『地獄について この無視された真理』アロイジオ・デルコル神父、22
◆2、地獄の回想
「現代の危機を告げるファティマの聖母の啓示」ルチア修女の手記、カバッソ・志村共訳編、ドン・ボスコ社発行、94-98ページから。
数日の後、わたしたちが牧場へ行った時、ヤチンタは岩の上に座って深く考え込んでいました。
「ヤチンタ、遊びに来てちょうだい」とわたしは言いました。
「遊びたくない」「なぜ?」「なぜって、わたしは考えることがあるのよ。貴婦人は、わたしたちにロザリオを唱えることと、罪人の改心のために犠牲をすることを願われたのよ。わたしたちは、これからロザリオを唱える時、天使祝詞と主の祈りを全部唱えなければならないのね。そして、どんな方法で、犠牲をしたらよいでしょう?」フランシスコは、
「わたしたちの弁当を羊にあげよう。そうすれば、空腹の犠牲を神に献げることが出来るから」と言って、弁当をみな羊にあげてしまいました。
それで、その日、わたしたちは厳しい断食を守りました。ヤチンタは深い黙想をしながら、岩の上にまだ座って、こう尋ねました。
「貴婦人は、多くの霊魂が地獄へ落ちるとおっしゃったけれど、地獄とはどんな所かしら?」
「たくさんの野獣が住む深い大きな井戸のようですがその中に火の海があり、罪を犯して後悔しない人は、その中に陥ちます。陥ちた罪人は、いつまでもその中で燃えています」
この記述は、教理を教えてくれた母から聞いたものです。
「外へ出ることは出来ないの?」
「いつまでも出来ません」
「長い長い年月のあとでも出られない?」
「ええ、出られません、地獄は終わりがないから」
「天国も終わりがない?」
「ええ、天国へ行く人は、いつまでもそこにいるでしょう」
「でも地獄に入った人は、もう出られない?」
「天国と地獄は、永遠のものですから、終わりがありません」
わたしたちは、その時、初めて地獄と永遠について黙想しました。ヤチンタは永遠の考えにもっとも心を奪われたので、度々遊んでいる間に、それをやめてこう尋ねました。
「でも地獄に入った人は、もう出られない?」
「天国と地獄は、永遠のものですから、終わりがありません」
わたしたちは、その時、初めて地獄と永遠について黙想しました。ヤチンタは永遠の考えにもっとも心を奪われたので、度々遊んでいる間に、それをやめてこう尋ね返した。
「ちょっと聞いて下さい。地獄は長い長い年月の後にも終わりがないの?そして地獄に行く人は、死にませんか、かれらをその所から救い出せませんか?もし人々がかれらのためにたくさんの犠牲をするなら、同じようにかれらは地獄から出られませんか? かわいそうな罪人。わたしたち! その人たちのために祈らなければならないし、たくさんの犠牲をしなければなりません」。
それから統いてこう言いました。
「あの貴婦人は、なんとよいお方でしょう。わたしたちを天国へ連れてゆくと約束をなさいました」
地獄の出現は、フランシスコの心を非常に強く打ったので、わたしたち三人の中でかれにより大きな影響を与えたように見えました。かれにもっとも印象を与えたのは、わたしたちの心に入りこんだ光の中で感じた神の三位一体と、主イエズスの現存でした。かれは後でこう言いいました。
「わたしたちは、あの光の中にいたけれど、神がそこにいらっしゃったので、わたしたちは燃えなかった。わたしたちは本当に言葉でそれを言い表わすことが出来ないけれど、主がそんなに悲しんでおられるのは、何とかわいそうなことだろう。わたしは、主イエズスを慰めることが出来れば、どんな犠牲をも献げたい」
ある日、わたしたちは牧場のペドレイダへ行った時、羊を放牧してから、岩から岩へ飛んで、深い谷底で、声のやまびこをしました。フランシスコは、いつものように岩の中の穴にかくれました。長い時間経ってから、わたしたちはわたしたちとマリア様を呼ぶかれの叫び声をききました。かれに、何かが起こったと思い、わたしたち二人は、その名を呼びながら悲しんでかれを探しに走ってゆきました。
「どこにいるの?」と呼ぶと、
「ここに、ここに」と答えました。
けれどかれを見つけるまで、かなりの時間がかかりました。やっと見つけた時、かれは恐れのために震えて、立ち上がることさえ出来ませんでした。
「何が起こりましたか」
かれは恐れで窒息しそうな声をして、
「わたしたちが地獄で見た一匹の恐ろしい野獣がここにいたんだ。ここで火の炎を口から吹き出した」と答えました。
わたしとヤチンタは、何も見ませんでしたから、笑いながら、
「あなたは前には地獄のことを考えたくないので、少しも恐れなかったのに、今、わたしたちの中で、あなたが地獄を一番こわがっています」と言いました。
しかしヤチンタは、地獄の恐ろしさを思い出し、特別に感動してこう言いました。
「地獄のことをあまり考えないで。それより主イエズスと、聖母のことを考えましょう。わたしも地獄のことを考えないから恐れていません、とあなたは前まで言っていたのに」
その時のフランシスコは、恐れ以外に何もありませんでした。フランシスコは夜でも、ためらわずに暗闇の中を、どこへでも行ったり、とかげと遊んだり、蛇に逢ったら杖のまわりに上がるようにしたり、また蛇に飲ませるために羊の乳をしぼったり、狐や山兎の洞穴を探したりして、全然、恐れない子供でした。それなのに、その日は非常な恐怖におそわれていました。
注:死、審判、天国、地獄をあわせて四終といい、しばしばこれについて考えることは救いのために大切な教えである。罪人が地獄に陥ちないように祈るのは、神のみ旨を行う愛の行いである。
