年明けから、創真は再び翼の後継者教育に同席することになった。
逆に東條が同席することはなくなった。西園寺家と東條家が話し合いをしたときにそう決まったらしい。双方の両親の感情を思えば致し方ないのかもしれない。きっと補佐役になることも許されないのだろう。
創真にとってそれは願ったり叶ったりの結果ではあるのだが、さすがに素直に喜ぶことはできなかった。こんなかたちで終わることを望んでいたわけではない。翼に自分を選んでほしかっただけなのだから。
「創真……その、頼みがあるんだが」
西園寺家での勉強を終えて帰り支度をしていると、翼が声をかけてきた。めずらしく遠慮がちな物言いで。振り向くと表情にもためらいのようなものが見てとれた。
「どうしたんだ?」
「……僕も、いいかげん自分の気持ちにきちんと区切りをつけて、前に進まなければならない。おまえともきちんと向き合いたい。だから、綾音ちゃんに気持ちを告げて終わらせようと思う」
驚いて創真は小さく息をのむ。
綾音のためにも自分のためにも想いは告げないと言っていたのに——だが、気持ちに区切りをつけるには確かにそれが最善なのかもしれない。きちんと終わらせようと本気で悩み考えたうえでの決断なのだろう。
「オレも応援する」
「ありがとう」
「それで頼みって?」
「ああ……」
翼はいつもの調子を取り戻し、どういう計画でどういう協力を求めているのかを理路整然と話していく。それを聞き、創真はすこし気持ちがざわつくのを感じながらも協力を約束した。
次の土曜日、創真と翼は待ち合わせのため駅前に来ていた。
雪は降っていないものの寒波が来ているせいで冷え込みが厳しく、創真はポケットに手をつっこんで身を縮こまらせている。邪魔になるだろうとマフラーをしてこなかったので首が寒い。
隣の翼もポケットに手を入れたままじっとうつむいている。こちらは寒さというより緊張のせいかもしれない。家に迎えに行ったときからいつになく口数が少なかったし、表情も硬かった。
「翼くん、創真くん、おはよう」
「おはよう」
それでも綾音が現れると、途端にうれしそうな顔になって声をはずませる。緊張など一瞬で吹き飛んでしまったかのように。
「こんな真冬の寒いときに遊園地なんてごめんね」
「ううん、久しぶりだし楽しみにしてたんだ」
綾音はふわりと白い息を上げて笑った。
スカートは膝上丈だが厚手のタイツをはいているし、そのうえ短いソックスもはいているし、あたたかそうなファーのついたコートも着ている。それなりに寒さ対策はしてきたようだ。
「あともうひとりお友達が来るんだよね?」
「ああ、遅刻はしないと思うが」
そう言いながら翼が腕時計に目を落とした、そのとき——隣で見ていた創真の背中にずしりと何かがのしかかった。そのまま後ろから長い腕がまわってきて抱き込まれる。振り向くと、頬がふれあうほどの至近距離で東條が思わせぶりに目を細めていた。
「おはよう、諫早くん」
「……ああ」
まさかそうくるとは思わなかったのでギョッとしたが、拒絶するわけにはいかない。そのまま何でもないような顔をして紹介を始める。
「これがそのもうひとりだ。二学期に編入してきた同級生の東條圭吾。こっちはオレらの幼なじみの幸村綾音ちゃん」
「今日はよろしくな」
後ろから創真を抱いたままで東條が言う。
ただの同級生にしてはいささか近すぎるその距離感に、綾音はずいぶん面食らっていたが、声をかけられると気を取り直したように笑顔になった。
「こちらこそ。創真くんと仲いいんだね」
「ああ、かわいいから構いたくなるんだよ」
「そうなんだ……」
冗談なのか本気なのかはかりかねているのだろう。うっすらと笑顔を保ちつつも、どう反応したらいいか戸惑っている様子が見てとれる。その隣では、翼がひそかに笑いをかみ殺してどうにか平静を装った。
「そろそろ行こうか」
「そうだな」
東條は元気に答え、さっそく創真の肩を抱いて駅構内に向かう。
