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『聖母マリアの栄光』聖アルフォンソ・リグオリ著

2022-08-18 01:18:05 | 聖母崇敬
聖アルフォンソ・リグオリ著 『聖母マリアの栄光』より

第5章
「この涙の谷に泣き叫びて ひたすら仰ぎ望みたてまつる」からの抜粋。

 副題
「わたしたちが救われるためには、マリアのおんとりなしが必要である」より。

 既に述べたように、マリアのおんとりなしが、絶対に必要であるというのではない。なぜなら、イエズス・キリストの仲介だけが絶対的必要性をもっているからである。

 けれども、マリアのおんとりなしは、論理的に必要である。なぜなら、聖ベルナルドが述べた教会の考えによれば、「神は、マリアの御手を経ない書を、一つでも、私たちに与えることをお望みにならないからである」

 しかも、聖ベルナルドよりずっと以前に、聖イルデフォンソは、聖母マリアに、次のように申し上げて、これを断言しているのである。

「ああ、マリアよ。主は、人間に与えようと決意したすべての善を、あなたの御手に託した。だから、主は、その恩恵のすべての宝と、すべての富とをあなたに託したのです。」

 聖ペトロ・ダミアノはこれに付言して、「神がマリアの承諾をえないうちは、人になろうとお望みにならなかったのは、まず、わたしたちすべてに、この限りなき恩恵を、私たちの御母から受けさせるためであり、私たちが、すべての人の救いは、マリアによるものであることを悟るためである」と述べています。





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