◆2、地獄の回想
「現代の危機を告げるファティマの聖母の啓示」ルチア修女の手記、カバッソ・志村共訳編、ドン・ボスコ社発行、94-98ページから。
数日の後、わたしたちが牧場へ行った時、ヤチンタは岩の上に座って深く考え込んでいました。
「ヤチンタ、遊びに来てちょうだい」とわたしは言いました。
「遊びたくない」「なぜ?」「なぜって、わたしは考えることがあるのよ。貴婦人は、わたしたちにロザリオを唱えることと、罪人の改心のために犠牲をすることを願われたのよ。わたしたちは、これからロザリオを唱える時、天使祝詞と主の祈りを全部唱えなければならないのね。そして、どんな方法で、犠牲をしたらよいでしょう?」フランシスコは、
「わたしたちの弁当を羊にあげよう。そうすれば、空腹の犠牲を神に献げることが出来るから」と言って、弁当をみな羊にあげてしまいました。
それで、その日、わたしたちは厳しい断食を守りました。ヤチンタは深い黙想をしながら、岩の上にまだ座って、こう尋ねました。
「貴婦人は、多くの霊魂が地獄へ落ちるとおっしゃったけれど、地獄とはどんな所かしら?」
「たくさんの野獣が住む深い大きな井戸のようですがその中に火の海があり、罪を犯して後悔しない人は、その中に陥ちます。陥ちた罪人は、いつまでもその中で燃えています」
この記述は、教理を教えてくれた母から聞いたものです。
「外へ出ることは出来ないの?」
「いつまでも出来ません」
「長い長い年月のあとでも出られない?」
「ええ、出られません、地獄は終わりがないから」
「天国も終わりがない?」
「ええ、天国へ行く人は、いつまでもそこにいるでしょう」
「でも地獄に入った人は、もう出られない?」
「天国と地獄は、永遠のものですから、終わりがありません」
わたしたちは、その時、初めて地獄と永遠について黙想しました。ヤチンタは永遠の考えにもっとも心を奪われたので、度々遊んでいる間に、それをやめてこう尋ねました。
「でも地獄に入った人は、もう出られない?」
「天国と地獄は、永遠のものですから、終わりがありません」
わたしたちは、その時、初めて地獄と永遠について黙想しました。ヤチンタは永遠の考えにもっとも心を奪われたので、度々遊んでいる間に、それをやめてこう尋ね返した。
「ちょっと聞いて下さい。地獄は長い長い年月の後にも終わりがないの?そして地獄に行く人は、死にませんか、かれらをその所から救い出せませんか?もし人々がかれらのためにたくさんの犠牲をするなら、同じようにかれらは地獄から出られませんか? かわいそうな罪人。わたしたち! その人たちのために祈らなければならないし、たくさんの犠牲をしなければなりません」。
それから統いてこう言いました。
「あの貴婦人は、なんとよいお方でしょう。わたしたちを天国へ連れてゆくと約束をなさいました」
地獄の出現は、フランシスコの心を非常に強く打ったので、わたしたち三人の中でかれにより大きな影響を与えたように見えました。かれにもっとも印象を与えたのは、わたしたちの心に入りこんだ光の中で感じた神の三位一体と、主イエズスの現存でした。かれは後でこう言いいました。
「わたしたちは、あの光の中にいたけれど、神がそこにいらっしゃったので、わたしたちは燃えなかった。わたしたちは本当に言葉でそれを言い表わすことが出来ないけれど、主がそんなに悲しんでおられるのは、何とかわいそうなことだろう。わたしは、主イエズスを慰めることが出来れば、どんな犠牲をも献げたい」
ある日、わたしたちは牧場のペドレイダへ行った時、羊を放牧してから、岩から岩へ飛んで、深い谷底で、声のやまびこをしました。フランシスコは、いつものように岩の中の穴にかくれました。長い時間経ってから、わたしたちはわたしたちとマリア様を呼ぶかれの叫び声をききました。かれに、何かが起こったと思い、わたしたち二人は、その名を呼びながら悲しんでかれを探しに走ってゆきました。
「どこにいるの?」と呼ぶと、
「ここに、ここに」と答えました。
けれどかれを見つけるまで、かなりの時間がかかりました。やっと見つけた時、かれは恐れのために震えて、立ち上がることさえ出来ませんでした。
「何が起こりましたか」
かれは恐れで窒息しそうな声をして、
「わたしたちが地獄で見た一匹の恐ろしい野獣がここにいたんだ。ここで火の炎を口から吹き出した」と答えました。
わたしとヤチンタは、何も見ませんでしたから、笑いながら、
「あなたは前には地獄のことを考えたくないので、少しも恐れなかったのに、今、わたしたちの中で、あなたが地獄を一番こわがっています」と言いました。
しかしヤチンタは、地獄の恐ろしさを思い出し、特別に感動してこう言いました。
「地獄のことをあまり考えないで。それより主イエズスと、聖母のことを考えましょう。わたしも地獄のことを考えないから恐れていません、とあなたは前まで言っていたのに」
その時のフランシスコは、恐れ以外に何もありませんでした。フランシスコは夜でも、ためらわずに暗闇の中を、どこへでも行ったり、とかげと遊んだり、蛇に逢ったら杖のまわりに上がるようにしたり、また蛇に飲ませるために羊の乳をしぼったり、狐や山兎の洞穴を探したりして、全然、恐れない子供でした。それなのに、その日は非常な恐怖におそわれていました。
注:死、審判、天国、地獄をあわせて四終といい、しばしばこれについて考えることは救いのために大切な教えである。罪人が地獄に陥ちないように祈るのは、神のみ旨を行う愛の行いである。