やりすぎだ——創真はそんな気持ちをこめて横目でじとりと睨みつけるが、彼はニヤリと笑うだけである。面白がっているのだろう。だからといって綾音のまえで文句を言うわけにもいかず、なすがままになるしかなかった。
「へぇ、思ったより立派な遊園地だな」
入園するなり、東條はぐるりとあたりを見まわして感嘆の声を上げる。
都内にあると聞いて、もっとせせこましいところを想像していたのだろう。しかし都心ではなく端のほうということもあって敷地は広大で、大人が楽しめる大型アトラクションも多数あるのだ。
「諫早くんは何に乗りたい?」
「オレは何でも……綾音ちゃんは?」
「やっぱりコースターかな」
彼女は後ろで手を組んでエヘヘと笑う。
それは創真に向けられたものだが、翼は隣からこっそりと眺めて愛おしげに目を細めていた。そして案内のリーフレットを開いて彼女のまえに差し出すと、園内地図を指さしながら言う。
「だったらこのコースターから行こうか」
「うん」
綾音は頷き、翼に促されるまま並んで歩き出した。
その後ろを創真たちがついて歩く。やはりというか東條にしっかりと手をつながれているが、今日一日だけのことと開き直っている。見知らぬひとに好奇の目を向けられるくらいで実害はない。
ただ、綾音はどういうわけかすっかり受け入れてしまったようだ。もう戸惑うこともなく優しく微笑むだけである。電車の中でも手をつないだり肩を抱いたりしていたので、慣れたのだろうか。
コースターに着くとそのまま待機列の最後尾に並んだ。季節のせいか寒さのせいか客自体が少ないようで、人気があるはずのコースターにもそれほど並んでいない。待ち時間は十五分となっている。
やがて自分たちの番になり、一列二席ということもあって当然のように翼と綾音が並んで座った。ふたりで楽しそうに話をしながら安全バーを下ろしている。創真と東條はその後列に乗り込んだ。
「諫早くん、顔がこわばってるけど大丈夫か?」
「まあ……」
そう答えつつも、すでに縋るようにバーを握っている。
有名どころのコースターと比べるとたいしたことはないのかもしれないが、創真にとっては十分すぎるくらい凄そうで、この手のものが久しぶりということもあってどうしても身構えてしまう。
ガタン——。
ゆっくりと発車し、すぐにガタガタと急角度で引きずり上げられていく。そして頂上に到達したかと思うとふわっと降下し——そこからはあまり覚えていない。ただただ放り出されないようしがみつくばかりで、楽しむ余裕は微塵もなかった。
「そんなに苦手なら乗らなきゃよかったのに」
「ん……」
苦笑する東條に支えられながら創真はよろよろと歩く。それほどひどくはないものの若干気分が悪いし、必死に踏ん張っていたせいか太腿やふくらはぎも痛い。こころなしか腕まで痛い気がする。
先に降りた翼と綾音は、フォトサービスのコーナーで笑いながら写真を見ていた。乗車中に撮影された写真を購入できるのだ。見てみると、ふたりとも車両の先頭で思いきり楽しそうにはしゃいでいた。
その後ろに座っていた東條と創真もしっかりと写っている。東條は遠くに目を向けて晴れやかな顔をしていたが、創真はがっちりとバーを握り、わずかにうつむいてギュッと目をつむっていた。
「ははっ、この諫早くんかわいいな」
「バカにして……」
「すみませーん、これ、ひとつください」
「は?!」
ギョッとする創真を尻目に、東條は本当にフォトサービスのスタッフに代金を支払ってしまった。しばらく待たされて簡単なデザイン台紙のついた写真を受け取ると、折れ曲がらないようバッグにしまう。
「おまえ、そんなの買ってどうするんだ」
「今日の記念だって」
彼につられたのか、いつのまにか翼と綾音も購入していた。
みんなが一枚におさまっているので確かに記念にはなるだろう。ただ、自分の情けない姿がみんなの手元に残るのかと思うと、創真としては微妙な心境にならざるを得なかった。
