セブ島移住者の本音トークⅡ

セブ島でNGO活動に従事する管理人が、フィリピン人家族との奇妙な生活や、現地での国際交流について語ります。

氷解(その1)

2017-06-10 | セブ島移住生活考

振り返ってみれば、あっという間のセブ島生活17年でした。

 

…が、よく考えてみれば、おぎゃーと生まれた子が17歳になる年月であり、更に言えば、17歳の少年少女が34歳になる年月でもあり、途方も無い時間が経過している訳です。

 

やはり、その間には、自分自身の見かけ、肉体、精神…本当に大きな変化をしたものだと実感しています。

 

経済と言う点では、僕は20歳代後半にピークがあって、その後は右肩下がりの状況です。(苦笑)また、フィリピンへ来た当初は、当時の日本とフィリピンの経済格差により、ちょっとだけリッチな気分にもなりましたが、結婚し、子供が出来…とした流れの中で、僕自身の収入は上がらず、逆に物価は10年で倍のペースで上がって来てしまった為、50歳を迎えて経済的な事に関して言えば、諦め、手放し、捨ておき、先のことを考えず、今に集中している事で、何とかもっているけれど、日本のスタンダードを持ち込み、人並みとか、発展性とか、将来の安定とかを求めたら、アホらしくてやっていられない状態です。

 

…が、反面、幸福感とか、生きたいと思う気持ちは、恐らく、現在が今まで生きてきた中で最高だし、それがどこまで続くのかと言う不安よりも、寧ろ、イマ、ココを精一杯生きている感触が生きがいになっているような感じではあります。

 

ここへ移住してくる前のお話になりますが、約18年前…僕は肉体的、精神的にどん底でした。

 

今でこそ、断言できますが、そもそも、それは自分の選択から生じたものであり、誰が悪いと言えば、自分でしかないのですが、主要因として、最初の結婚の失敗、即ち、離婚に至るプロセスがあり、また、皮肉な事に、その結婚を維持しようと言う事が最大の動機で転職をした先で、非常に難しい事態に直面したという、踏んだり蹴ったり、泣き面に蜂のような状況になった事が原因でした。

 

その発端は、前にも述べた事がありますが、僕は大学卒業後20歳代半ばで1回目の結婚をし、その直後には準大手の企業で最短期間で課長職の試験に推挙される等々、傍から見れば順調なサラリーマン人生を歩みつつあった中、僕も、その当時の配偶者も余りにも若すぎた事から、そうした事に慢心し、有り難味も何も感じず、不満ばかりを募らせた事から、海外留学の為に辞職すると言う暴挙に出た事でした。

 

暴挙という表現を用いましたが、これは無鉄砲と言っても良くて、とにかく後先よく考えていなかったのは事実です。そして、留学中、丁度、一区切りがついて、これからどうしようかと言う時に父が危篤になって、取り敢えず日本へ戻ったら、父が亡くなり、色んな事情で抜け出せなくなったと言う顛末です。

 

そんな中で、本当は海外出奔を誰よりも望んでいた当時の配偶者が弱気になって、安定した生活を…と望んだので、僕は、せめて折角、実践レベルで使えるだけのポテンシャルをもつに至った英語力を生かせる仕事をと地元で探したら、偶々、既婚者としてやっていけるだけの待遇のモノが見つかったのですが、そこには裏があったのでした..



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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