Casa de Celia

iHasta la victoria siempre!

「出口のない海」を観た

2006-09-16 | Pelicula(えいが)

 昨日、抽選に当たって「出口のない海」先行上映会に出かけた。折しもセリーグは頂上対決★中日VS阪神の第一戦!先発予定が大好きな川上憲伸!そちらも非常に気になったけど、せっかく当たったんだし、もったいないし・・・という、かなり後ろ向きな気分で観に行ったわけです。

 憲伸、今頃がんばってるかな~と思っているうちに映画が始まった。
 おっ主人公の並木くん(市川海老蔵)は明治大学のエースなんだ!並木くんが川上憲伸にダブって、思わず感情移入。憲伸を魚雷に乗せて自爆させるなんて・・・!
 そんなの、やだー!信じられないー!
 
 さて、映画の方だけど、脚本が「寅さん」の監督の山田洋次さんだから、特攻神話みたいな描き方にはならないだろうと思っていたし、実際、動機づけや、死への恐怖とか、かなりリアルに描かれていただろうと思う。それでも、あの時代の人たちの考え方って、今の自分とあまりにもかけ離れているから、どうしても神話のように感じてしまう。

 作中、並木くんの「資源や領土を広げることがそんなに大事なのか」という言葉に同感だし、すごく納得できる。でも、それならどうして志願なんかしたんだろう。
 「愛する人を守れると信じて」?公式サイトのオープニングにはそう書いてあるけど、作中の並木くんたちはインテリなので、「日本は負ける」とわかっていた。自分の命を捨てて、あわよくば一つ二つ敵艦を沈めたって、守れないってわかっていたはず。それじゃ、なぜ?
 それが、見終わってから、しばらく疑問として残った。

 キーになる場面は幾つかあったように思う。
 作中、両親に対しても、彼は志願兵となる動機をはっきり語っていないが、「赤紙が来たわけではないのに」という母親に対して、「来てから行くより志願して行く方がいい」。
 なぜ、回天に乗るのか。こう問われて、彼は答える。「こういうものがあったということを後の人に知ってもらうためだ。こう言って自分を納得させてるだけかもしれないけど」。
 そして、回天に志願しなかった野球部の仲間の、彼より早い死。乗っていた輸送船が撃沈されて。

 ・・・私が思うに、彼らは、どうしたって死ぬしかなかったんだろう。
 生き方が選べないのと同じく、死に方だって選べなかった。
 早いか遅いか、英雄的な死か不名誉な死か。選べるのは、それだけ。
 そういう時代だった、というか、日本は当時、そういう国だったんだ。
 どんなに打ち込んでいるものがあっても、どんなに大事な人がいても、残して逝くしかない。
 ああ、だから、出口のない海なのか・・・。
 こんなことを考えさせられた映画だった。
    
 去年みた「男たちのYAMATO」と、なにげに比較してしまうのだが、宣伝、キャスティング、ストーリーの盛り上げ方などなど、「出口のない海」はかなり地味め。
 YAMATOの場合、中心人物の恋人がなぜか2人とも広島に移動するとか、あちこちで無用の盛り上げを図っているようなところがあったが、「出口のない海」にはそれがない。
 下手な盛り上げがないので、感動・感涙という感じじゃない。でも、好感が持てるし、いろいろ考えさせられた分、「男たちのYAMATO」より、ずっと心に残る気がする。


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4 コメント

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Unknown (死ぬのはやつらだ)
2006-09-23 03:46:27
北国から脱出されていたんですね。



俺もこの映画を観ようと思っていたのですが、山田洋次ってのがかなりの敷居かと。



それでも観てみようか。



特攻で死んでいった若者の書いたものを、過去、自身の無礼ログにて紹介しましたが、少なくとも、「拒否できない空気」ってのがあったのだと思いますよ。



いまだって、職場のラジオ体操や、社員旅行や、嫌な同僚の結婚式、サービス残業などなど……。我々は、そんな些細なことでさえ拒否できていないわけです。



特攻を拒否しなかった彼らを「犬死に」などと決め付けていた戦後生まれの俺たちは、ほんとうに「バカ」だと思うのです。
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Unknown (Celia)
2006-09-23 21:36:53
死ぬのはやつらだ様

 拒否できないからこそ、いろいろな理由をつけたのでだろうと思います。自分の死を少しでも意味のあるものにしようと。そのため「並木君」は言うことに一貫性がないのですが、それは作品の「不出来さ」ではなく主張するところだったのではないかと思います。

 でも敢えて言ってしまいますが私はやっぱり犬死にだと思います。命の重みを顧みられることなく消耗品のように殺されたのですから。そんな風に扱われてたまるか、という思いを込めて、彼らのような犬死にはしたくない、と言いたいと思っています。そんな私は、「無礼ログ」より無礼かしら
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それでも (死ぬのはやつらだ)
2006-09-25 18:04:34
「犬死に」は使わない方が良いでしょう。

貴女の気持ちは十分わかりますが、靖国神社に心を奪われている遺族に、「9条」を守る意味を理解してもらうためにも……。



彼らの犠牲があって、我々は誇りある憲法9条を獲得できたのですから。
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Unknown (Celia)
2006-09-26 01:09:04
 死ぬのは様



 理屈ではなく、心を大切にする、というスタンスで、犬死には避けるべき言葉かもしれませんね。



 若い頃、労働組合が身近な存在としてありました。

 この中で労災・職業病による死(自殺も含む)について語るとき「○○の死を無駄にするな」と言った者です。

 犬死にか尊い死か、続く者に課題として委ねられているのだとも思います。

 再び命を軽んじられるような社会にしてしまったら、彼らの死は無駄になる、ということを忘れないようにしたいと思います。
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