その後、とりあえずほかのコースター系は後回しにして、二人乗りサイクル、回転系、スイング系などのアトラクションをまわった。目的を忘れたわけではないが、東條が気遣ってくれたからかけっこう普通に楽しんでしまった。
「私、観覧車に乗りたいな」
園内のカジュアルな洋食レストランで食事をしながら、次はどのアトラクションに行こうかという話になるとすぐに、綾音がそう声を上げた。しかし東條はどこか冷ややかに対抗する。
「俺はゴーカートがいい。諫早くんは?」
「え、まあオレはどっちでも構わないけど」
「じゃあ観覧車にしよう」
そうなるとは思ったが、翼が清々しいくらいの独断で勝手に決めてしまった。創真はスプーンでオムライスをすくったまま苦笑し、東條もあきれたように大きく溜息をついていたが、反対はしなかった。
「諫早くん、高いところは大丈夫なのか?」
「高いだけなら大丈夫だ」
食事を終えると、さっそくみんなで観覧車のほうへ向かった。
コースターのことがあったからか東條が心配してくれたが、観覧車はわりと平気だ。真下さえ見なければ景色を楽しむくらいの余裕はある。ここのゴンドラは足元が透けていないようなので大丈夫だろう。
「何名様ですか?」
「二名です」
待機列に並んで自分たちの番がくると、なぜか東條が間髪を入れずそう答えて、創真の手を引いた。
「えっ?」
みんなで一緒に乗るものとばかり思っていた創真は困惑を露わにするが、東條は気付いているのかいないのか手を引いたまま振り返ることなく進み、そのままゴンドラに乗り込んでしまった。
残された翼と綾音はきょとんとしていたが、すぐに笑い合い、スタッフに案内されて後続のゴンドラに乗った。向かい合わせに座って、外の景色を眺めながら楽しそうに会話をはずませている。
そう、か——。
東條が何のためにふたりだけでゴンドラに乗ったのか、ようやく理解した。本来は創真が率先してそうしなければならなかったのだ。自分が楽しむためではなく翼のために来ているのだから。
「諫早くん、ゴンドラばっかり見てないで景色を楽しもうぜ」
「ああ……」
そう言われて素直に外の景色を眺めてみたものの気はそぞろだ。どうしても後ろのゴンドラに乗っているふたりが気になってしまう。東條はうっすらと微笑を浮かべて自分の隣をぽんと叩いた。
「こっちに来いよ」
後ろのゴンドラが視界に入らないようにという配慮だろう。
それでも気になると思うが、正面に見えている現状よりはいいのかもしれない。席を移動してみると、わざわざ振り返らなければ見えないということで、こころなしか気持ちが楽になったような気がした。
「いい景色だな。空気が澄んでるから遠くまで見える」
「ん……」
ガラス窓の向こうには、コースターのレール、木々の緑、そして遠くの高層ビル群までもが見えていた。高度が上がるにつれてだんだんとその景色は広がっていく。晴れていたらもっときれいだったに違いない。
そういえば、と東條の横顔をちらりと窺う。
その表情は穏やかに見えるが胸中はわからない。まだ翼のことをふっきれず複雑な気持ちでいるのか、翼の幸せを心から願っているのか——気にはなるが、協力を頼んでおきながら無神経な詮索はできなかった。
ただ、創真としては彼がいてくれてよかったと心から思っている。いまも、ただ黙って肩を並べているだけで、同じ景色を見ているだけで、ほんのすこし救われたような気持ちになっていた。
「そろそろイルミネーションを見に行こうか」
その後、ゴーカートをはじめとするいくつかのアトラクションをまわったあと、翼が薄暮の空を仰いでそう切り出した。ここでは冬期だけ豪華なイルミネーションを展開しているのだ。
「そうだな。オレは飲み物を買うから先に行っててくれ」
「俺も諫早くんについてくよ」
創真がポケットに手をつっこんだままそっけなく告げると、当然のように東條も追従した。おまけに見せつけるように創真の肩に手をまわして顔を寄せる。何もここまでしなくてもと思いながら創真もなすがままになっていた。
「わかった……じゃあ、またあとでな」
