呉智英さんの慧眼には、ちょくちょく助けられている。
雑誌「サピオ」の3月第2号に呉さんが寄せている記事のおかげで、ここ数年、ずっと心に引っかかっていたモノの正体が明らかになった。
子どもたちにつけられた「スゴイ名前」についてである。
語感だけであて字してしまった名前、不理解のまま悪い意味の漢字を採用してしまった名前…。
「暴走族がチーム名などに漢字をあてる手法によく似ているな」とは思っていた。が、呉さんはすでにこの用法に「暴走万葉仮名」というきちんとした類型化を施していた。
なんだか、痛快。
「スゴイ名前」について、呉さんのような柔軟な考え方のない私は、アタマの中に“壁”をつくってしまって理解不能に堕ちていた。
「生まれた子どもに対する初めての贈り物。子どものこれからの人生にも大きな意味をもつであろう、名前。そんな大切なものをきちんと考えないで決めちゃうのだろうか?」。そんな“壁”で思考の進みが止まっていた。
呉さんのおかげで、簡潔に、かつ、明瞭に、解決した。
「親の学力不足」。これが「子どものスゴイ名前」の正体だったのである。
悩んだことは、悩んだ。でも、知っている漢字が少なすぎた。
足りないのは子どもへの愛情ではなかった。それは救いだ。足りないのは、知性だった。
いやいや、記事を見ると、スゴ過ぎる名前の数々。まだの方は、ぜひ記事を。
呉さんの論は、さらに深まる。親の学力低下は、高い確率で子どもに伝播する。学力不足の「遺伝」である。
記事によると、「暴走万葉仮名」の名前は、いわゆる底辺大学の女子学生に多いという。反して、いまや少数派となってしまった「子」や「枝」の付く名前の女子は学力の高い大学の学生に多いらしい。この傾向は生活水準の高低にも反映されているという。
子どもの名前から、学力格差ばかりか、生活格差まで読み取れる、というのだ。
最近は、さらに「おバカ・タレント」なるキャラが人気。自分の知性の低さをネタに笑いを得ている。
呉さんによると、学生運動のころから「単純」がもてはやされ始め、すでに知性のなさを売り物にする若者が出始めていたという。
なんだか、社会の錯乱状態が猛スピードで進んでいるなぁ。
ちなみに、呉さんの論をトリッキーという人がいる。私は、まったくの正統派だと思う。呉さんの論に触れることは、社会の錯乱状態を認識するために、非常に有効だと思っている。
あと、関係ないが、呉さんと誕生日が一緒。ちょっと自慢である。
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