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3-9-2 完璧の使者

2018-09-08 17:46:28 | 世界史
『東洋の古典文明 世界の歴史3』社会思想社、1974年

9 富国と強兵

2 完璧(かんぺき)の使者

 趙は恵文王の代になっても、依然として強国であった。
 この時期に名将として聞こえたのが、廉頗(れんぱ)である。
 斉を攻めて破り、恵文王の十六年(前二八三)には、功によって上卿に任ぜられている。
 以来、趙の国の重鎮(じゅうちん)であった。
 ちょうどそのころ、恵文王は楚の国から和氏(かし)の璧(たま)という名玉を手にいれた。
 これをきいた秦の昭襄王は、使者をつかわし、十五城をもって璧と交換したい、と申しいれた。
 恵文王は、廉頗や大臣たちをあつめて評定(ひょうじょう)した。
 璧を秦にあたえても、おそらく十五城はえられず、あざむかれるだけであろう。
 しかし、あたえなければ、これを口実に秦は攻めてくるに違いない。
 使者の役はむずかしかった。しかも、これを進んで引きうけたのが、藺相如(りんそうじょ)である。
 藺相如が、璧をささげて秦の都におもむくと、秦王はただちに引見した。璧をさしだすと、よろこんで受けとり、宮女や左右の者にみせた。
 みな、万歳をとなえた。相如は、秦王が城をくれるきもちのないことを、みやぶった。
 そこで進みでると、いった。「壁には瑕(きず)があります。お教えいたしましょう」。
 秦王は璧をわたした。相如は璧を持ってしりぞきながら、柱を背にして立った。
 怒りのために髪はことごとく立ち、冠をつきあげた(怒髪(どはつ)、冠を衝(つ)く)。
 かくて秦王にむかっていう。
 「わが国の評定では、みな申しました。秦は貪欲(どんよく)で、強大をたのみに、空言をもって璧を求めたのだと。
 かわりの城も、おそらくは手に入らぬであろうから、璧をわたさぬがよい、と申したのです。
 しかし私は反対しました。名もなき民のまじわりでさえ、あざむき合いはしない。
 ましてや大国においてをや。かつ璧ひとつのために、強秦にさからうべきではない、と。
 そこで趙王は斎戒すること五日、私に命じて璧をとどけさせたのです。
 大国の威光をはばかり、敬意をはらうからであります。
 しかるに大王が私を引見されて、儀礼はなはだ傲慢(ごうまん)、璧を手にするや女官にわたし、たわむれ、もてあそぶ。
 城を引きかえにする気持など、さらに認められぬ。されば璧を取りもどしたのだ。
 もし大王が、あくまでも私から璧をうばい取ろうとするならば、わが頭を、この璧もろとも柱に打ちつけ、くだいてしまおうぞ」。
 相如(しょうじょ)は璧(たま)を持って柱をにらみ、いまにも柱に打ちあたらんばかりであった。
 秦王は璧がくだかれることをおそれ、無礼をわびて、璧を請うた。
 さらに役人を召して、図上に十五城をしめし、これを趙に与えようと、ゆびさした。
 しかし相如は、なお秦王の不実を疑って、述べたてた。
 「和(か)氏の璧は、天下が共に伝えて宝とするものであります。よって趙王も五日の斎戒をなされました。
 大王もまた、五日の斎戒をなされ、しかるべき儀礼をととのえていただきたい」。
 ついに昭襄王も、五日間の斎戒を承諾し、相如を宿舎にかえらせた。相如は、それでも秦王を信用しない。
 自分の従者にそまつな服を着せて、璧を持たせて、間道(かんどう)から、趙に帰らせてしまった。
 五日たって秦王は、最高の礼をもって相如を引見した。相如は、すでに璧は手もとにないことを告げ、そしていった。
 「私は大王をあざむきました。その罪は死にあたることを承知しております。どうぞ、かまゆでの刑に処していただきましょう」。
 一同はおどろいた。相如を引ったてようとする者があったが、さすがに秦王はおさえた。
 いま相如を殺したとて、璧がえられるわけではない。しかも両国のあいだは絶たれよう。
 むしろ厚遇して、趙にかえしたほうがよい。
 こうして藺相如は、ぶじに帰国することができたのである。
 趙王は、その功をたたえて、上大夫(じょうだいふ=上席の大臣)に取りたてた。
 璧(たま)を完(まっと)うす、すなわち「完璧(かんぺき)」という語は、ここからうまれた。