翼が何食わぬ様子でそう応じると、綾音は疑う素振りもなくニコニコと微笑んで小さく手を振り、すぐにふたりで一緒にイルミネーションのほうへ歩き出した。
「うまくいったな」
翼たちを見送ったあと東條がぽつりとそう言い、創真はこくりと頷いた。
それきり会話はなくなり、ふたりとも無言のまま近くのカフェに足を向けた。注文窓口とテラス席しかないところだが、ささやかなイルミネーションで飾り付けられていて、雰囲気は悪くない。
「諫早くんは何飲む?」
「あったかいカフェオレ」
「俺もそうしようかな」
そう言うと、東條はカフェオレを二つ注文してお金を払ってしまった。創真があわてて財布を出そうとすると手で制される。
「俺のおごりだ」
「おごられる理由がない」
「振りまわしたお詫び」
「…………」
振りまわしたというのは手をつないだり肩を抱いたりしたことだろうか。こちらが協力を頼んだのにお詫びされるのもおかしな話だが、断るのも面倒なので、カフェオレ一杯くらいならと素直におごられることにした。
「お待たせしました」
店員から蓋付き紙カップのカフェオレをそれぞれ受け取り、テラス席に座る。
まわりは閑散としているが、これだけ冷え込んでいるうえ夜の帳まで降りれば無理もない。そろそろイルミネーションのショーが始まる時間なので、そちらに集まっているというのもあるだろう。
ふっ——。
熱々のカフェオレをひとくち飲むと無意識に白い息をついた。じんわりと中からあたたまっていくのを感じる。ずっと寒風にさらされていたせいか、思った以上に体が冷えていたようだ。
「しっかし、まさか翼の好きな子があんなんだったなんてなぁ」
東條はそう言い、飲んでいたカフェオレを小さなガーデンテーブルに置いた。
綾音のことは文化祭の執事喫茶でチラッと見ていたらしいが、きちんと会ったのは今日が初めてだった。その口ぶりからすると、あまり好意的な感情を持てなかったのかもしれない。
「それにしてもちょっと無神経だよな。気持ちに区切りをつけるために告白するのはいいとして、何も諫早くんに協力を頼むことはないだろう。しかも諫早くんの目の前であんなバカみたいににデレデレしてさ」
「いや、オレと向き合うために終わらせるんだし……」
確かに協力を頼まれたときは少なからず心がざわついた。しかし、本気で創真と向き合おうとしてくれていることはうれしかったし、それに関わらせてもらえることはありがたかった。ちなみにデレデレしているのはいつものことなのでいまさらだ。
「だけど、もしこれで両思いになったらどうする?」
「別に……オレにはとやかく言う権利なんてないからな。オレと向き合うっていうのもあくまで翼の意思であって、約束じゃないし。せめてこれまでどおり幼なじみでいられたらとは思うけど」
創真は紙カップに両手を添えてうつむいたまま、淡々と語った。
東條には話せないが、綾音が翼に恋愛感情を持っていないことは聞いているし、翼が綾音とつきあうつもりがないこともわかっている。ただ、創真とどうなるかはまだ誰にもわからない。
だから、これは自戒と決意だ。たとえこれから先どんなことがあったとしても、もう二度と翼から離れたりしない。どんな形であってもそばにいる。おまえなんかいらないと本人に拒絶されないかぎりは——。
「諫早くん」
思い耽っているところへ、ふいに真剣な声で呼びかけられてドキリとする。
顔を上げると、東條はガーデンテーブルに肘をついて前屈みになり、まっすぐ覗き込むように創真を見つめていた。そのまま視線をそらすことなく静かに言葉を継ぐ。
「俺でよければいつでも話を聞くからな。翼にも内緒にするし」
「ん……ああ……」
心配してくれているのだろうが、あまりにも真面目な顔で言われて戸惑ってしまった。ごまかすようにカフェオレを口に運ぶ。そのときふと彼のまなざしが優しくなったことには、気付かないふりをした。
