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前嶋信次(慶大教授)「預言者、マホメット」『世界の歴史 8 イスラム世界』河出書房 2

2016-07-09 22:37:50 | イスラム教
前嶋信次(慶大教授)「預言者、マホメット」『世界の歴史 8 イスラム世界』河出書房

2、アラビアの神々

 古代のアラビアの民が崇拝した神々のうち、最高位を占めていたのはアバルで、その下に三位の女神(アル・ラート、アル・ウッザ、マナート)があった。この女神たちは姉妹神だった、ともいうし、アル干ラートとマナートとがアル・ウソザの娘であった、ともいう。メッカの町では、五世紀の末ごろから、クライシュという一族が勢力を張り、その支配権を握っていたが、この一族が氏神として尊崇していたのがウッザ女神であった。緑の町ターイフは、一八〇〇メートルほどの高地にあるため、気候もメッカなどよりはるかに爽涼である。ここの民はアル・ラート女神を守護神としていた。アル・ウッザの御神体は聖木で、アル・ラートのは四角い岩であった。
 マナート女神の御神体も巨石で、メッカの北方のクダイドという山麓の地にあったが、この神をもっとも崇拝したのは、ヤスリブ(現在のメディナ)の住民たちであった。これは、死をもたらす運命の女神だったから、人びとはあがめ、かつ恐れていた。

 これらの神々のほか、雷の神たるクザイがあり、虹はその弓であり、電光はその矢であり、電はその投槍であるとされていた。
 美と愛の女神にアッ・ズーン、いけにえの血を好む黒い頭をした巨人のようなアル・アァルサド、石に変った星の神サアド、太陽の女神シャムス、恋と友情の神ワッド等々があった。メッカの町から五キロほどの東にあるヒラー山(現在の光の山〕、町のすぐ東のアブーークバイス山、町から一〇キロほど離れたアラアァート山など、みな神霊の宿るところとして神秘の色に包まれていた、けれど神秘の色は山の峰や谷、洞櫨などをおおっていたのみではなくて、平地を、所在の泉や井戸、石や樹木をこまやかに包んでいたのである。

 古い伝説によれば、カアバは、もとは永遠性をつかさどるズハル(土星)を祀ったところであり、それゆえに、あまた世の変遷を経ても滅びることがなかったのであるという(一〇世紀のアル・マスウーティの『黄金の牧場』による)

 マホメットが生まれたころ、カアバにはフパル以下数十の神像が祀られてあった、とのことで、のちにイスラムの唯一絶対の神となったアッラーフ(アッラー)も、そのうちで重要な神のひとつであった。昔のカアバは、高さもひとの身長くらいにすぎず、屋根も葺いてはなかったというが、七世紀のはじめころに壁を高くして屋根をつくり、入口の扉も高いところへつけるように改築したといわれている。東方の角、地面から約1メートル半ほどの高さのところに、有名な黒石がはめ込んであるが、いくつにも割れたものをつぎ合わし、これを石の枠の中に入れ、さらに銀の輪を巻いたものである。

 所伝によれぽ、これはアダムが天国からもたらしたもので、神とひととの契約の証拠なのであるが、のちにアブラハムがカアバを再建したときに、大天使ガブリエルから渡されたのであるといい、またアッラーの指先であると信ずるものもある。しかし西欧の学者たちには、この石は、イスラム以前の多神教時代の神体のひとつではないか、と考えているものがおおい。イスラム教徒の中にも、早くからこの石にたいして疑問を抱くものがあって、第二代カリフのオマルのごときも「もし預言者(マホメット)がそなた(黒石)に接吻しなかったならば、わたしも接吻はしないであろう。そなたがただ一塊の石にすぎぬことをわたしは知っているから」といったとも伝えられている。
 カアバの西角面にも、黒石と同じ高さぐらいのところに福の石とよばれるものがはめこんであるが、黒石ほどには有名でない。
 かのザムザムの霊泉は、深さ四二メートルほどで、上は円屋根でおおわれ、黒石のあるところの前方にある。昔、マホメットの祖父アブドル・ムッタリブが、土砂に埋もれていたこの井戸を修理したところ、黄金製のカモシカや、刀剣、それから甲冑などが出てきたといういい伝えも残っている。

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