Casa de Celia

iHasta la victoria siempre!

思ひ出【タワリシチの巻】

2004-11-17 | Monologo(独り言)

 88年、初めて国外に出た。行き先はソ連。
 これは結構、自慢できる。
 何せ、かの国はもう、地図の上から消えてしまったのだから。
 行きたくても、もう誰も行けないのだから。

 近所の写真屋がキレイに修正を加えてくれたパスポート写真がアダになった。鉄のカーテンと言われた当時のソ連である。入国審査官は、軍服を着た、多分ホンモノの軍人さん。長い時間、写真と交互に、私を睨みつけた。
 ようこそ、めんそーれ!なんて雰囲気はおよそゼロ。
 
 私の訪ソは、モスクワでレーガン・ゴルバチョフ会談が行われた時と重なる。まさに、「そのとき歴史が動いた」のだった。
 しかし、当時の私には、「おかげで、モスクワのホテルが1泊しか取れなかったじゃないか!」という個人的な遺恨しかない。
 世界中のマスコミがモスクワに結集したため、外国人観光客用のホテルはすべて満室。ソ連に顔が利く知人に頼んで、現地の労働組合が所有するホテルを「外国人用じゃないからね。覚悟して行きなさいよ」との不吉なセリフとともに、何とか1泊だけとることができた。
 「風呂の栓がないと思うから、ゴルフボールを持ってゆくといい」と言われたが、栓はあったし、悪くない印象が残っている。
 
 モスクワでは、通訳も手配できなかった。
 こっちの方は、コムソモール(ソ連共産党青年学校)の日本人留学生に案内してもらえるよう計らってもらった。
 ソ連に、しかもコムソモールに留学している日本人がいるなんて、そのとき初めて知った。
 モスクワのシェレメチェボ国際空港に、日本人留学生2人と、日本人留学生専任講師兼通訳のバロージャ氏の3人が迎えに来てくれた。
 日本人留学生専任講師兼通訳がいることも初めて知った。
 「こっちきてまだ半年じゃけー、言葉がようわからんのよ」と広島訛りのにいちゃん、もう1人はやけに印象の薄い青年。両方とも私と同じ年頃だ。
 バロージャ氏は、ロシア革命写真集に出てくるような風貌の、口髭のある、まさにロシア人だった(当たり前だ)。用意した花束を私に手渡し、「明日は、未来の社会主義国日本の要人をご案内するため、彼ら2人は休校にしました」という。冗談にしても気の早いことを。その前に、ソ連崩壊を見ることになろうとは、皮肉なものだ。

 翌日は留学生2人に案内してもらって、モスクワ観光に出掛けた。
 赤の広場、ワシリー寺院などは、写真のとおり。レーニンの剥製が安置されているレーニン廟の周りは長蛇の列で、時間がもったいないから入らなかった。剥製なんか見てもしょうがないし、人の死体で剥製をつくるなんて悪趣味だと思う。鳥や獣じゃないんだからさ。

 私が「どうしても捜し出して、絶対に行きたい!」と思っていたのは、オストロフスキー記念館だ。
 住所を知っていたため、捜し出すまでもなくあっさり見つかったが、その地味な記念館の存在はソ連在住の彼らも知らなかった。
 記念館のおばさんに、「ここに来た初めての日本人だ」と言われた。
 オストロフスキー。この、おそらく誰も知らない人物は、少年の頃、ロシア革命に参加し、反革命との戦いのなかで視力を失い、一時は絶望するも、のちに銃をペンに持ち替えて革命を支えるために前進し続けた人。
 その半生を「鋼鉄はいかにして鍛えられたか」という本に著し、主人公「コルチャーギン」の名前は、困難に打ち勝つ人の代名詞として「コルチャーギンのような人」「君ってコルチャーギンぽいね」など日常的に使われているという。もっともソ連邦崩壊以降のことは知らないが・・・。
 オストロフスキー記念館には、盲人となった彼が使ったタイプライターや、その後寝たきりとなった彼のベッドなどが保存してあり、別のフロアには、「困難に負けなかった人々」コーナーがあった。その中に、対独戦争のレジスタンスで、ドイツ軍に捕まって絞首刑に処された姉弟「ゾーヤとシューラ」の写真が展示されていた。小さな子ども二体が吊るされた痛ましい写真だ。ちなみに、映画「スターリングラード」で、ソ連軍に内通した子どもがドイツ軍に絞首刑にされる場面が出てくるが、あの構図は間違いなくゾーヤとシューラの、この写真をもとに作られたと思われる。
 「困難に負けなかった人々」コーナーには、広島の原爆(キノコ雲)の写真も展示してあった。説明係のおばさんが、初めて訪れた日本人(ヤポーン)にエラク興奮して「ヒロシマ!ヒロシマ!BooooM!」と身振り手振りで説明してくれた。
 ・・・そりゃ、ま、見りゃわかるって・・・。
 言葉は通じないが、来てくれてアリガトウ!本当にウレシイ!という派手なアクションで、彼女がオストロフスキーを心から尊敬していることがよくわかった。

 ・・・あの記念館は、今もあるだろうか。
 ・・・あのおばさん、ちゃんと年金貰って暮らしてるだろうか。

 街に出ると、公衆電話の前で「タワリシチ」と呼び掛ける人がいる。
 居合わせた通行人がサイフを開いて何枚か小銭を渡す。
 物乞いではない。「同志、小銭がなくて電話出来ないんだ。誰か小銭くれよ」ということだそうだ。持っている人は、それを必要としている人にあげる。珍しくも何ともない。これがソ連流なんだと。
 
 ・・・かの国に、タワリシチはまだいるだろうか。
 
 別れた恋人の安否を気にかけるようなセンチメンタルな思いに似て、ロシアと名を変えたかの国を、今も想う。
 
 続く・・・(かもしれない)
※)タワリシチ=ロシア語で「同志」


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