逆に東條が同席することはなくなった。西園寺家と東條家が話し合いをしたときにそう決まったらしい。双方の両親の感情を思えば致し方ないのかもしれない。きっと補佐役になることも許されないのだろう。
創真にとってそれは願ったり叶ったりの結果ではあるのだが、さすがに素直に喜ぶことはできなかった。こんなかたちで終わることを望んでいたわけではない。翼に自分を選んでほしかっただけなのだから。
「創真……その、頼みがあるんだが」
西園寺家での勉強を終えて帰り支度をしていると、翼が声をかけてきた。めずらしく遠慮がちな物言いで。振り向くと表情にもためらいのようなものが見てとれた。
「どうしたんだ?」
「……僕も、いいかげん自分の気持ちにきちんと区切りをつけて、前に進まなければならない。おまえともきちんと向き合いたい。だから、綾音ちゃんに気持ちを告げて終わらせようと思う」
驚いて創真は小さく息をのむ。
綾音のためにも自分のためにも想いは告げないと言っていたのに——だが、気持ちに区切りをつけるには確かにそれが最善なのかもしれない。きちんと終わらせようと本気で悩み考えたうえでの決断なのだろう。
「オレも応援する」
「ありがとう」
「それで頼みって?」
「ああ……」
翼はいつもの調子を取り戻し、どういう計画でどういう協力を求めているのかを理路整然と話していく。それを聞き、創真はすこし気持ちがざわつくのを感じながらも協力を約束した。
次の土曜日、創真と翼は待ち合わせのため駅前に来ていた。
雪は降っていないものの寒波が来ているせいで冷え込みが厳しく、創真はポケットに手をつっこんで身を縮こまらせている。邪魔になるだろうとマフラーをしてこなかったので首が寒い。
隣の翼もポケットに手を入れたままじっとうつむいている。こちらは寒さというより緊張のせいかもしれない。家に迎えに行ったときからいつになく口数が少なかったし、表情も硬かった。
「翼くん、創真くん、おはよう」
「おはよう」
それでも綾音が現れると、途端にうれしそうな顔になって声をはずませる。緊張など一瞬で吹き飛んでしまったかのように。
「こんな真冬の寒いときに遊園地なんてごめんね」
「ううん、久しぶりだし楽しみにしてたんだ」
綾音はふわりと白い息を上げて笑った。
スカートは膝上丈だが厚手のタイツをはいているし、そのうえ短いソックスもはいているし、あたたかそうなファーのついたコートも着ている。それなりに寒さ対策はしてきたようだ。
「あともうひとりお友達が来るんだよね?」
「ああ、遅刻はしないと思うが」
そう言いながら翼が腕時計に目を落とした、そのとき——隣で見ていた創真の背中にずしりと何かがのしかかった。そのまま後ろから長い腕がまわってきて抱き込まれる。振り向くと、頬がふれあうほどの至近距離で東條が思わせぶりに目を細めていた。
「おはよう、諫早くん」
「……ああ」
まさかそうくるとは思わなかったのでギョッとしたが、拒絶するわけにはいかない。そのまま何でもないような顔をして紹介を始める。
「これがそのもうひとりだ。二学期に編入してきた同級生の東條圭吾。こっちはオレらの幼なじみの幸村綾音ちゃん」
「今日はよろしくな」
後ろから創真を抱いたままで東條が言う。
ただの同級生にしてはいささか近すぎるその距離感に、綾音はずいぶん面食らっていたが、声をかけられると気を取り直したように笑顔になった。
「こちらこそ。創真くんと仲いいんだね」
「ああ、かわいいから構いたくなるんだよ」
「そうなんだ……」
冗談なのか本気なのかはかりかねているのだろう。うっすらと笑顔を保ちつつも、どう反応したらいいか戸惑っている様子が見てとれる。その隣では、翼がひそかに笑いをかみ殺してどうにか平静を装った。
「そろそろ行こうか」
「そうだな」
東條は元気に答え、さっそく創真の肩を抱いて駅構内に向かう。
やりすぎだ——創真はそんな気持ちをこめて横目でじとりと睨みつけるが、彼はニヤリと笑うだけである。面白がっているのだろう。だからといって綾音のまえで文句を言うわけにもいかず、なすがままになるしかなかった。
