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『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 6

2017-02-13 14:05:11 | リジューの聖テレーズ
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 6

 イエズスさまは、おおせになりました、「天の国は、暴力でせめられ、暴力のものがそれを奪う」(マタイ11・12)と。

 すると、努力なしには、天国にいけないことになります。この暴力の意味をテレジアは、よく知っています。自分の悪いくせや誘惑に戦って勝つことです。だから、母がわりの姉さんが、きびしく教育をするとき、つらくても、自分のためと考えて、まいにち、たくさんの徳の花をイエズスにささげました。

 主は、またあるとき、こうおっしゃいました、「助けるために、小さな人や貧しい人、困っている人にしてあげることは、わたしにしてくれることになる」と。

 それで、マルタン家では、前から貧乏人に施しをする習慣がありました。それは、たいてい月曜日になっていたので、その日になると、午前ちゅうにたくさんの貧乏人が訪れます。

 ある日、姉のポリーヌが、テレジアにいいました、

「テレジアちゃん、これからあんたは、貧しい人の召し使いになるのよ。月曜日の施しをくばる役目をあげるからね」

「わあ、うれしい!」テレジアは、とびあがって喜びました、「早く月曜日が来ないかなあ!」

 いよいよ、きょうは月曜日です。ほほえみながら、姉さんの準備したパンやお金を親切にくばるかわいいおじようちゃんに、貧しい人たちは、感嘆しました、「まるで天国からまいおりてきた天使みたい!」と。

 父と散歩するときも、出あった貧しい人に施しを渡すのは、きまってテレジアの役目でした。


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