瑞原唯子のひとりごと

「機械仕掛けのカンパネラ」第2話 曖昧な誘拐事件



「もう、いつになったら見つかるんだよ」
 あれから三週間、毎日欠かさずテレビや新聞で動向をチェックしていたが、誘拐犯が見つかったという情報はなかった。この誘拐事件を取り上げることはあっても、三億円に踊らされる人々の話など、有益な内容とはいえないものばかりである。
 その日の朝も、トーストをかじりながらテレビの情報番組を見ていた。しかしながら無関係な事件や芸能ニュースばかりで、誘拐事件については何もない。いつものように口をとがらせてぶつくさと独りごちる。
 拓海は最初の日からずっと関心の薄そうな様子を見せていた。七海が進展のなさに不満をもらしても同調することはないし、テレビで誘拐事件を取り上げていてもちらりと横目を向けるくらいだ。いまも七海の文句を聞き流して黙々とトーストを食べている。
『えっ?』
 かすかにマイクが拾った、女性の聞き返すような声がテレビから聞こえた。
 それを皮切りにスタジオがひそかに慌ただしくなった。女性アナウンサーが横から差し出された紙に目を落とすと、これまでの流れを打ち切り、すっと背筋を伸ばして無感情で真面目な面持ちになる。
『橘財閥会長の孫娘が誘拐され、犯人と思われる男に三億円の懸賞金がかけられた件で、これより橘会長の緊急会見が行われますので中継いたします』
 直後、映像が切り替わり橘会長が映し出される。
 七海は大きく目を見開き、一瞬遅れてガタッと椅子を弾き飛ばさんばかりに立ち上がった。ついにあの男が見つかったということだろうか。口を半開きにしたまま瞬きも忘れるほどテレビを凝視する。
 橘会長は報道陣に向かって端然と一礼すると、お忙しい中お集まりいただきましてとお決まりの挨拶を始めた。そう長いものではなかったのだろうが、気持ちの急いている七海にはとてつもなく長く感じられた。握りしめる手のひらに汗がにじむ。
 一通りの挨拶が終わり彼がその場で腰を下ろすと、本題に入る気配を感じて一気に緊張が高まった。無意識のうちに体がこわばり奥歯を噛みしめる。
『私たちは犯人と思われる男に三億円の懸賞金をかけ、皆様に協力を仰いできましたが、只今をもちまして終了とさせていただきます。これまで捜索に力をお貸しくださった皆様には深く感謝し、御礼申し上げます』
 バシャバシャという音とともに無数のフラッシュが焚かれた。テレビ越しでもまぶしさを感じるくらいに。レポーターたちは競うように勢いよく挙手をしていた。
『お孫さんが無事保護されたということですか?』
『そう思っていただいて結構です』
 進行役の男性に当てられた若い女性レポーターが質問し、橘会長がさらりと答える。すぐさま他のレポーターたちが再び我先にと挙手をした。
『あの似顔絵の男は逮捕されたのでしょうか?』
『申し訳ないがノーコメントとさせていただきたい』
『それでは世間が納得しないと思いますが』
『では問題は解決したとだけ申し上げておきます』
『懸賞金を手にした人はいるのでしょうか?』
『残念ながら有益な情報は寄せられておりません』
『では懸賞金は……』
『三億円はしかるべき公益団体に寄付いたします』
 次々と上がる質問に端的な答えが提示されていく。しかし、七海の知りたいことは濁されたままだ。怪訝に眉をひそめて首をひねりながら、向かいでコーヒーを飲んでいる拓海に振り向いた。
「あの男、見つかったってこと?」
「はっきりしないな。誘拐犯を捕まえて孫娘を保護したのであれば、おそらく今ごろは警察に留置されているはずだ。だが誘拐犯が自ら孫娘を解放したのであれば、いまだに行方が掴めていない可能性もある」
 拓海は横目でテレビを見ながら答える。
 それを聞いていた七海の顔は次第に曇っていく。警察に逮捕されていたらどうやって殺せばいいのかわからない。いや、それよりも行方さえ掴めていない方がよほど困った事態といえる。
 だとしてもまったく手がかりがないわけではない。少なくとも孫娘はこの誘拐犯と接触しているのだ。何らかの交渉をしたのであればその家族も。いずれにせよグダグダと考えているだけでは始まらない。
「とにかく話を聞きに行こうよ!」
「そうしたいが住所がわからない」
「え……、そんなぁ」
 予想外の展開に思わず泣きそうな声になる。こんな記者会見を行うくらいだから簡単に行けると、誰でも会えると、何となくではあるがそう思い込んでいた。縋るように拓海を見ると、彼はことりとマグカップを置いて無表情のまま言葉を継ぐ。
「調べてみるから待ってろ」
「うん!」
 ほっと安堵して元気よく頷く。
 失念していたが拓海は警察に勤めているのだ。相手の素性はわかっているのだから、住所を調べる方法などいくらでもあるだろう。きっとすぐに見つけられる。そう考えると一気に気持ちが浮上してそわそわしてきた。
「七海、まずちゃんと食べろ」
「はぁい」
 すぐにでも射撃場に向かいたかったが、我慢して席につき、残りのトーストを大急ぎで口に押し込む。あわてるな、ちゃんと噛め、と叱られつつ食べ終えたものの、結局、拓海を見送るまでは射撃場に行けないことに気が付いた。