「へぇ、思ったより立派な遊園地だな」
入園するなり、東條はぐるりとあたりを見まわして感嘆の声を上げる。
都内にあると聞いて、もっとせせこましいところを想像していたのだろう。しかし都心ではなく端のほうということもあって敷地は広大で、大人が楽しめる大型アトラクションも多数あるのだ。
「諫早くんは何に乗りたい?」
「オレは何でも……綾音ちゃんは?」
「やっぱりコースターかな」
彼女は後ろで手を組んでエヘヘと笑う。
それは創真に向けられたものだが、翼は隣からこっそりと眺めて愛おしげに目を細めていた。そして案内のリーフレットを開いて彼女のまえに差し出すと、園内地図を指さしながら言う。
「だったらこのコースターから行こうか」
「うん」
綾音は頷き、翼に促されるまま並んで歩き出した。
その後ろを創真たちがついて歩く。やはりというか東條にしっかりと手をつながれているが、今日一日だけのことと開き直っている。見知らぬひとに好奇の目を向けられるくらいで実害はない。
ただ、綾音はどういうわけかすっかり受け入れてしまったようだ。もう戸惑うこともなく優しく微笑むだけである。電車の中でも手をつないだり肩を抱いたりしていたので、慣れたのだろうか。
コースターに着くとそのまま待機列の最後尾に並んだ。季節のせいか寒さのせいか客自体が少ないようで、人気があるはずのコースターにもそれほど並んでいない。待ち時間は十五分となっている。
やがて自分たちの番になり、一列二席ということもあって当然のように翼と綾音が並んで座った。ふたりで楽しそうに話をしながら安全バーを下ろしている。創真と東條はその後列に乗り込んだ。
「諫早くん、顔がこわばってるけど大丈夫か?」
「まあ……」
そう答えつつも、すでに縋るようにバーを握っている。
有名どころのコースターと比べるとたいしたことはないのかもしれないが、創真にとっては十分すぎるくらい凄そうで、この手のものが久しぶりということもあってどうしても身構えてしまう。
ガタン——。
ゆっくりと発車し、すぐにガタガタと急角度で引きずり上げられていく。そして頂上に到達したかと思うとふわっと降下し——そこからはあまり覚えていない。ただただ放り出されないようしがみつくばかりで、楽しむ余裕は微塵もなかった。
「そんなに苦手なら乗らなきゃよかったのに」
「ん……」
苦笑する東條に支えられながら創真はよろよろと歩く。それほどひどくはないものの若干気分が悪いし、必死に踏ん張っていたせいか太腿やふくらはぎも痛い。こころなしか腕まで痛い気がする。
先に降りた翼と綾音は、フォトサービスのコーナーで笑いながら写真を見ていた。乗車中に撮影された写真を購入できるのだ。見てみると、ふたりとも車両の先頭で思いきり楽しそうにはしゃいでいた。
その後ろに座っていた東條と創真もしっかりと写っている。東條は遠くに目を向けて晴れやかな顔をしていたが、創真はがっちりとバーを握り、わずかにうつむいてギュッと目をつむっていた。
「ははっ、この諫早くんかわいいな」
「バカにして……」
「すみませーん、これ、ひとつください」
「は?!」
ギョッとする創真を尻目に、東條は本当にフォトサービスのスタッフに代金を支払ってしまった。しばらく待たされて簡単なデザイン台紙のついた写真を受け取ると、折れ曲がらないようバッグにしまう。
「おまえ、そんなの買ってどうするんだ」
「今日の記念だって」
彼につられたのか、いつのまにか翼と綾音も購入していた。
みんなが一枚におさまっているので確かに記念にはなるだろう。ただ、自分の情けない姿がみんなの手元に残るのかと思うと、創真としては微妙な心境にならざるを得なかった。
その後、とりあえずほかのコースター系は後回しにして、二人乗りサイクル、回転系、スイング系などのアトラクションをまわった。目的を忘れたわけではないが、東條が気遣ってくれたからかけっこう普通に楽しんでしまった。
