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マリアと共に歩む(4)

2020-10-26 12:28:17 | 信心
男子跣足カルメル会『カルメル山の聖母 - スカプラリオを理解するために』ドン・ボスコ社

◆20、マリアと共に歩む(4)

 やがてエリザベットを訪れます。神の計画が自分のうちに実視して行くのを感じながら・・・。マリアは冗舌や雄弁を知りません。実行にとりかかります。これもキリスト者らしく。出会う困難や疲れを予想はしていますが、長い徒歩の旅に出ます。愛を実行に移すために。伯母のエリザベットの手助けに行くのです。つまり愛するために赴くのです。ところが神に照らされたエリザペットが、マリアのうちに成就しつつある不思議を知ることになったので、マリアは、自分の驚くべき例をみない体験を語ることになります。神がなさりつつあるみ業を。エリザベットがもう知っているので、ためらわずに桝(ます)の上に灯を置き、そのはしための小ささをごらんになりながらもなお、偉大なことをなさった神を賛美するのです。

 そこで、どんな革命ものりこえることのできないメッセージを人類に伝えます。権力者をその座から引きおろして、しいたげられていた人々を高め、金持ちを空手で帰らせ、飢えていた人々によいものを与えるお方が来るであろう、と。ほんの少女にすぎないマリアは預言者となって、この二十世紀も、それより先の時代をも見抜きます。神がマリアのうちに語るからです。イエズスだけが地の表を変え、富める者はわざわいだと言ってのけ、いやしめられていた人人を高め、飢えている人の飢えを鎮め、富める人が自由にその富を与えるようにさせて、その富をとりあげることができる、とマリアはそう断言します。

 宗教的、社会的にこれほどの内容を歌いあげた人物は、今日でも尊敬に価するのではないでしょうか。現代の人類社会をゆり動かしている社会連動の先頭にはこの人を押し立てるべきではなかったでしょうか。聖書は「一人の女性が蛇の頭を踏み砕く」と言っているではありませんか。悪との戦いにおいて人類の指揮をとるべきは、マリアに違いありません。レオ十三世教皇は、美しくも諸国民の元后、マリアによって国々がひとつにまとまる日が来るに違いない、と考えました。


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