アコギおやじのあこぎな日々

初老の域に達したアコギおやじ。
日々のアコースティックな雑観

インフルエンザ始末記

2014-02-07 | Weblog


 息子は、インフルエンザにかかっていた。


 月曜日の夜7時。サッカーから帰ったころから体調不良を訴えていた。


 火曜日は、朝から頭痛を訴え、学校を休んだ。ただ、私が昼食を作りに自宅に戻ると食欲はあったし、2日間とも熱は37度程度。軽信していた。


 水曜日の朝にしても、さほどつらそうにはしていなかった。休ませはしたものの、心配はしていなかった。昼食時も、自宅に戻ると布団の中でマンガ本を読んでいて、私の顔を見るや、「ひまだぁ。お腹すいた」。


 で、りんごズリとヨーグルトを与えた。特に変調はない。次いでハヤシライスを運ぶと、うれしそうに「お父さん、見て見て」。ほっぺたが真っ赤だ。ハヤシライスを元気に1口ほおばった。が、2口目にいけない。「いらない」。(せっかく作ったのに…)。しかし、みるみる目がうつろになった。体温を測ると37.8度。


 大事を取って罹りつけの病院へ。診察前の体温計測で驚いた。39.4度。自宅から車で5分足らず。その間に1.6度も上昇した。


 検査の結果、A型インフルエンザ。即、点滴となった。


 点滴の途中、鎮痛剤も服用。4時間後には、体温は36.4度に下がった。


 しっかし、こんな乱高下、ヘッジファンドの禿鷹どもだって着いて行けないぞ。


 ともかく急速に病状が悪化し、急速に回復して、午後8時に帰宅。10時に就寝した。


           ◇


 妻には、連絡がつかなかった。ふだんから携帯電話に反応しないし。担任の先生に連絡すると、最低でも5日間は休んでください、とのこと。息子に伝えると、学校にいけないことを非常に残念がっていた。元気な時は、行きたくないなどと言っているのに。


           ◇


 このところの息子の体調不良も快方の目途が立った。前回ブログでも書いたが、病を「得た」ことの効用がきょうもひとつあった。


 やはり、家族としての結びつきの再確認。


 息子の熱が下がってきた午後5時ごろのこと。読み聞かせをせがんできたのだが、発熱の名残なのだろう、目の周囲が痛んで目を閉じていたいという。


 絵は見られない。


 「『芝浜』覚えてるか?」


 「うん」


 「よし、じゃぁ新しいバージョンね」


 病室の蛍光灯を消して、息子に目を閉じるよう促した。


 「昔々、東京が江戸と呼ばれていたころの話でございます。いまではオリンピックに向けた無駄な工事が進む東京湾ですが、そのころは江戸前と呼ばれた良い漁場でして、コハダにシラス、芝あたりの浜ではエビもそりゃあ良いのが随分と捕れたそうな。ちなみに捕れたのはもちろん芝エビ。バナメイエビやブラックタイガーなんかはあんまり掛かんなかったそうですが…」


 息子から「くすっ」と笑いがこぼれる。


 勢いをもらった。


 「おい、お前さん。起きとくれよ。起きて仕事行っとくれよ。な、な、なんだぁ、無茶な起こし方すんなよ。なんだよ、仕事ってなぁ…。なんだじゃないよ、仕事いっとくれよ。仕事いってくれなきゃ、鍋の蓋も釜の蓋も開きゃあしないじゃないか…」


 「芝浜」は三木助が一番。かつての単身赴任時代、毎晩、テープの音源を聞きながら練習していたので、得意演目である。


 しゃべっていて気持ちがいい。


 が、10分ほど噺を進めたところでやめた。息子の寝息が聞こえてきた。得意演目ではあるが、客に寝られてしまった。しかし親の落語で寝入ってくれたことに満足。ありがたいことに、病気になるとテレビやラジオはもとより、ゲームから遠ざかることができる。


 病気は、関係が深まるきっかけになる場合がある。


           ◇


 で、木曜日の朝。今度はオレだ。


 頭痛に発熱。月曜日の息子の体調に似ている。病院に行くと、やはりインフルエンザ。


 インフルエンザと国家主義は、きわめて感染しやすいのだ。


 NHKの会長や経営委員たちも明らかに「病気」。いろんな主義があるが、報道機関に属しているというのが病気の重症化を招きかねない。安倍と同じ、自覚症状がないから、殊更に怖い。いろんなものが乱高下しそうな気配だが…。
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