「私、観覧車に乗りたいな」
園内のカジュアルな洋食レストランで食事をしながら、次はどのアトラクションに行こうかという話になるとすぐに、綾音がそう声を上げた。しかし東條はどこか冷ややかに対抗する。
「俺はゴーカートがいい。諫早くんは?」
「え、まあオレはどっちでも構わないけど」
「じゃあ観覧車にしよう」
そうなるとは思ったが、翼が清々しいくらいの独断で勝手に決めてしまった。創真はスプーンでオムライスをすくったまま苦笑し、東條もあきれたように大きく溜息をついていたが、反対はしなかった。
「諫早くん、高いところは大丈夫なのか?」
「高いだけなら大丈夫だ」
食事を終えると、さっそくみんなで観覧車のほうへ向かった。
コースターのことがあったからか東條が心配してくれたが、観覧車はわりと平気だ。真下さえ見なければ景色を楽しむくらいの余裕はある。ここのゴンドラは足元が透けていないようなので大丈夫だろう。
「何名様ですか?」
「二名です」
待機列に並んで自分たちの番がくると、なぜか東條が間髪を入れずそう答えて、創真の手を引いた。
「えっ?」
みんなで一緒に乗るものとばかり思っていた創真は困惑を露わにするが、東條は気付いているのかいないのか手を引いたまま振り返ることなく進み、そのままゴンドラに乗り込んでしまった。
残された翼と綾音はきょとんとしていたが、すぐに笑い合い、スタッフに案内されて後続のゴンドラに乗った。向かい合わせに座って、外の景色を眺めながら楽しそうに会話をはずませている。
そう、か——。
東條が何のためにふたりだけでゴンドラに乗ったのか、ようやく理解した。本来は創真が率先してそうしなければならなかったのだ。自分が楽しむためではなく翼のために来ているのだから。
「諫早くん、ゴンドラばっかり見てないで景色を楽しもうぜ」
「ああ……」
そう言われて素直に外の景色を眺めてみたものの気はそぞろだ。どうしても後ろのゴンドラに乗っているふたりが気になってしまう。東條はうっすらと微笑を浮かべて自分の隣をぽんと叩いた。
「こっちに来いよ」
後ろのゴンドラが視界に入らないようにという配慮だろう。
それでも気になると思うが、正面に見えている現状よりはいいのかもしれない。席を移動してみると、わざわざ振り返らなければ見えないということで、こころなしか気持ちが楽になったような気がした。
「いい景色だな。空気が澄んでるから遠くまで見える」
「ん……」
ガラス窓の向こうには、コースターのレール、木々の緑、そして遠くの高層ビル群までもが見えていた。高度が上がるにつれてだんだんとその景色は広がっていく。晴れていたらもっときれいだったに違いない。
そういえば、と東條の横顔をちらりと窺う。
その表情は穏やかに見えるが胸中はわからない。まだ翼のことをふっきれず複雑な気持ちでいるのか、翼の幸せを心から願っているのか——気にはなるが、協力を頼んでおきながら無神経な詮索はできなかった。
ただ、創真としては彼がいてくれてよかったと心から思っている。いまも、ただ黙って肩を並べているだけで、同じ景色を見ているだけで、ほんのすこし救われたような気持ちになっていた。
「そろそろイルミネーションを見に行こうか」
その後、ゴーカートをはじめとするいくつかのアトラクションをまわったあと、翼が薄暮の空を仰いでそう切り出した。ここでは冬期だけ豪華なイルミネーションを展開しているのだ。
「そうだな。オレは飲み物を買うから先に行っててくれ」
「俺も諫早くんについてくよ」
創真がポケットに手をつっこんだままそっけなく告げると、当然のように東條も追従した。おまけに見せつけるように創真の肩に手をまわして顔を寄せる。何もここまでしなくてもと思いながら創真もなすがままになっていた。
「わかった……じゃあ、またあとでな」
翼が何食わぬ様子でそう応じると、綾音は疑う素振りもなくニコニコと微笑んで小さく手を振り、すぐにふたりで一緒にイルミネーションのほうへ歩き出した。
