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『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 10

2017-03-04 03:23:08 | リジューの聖テレーズ
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 10

 ある日、テレジアの目にとまった十字架上のイエズスのご像は、あまりにいたましく悲しげです、《イエズスさまは、人々の救いのために、こんなにおん血を流されたのに、それでもお恵みに逆いて地獄にいく人がいるとしたら、どんなにみ心は苦しまれることでしょう》と、テレジアは考えました。このときから罪人の救いのための熱心な祈りとぎせいがはじまりました。

 ちょうどその頃、世にも珍らしいといわれるほどの大悪人が死刑の宣告をうけました。死刑までにわずか2-3日しか残されていないのに、かれはどんなに司祭が努力しても回心しません。これをもれ聞いたテレジアは、かれのために愛のかぎりをつくして、特別な祈りをささけました。

 そして死刑のあった翌日新聞でみたことは何だったでしょう?「イエズスさま、カれを救ってくださってありがとりこざいます」とテレジアかれは死刑台にのぼりつめたときとつぜん心を打たれたようにふり返って、十字架にせっぷんしたのです。

 テレジアは、大よろこび、心に叫んでいいました、「イエズスさまが、わたしの小さな祈りと徳の花をうけいれてくださった!ああ、なんというしあわせ! わたしは、ひとりの罪人の魂を救えた・・・それなら、10人、百人、千人、いやそれ以上の魂だって救えるでしょう。そうだ、カルメル会にはいろう。そして祈りとぎせいと、いや、このいのりだって、なん千人の罪人のためにささげましょう」と。

 それにしても、16才まで1年半あります。とにかく父にゆるしを願うことにしました。もう3人の娘をささげた父です。目にいれても痛くない末っ子までもといったら、どんな気持ちでしょう? テレジアは胸の病む思いでしたが、聖霊降臨の日に打ち明けました。父は泣きました。でもいいました、「主がお召しになる所にいきなさい。わたしの愛する娘よ」




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