 

其の後、近くに住む兄が石油ストーブを貸してくれて、ほっと一息つきました。

ストーブの上で作ったみそ汁が、本当に美味しかったことを思い出します。

ご飯は、アウトドア用のコンロで炊く事が出来、

勿論お隣りさんにもお裾分けできました。

其の後も激しい余震が続き、相変わらず停電が続いていました。

 

4日間続いた停電が解消されたとき、

真っ先に見たテレビに映像のすさまじさに、声も有りませんでした。

 

その間に、原発の爆発もありました。

停電で情報が分からなかったので、

次男から、家を出るなとの携帯での連絡にあわてました。

長男は、私達を自分の所に避難させようと思い、私の車の置き場所を確保しなければと、

会社の駐車場をお借りすることになっていたと・・・後から聞きました。m(__)m

幸い、私の町に避難命令が出ることはありませんでしたが・・・。

 

記憶が、たくさんたくさんあって書ききれません。( ;∀;)

 

其の後、半年ほどたった時、次男の、

「日本人として、この目で見ておかなければ。。。」

との言葉に、東北道を北上したのですが・・・

余りのトラックの多さに、邪魔になるのではと申し訳なく感じ・・・( ;∀;)

途中であきらめて、戻ったのでした。

 

1年少し経ったとき、次男と3人、再び東北道を北上しました。

今度は以前ほどにはトラックも多くはなく、松島に行く丁字路に出ることができました。

勿論観光が目的ではないので、右に曲がって閖上(ゆりあげ)へ。

余計な言葉はいりませんね。

震災から一年と二か月後の閖上です。

 

私の後ろには、ガソリンスタンド、

屋根の上にたくさんの瓦礫が乗っていました。

左側の向こうには小さく学校らしき建物がありました。

所々、ポツンポツンと残っている家があって、胸が痛みました。

勿論、二階まで被害を受けていました。

この家のどなたもいなくなってしまったのかと・・・

 

家の基礎が、沢山沢山・・・延々と続いていて・・・

確かにここにあった暮らしが、見えたような気がしました。

3人とも、言葉が出ませんでした。

 

沼に突き刺さるように埋まっていた乗用車・・・

道路のわきに残されていた漁船・・・

海岸べりの松林・・・

ポツンと一軒だけ残った家に住んでいるらしき人の姿・・・

 

私の行った閖上は、本当にどこまで行っても平らで・・・

津波から逃げると言っても、どこへ逃げたらいいのか・・・

皆さん呆然とされたのではないのでしょうか( ;∀;)

お年寄りはなおさらだったでしょうね。

 

以上、私の見た閖上の記憶です。

(本当はもっとあるのですが・・・)

 

私のブログ、ジャンルはガーデニングですが・・・

今日はごめんなさいm(__)m

庭の事、次回にしようと思います。

 

今日も来てくださって有難うございましたm(__)m