「うまくいったな」
翼たちを見送ったあと東條がぽつりとそう言い、創真はこくりと頷いた。
それきり会話はなくなり、ふたりとも無言のまま近くのカフェに足を向けた。注文窓口とテラス席しかないところだが、ささやかなイルミネーションで飾り付けられていて、雰囲気は悪くない。
「諫早くんは何飲む?」
「あったかいカフェオレ」
「俺もそうしようかな」
そう言うと、東條はカフェオレを二つ注文してお金を払ってしまった。創真があわてて財布を出そうとすると手で制される。
「俺のおごりだ」
「おごられる理由がない」
「振りまわしたお詫び」
「…………」
振りまわしたというのは手をつないだり肩を抱いたりしたことだろうか。こちらが協力を頼んだのにお詫びされるのもおかしな話だが、断るのも面倒なので、カフェオレ一杯くらいならと素直におごられることにした。
「お待たせしました」
店員から蓋付き紙カップのカフェオレをそれぞれ受け取り、テラス席に座る。
まわりは閑散としているが、これだけ冷え込んでいるうえ夜の帳まで降りれば無理もない。そろそろイルミネーションのショーが始まる時間なので、そちらに集まっているというのもあるだろう。
ふっ——。
熱々のカフェオレをひとくち飲むと無意識に白い息をついた。じんわりと中からあたたまっていくのを感じる。ずっと寒風にさらされていたせいか、思った以上に体が冷えていたようだ。
「しっかし、まさか翼の好きな子があんなんだったなんてなぁ」
東條はそう言い、飲んでいたカフェオレを小さなガーデンテーブルに置いた。
綾音のことは文化祭の執事喫茶でチラッと見ていたらしいが、きちんと会ったのは今日が初めてだった。その口ぶりからすると、あまり好意的な感情を持てなかったのかもしれない。
「それにしてもちょっと無神経だよな。気持ちに区切りをつけるために告白するのはいいとして、何も諫早くんに協力を頼むことはないだろう。しかも諫早くんの目の前であんなバカみたいににデレデレしてさ」
「いや、オレと向き合うために終わらせるんだし……」
確かに協力を頼まれたときは少なからず心がざわついた。しかし、本気で創真と向き合おうとしてくれていることはうれしかったし、それに関わらせてもらえることはありがたかった。ちなみにデレデレしているのはいつものことなのでいまさらだ。
「だけど、もしこれで両思いになったらどうする?」
「別に……オレにはとやかく言う権利なんてないからな。オレと向き合うっていうのもあくまで翼の意思であって、約束じゃないし。せめてこれまでどおり幼なじみでいられたらとは思うけど」
創真は紙カップに両手を添えてうつむいたまま、淡々と語った。
東條には話せないが、綾音が翼に恋愛感情を持っていないことは聞いているし、翼が綾音とつきあうつもりがないこともわかっている。ただ、創真とどうなるかはまだ誰にもわからない。
だから、これは自戒と決意だ。たとえこれから先どんなことがあったとしても、もう二度と翼から離れたりしない。どんな形であってもそばにいる。おまえなんかいらないと本人に拒絶されないかぎりは——。
「諫早くん」
思い耽っているところへ、ふいに真剣な声で呼びかけられてドキリとする。
顔を上げると、東條はガーデンテーブルに肘をついて前屈みになり、まっすぐ覗き込むように創真を見つめていた。そのまま視線をそらすことなく静かに言葉を継ぐ。
「俺でよければいつでも話を聞くからな。翼にも内緒にするし」
「ん……ああ……」
心配してくれているのだろうが、あまりにも真面目な顔で言われて戸惑ってしまった。ごまかすようにカフェオレを口に運ぶ。そのときふと彼のまなざしが優しくなったことには、気付かないふりをした。
◆目次:<a href="http://celest.serio.jp/celest/novel_prince.html" target="_blank">オレの愛しい王子様</a>