 いつもどおり、拓海がシャワーを浴びているあいだに食器を洗う。テレビの情報番組はいつのまにか別の話題に変わっていた。しばらくして出勤の準備を整えた拓海が自室から出てくると、七海も彼について小走りで玄関に向かう。

「気持ちはわかるが、勉強を疎かにするなよ」
「わかってる」
 革靴を履くために屈んだ背中を見ながら、言葉を交わした。
 あの男の似顔絵を見た日から気持ちは射撃場に向いているが、勉強を忘れたわけではない。気乗りしないながらも毎日欠かさず勉強している。ただ時間と分量はすこし減ったかもしれない。
「いってらっしゃい」
 革靴を履いて振り返った彼にビジネスバッグを手渡すと、ごまかすように笑顔を見せてひらひらと手を振る。彼は何か物言いたげな顔をしていたが、しかし何も言わないまま扉を開けて出ていった。

 ひとりになるとすぐにイルカのぬいぐるみとオルゴールを抱えて鍵を取り、一目散に地下の射撃場へと駆け降りていく。そしていつものように隅の机にぬいぐるみとオルゴールを置くと、スニーカーを履いて紐をきつく結び直した。
 まず準備運動がてら三十分ほどランニングをしてから、腕立て伏せ、腹筋、背筋、スクワット、ハンドグリップを行う。本当はすぐにでも射撃の練習をしたいが、拓海に言われて体力と筋力の増強に取り組んでいるのだ。その方が結果的に射撃の命中率も上がるらしい。しかし――。
「あー、もうほんと疲れるっ!」
 彼の作成したトレーニングメニューを終えるころには、いつも汗だくになっていた。手足を投げ出して冷たい床に寝そべり、大きく息を吐く。続けて射撃練習をしなければならないのに動くのさえ億劫である。
 こんなときはやはりあれで気分を高めるしかない。視線をめぐらせてオルゴールの存在を確認すると、気合いを入れて立ち上がり、隅の椅子に腰を下ろして繊細な木彫りの蓋を開ける。
 ゆっくりと流れ出す旋律と音色。
 数えきれないほど聴いてきたが飽きることはない。耳にするだけで様々な記憶と感情が引きずり出される。同時に、興奮が呼び覚まされて体中に力が湧き上がる。父親を殺したあの男の顔を、煌びやかな金髪を、鮮やかな青の瞳を、血に濡れた手を、そこから滴り落ちる雫を、はっきりと思い浮かべて憎悪をみなぎらせる。
 ――七海、お父さんの敵を取ろう。
 ――お父さんを殺した男を殺すんだ。
 ――七海のこの手で殺すんだ。
 頭の中でガンガンと打ちつけるように鳴り響く拓海の声。オルゴールの音色と絡み合い不協和音を奏でる。そう、あの男だけは必ずこの手で殺さなければならない。七海のたったひとりの大切な家族を惨殺したのだから。
 お父さん……。
 ゆるりと横を向き、血で汚れたイルカのぬいぐるみを視界に捉えると、ふいにこみ上げるものを自覚してわずかに目を細めた。手を伸ばし、そのぬいぐるみを腕の中に抱え込んで瞼を閉じる。目の奥でじんわりと熱い涙がにじむのを感じた。
 やがてオルゴールのドラムが止まり、しんと静まりかえる。
 七海はゆっくりと一呼吸し、強気なまなざしを真正面に向けて立ち上がった。イルカのぬいぐるみを机に置いて足を進め、いつもの拳銃を手に取って装弾し、人型の的を睨むように見据えて銃口を向ける。
 立ち止まってる場合じゃない――。
 遠くない未来、いつかこの手であの男を殺しに行く日のために。そしてそのとき後悔しないために。ただ眉間に銃弾を撃ち込むことだけを考えて引き金を引いた。




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