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世に救い主をもたらしたおとめ ほめたたえよう 清いおとめ マリアを(聖エフレム)7-2

2019-07-24 04:55:56 | 聖母讃歌
『ほめたたえよう 清いおとめ マリアを』聖エフレム原作、デルコル神父、江藤きみえ 共訳・編

◆7-2、救い主をもたらしたおとめ

第2考察 世に救い主をもたらしたおとめ(聖マリア)

聖エフレムは、マリアの清けさと、偉大さと、ありがたさとを、つぎのように歌います。

③ 星がでると、わたしたちは、マリアのことを考えます。すべての星のみあるじが、おあらわれになったからです、わたしたちのために。〔マりアのおん子である〕みあるじこそ、この世に生まれて、やみを追いだし、遠い国の民ぐさまで、その光線で、おてらしになったので、かれらは、おくりものをたずさえて、はるばる訪ねたべトレヘムの、うまやのなかで、これをささげ、ひれふして拝んでから、故国へ帰っていきました。

④ 天地万物は、このよき日、ひびかせますように、ほめうたを。すべての人は、くちに、あふれさせますように、ほまれの歌を。人々は、賛美のしらべで、舌をふるわせ、もろもろの民は、こぞって、歌いますように、ことほぎの歌を。"いと高きところには、主に光栄、地には、すべての人々に平和、世のために、救い主がお生まれになったから"と。

⑤ 感嘆すべきまぼろしをみた、あの〔予言者〕エゼキエルは、このよき日、よろこひに、あふれるでしょう、その予言のとおりに、実現したからです。バビロンの、さすらいのときに、閉じたままの門をみて、かれはいいました、"この門は、封じられたままに残るだろう、主がここを通って、はいるから'と。封じられていたその門は、マリアのことで、この門を通っておいでになったキリストは、これを開けずに、おはいりになったのです、この世に!〔この偉大なふしぎの前に、〕さぐり人たちは、何をいうことができましょう?



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