悪魔について 2-5、どのようにして守られるか

2018-09-08 02:03:02 | 悪魔
『悪魔について - その存在と活躍』アロイジオ・デルコル神父編

◆2-5、どのようにして守られるか

 第二の質問、どのようにして守られるか、すなわち、悪魔の活動を妨げるには、どうすればよいか、に対する解答は、いうにやすく、行なうために困難なものである。

 ひとくちに言ってしまえば、こういえる、すなわち、
「罪から、わたしたちを守ること、それじたいが見えない敵からわたしたち
を守ることである"と。したがって、決定的な防衛力は、神のめぐみ以外には何一つありえないのである。

 清い心は、一つの要塞のようである。ここで、使徒たちがキリスト信者を守るすべての善徳を兵士の武装にたとえていることが思い出されるであろう。このようにキリスト信者は、戦う兵士、しかも警戒をおこたらない強い兵士でなければならない。

 そのために場合によっては、悪魔の、ある種の攻撃を防ぐための兵法として、ある種の修業も必要である。イエズスご自身、「この種のものは、祈りと断食によらずには、どうしても追い出せない」(マルコ9・29)とおおせになって、その方法をはっきりとお教えになった。

 では、もう一つ、使徒聖パウロの教えをきこう。かれは、「悪に勝たれるままにせず、善をもって悪に勝て」(ローマ12・21)といった。

 わたしたちは、現代人の霊魂、教会、全世界を悩ます今の世の困難が何であるかをしっかりと見極めて、「わたしたちの父よ、悪からお救い下さい」と絶えず願い求めよう。それこそ、昔から繰り返された、もっとも目立った祈りである。わたしたちは、その意味をよくさとり、心からとなえなければならない。このためにこそ、わたしの使徒的祝福は役立つと思う。

(ここに教皇パウロ六世の演説はおわる)。


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聖母マリアの御誕生の祝日  Nativitas B. Mariae V. 

2018-09-08 01:47:20 | 聖人伝
聖母マリアの御誕生の祝日  Nativitas B. Mariae V.     祝日 9月8日


 世間ではいろいろ知名の士の誕生が祝われるが、本来から言ってイエズスの御母聖マリアの御誕生日ほど祝すべく慶すべきはあるまい。彼女は天の元后であり、世の救い主の御母であり、全人類中罪の汚れなき唯一のお方であり、殉教者の元后と称せられるほど苦しまれたお方であり、恐らくまた過去のあらゆる名高き人々のそれを合わせたよりも多数の、教会、小聖堂、彫刻、絵画等の記念物を有し給うお方である。また人と生まれて聖マリアほどその名を呼び慕われ、誌に、音楽に説教に褒め讃えられるお方はない。
 彼女はイエズスの御母として救世の御事業に携わられた。イエズスは世の光であり、正義の太陽である。太陽は曙の中から生まれる。されば聖マリアは世の救いの曙と言えよう。
 我等はこの聖なるおとめの御生まれが紀元前何年であったか明らかには知らぬ。しかし、その御誕生は一切が不可思議であった。彼女の御両親はヨアキムとアンナであったが、共に年老いてしかも子種がなかった。彼等は幾年も根気よく、家の絶えぬよう子孫の与えられんことを天主に祈願をこめた。その祈祷はついに聴かれ玉のような女の子を恵まれた。その時の彼等の歓びはどのようであったろう!しかしもしその子マリアが比類なく清い霊魂の持ち主であり、天主に永遠の昔から救い主の御母と選ばれていたことを知ったら、彼等の歓びは更に更に大きく、親戚と声を合わせて「麗しかなマリア!汝には原罪の汚れもあらず」と讃歌を歌ったに相違ない。
 それはさておき長い間の念願叶って愛らしい娘を得たヨアキムとアンナは、感謝のあまり彼女を天主に献げて聖殿に奉仕させる事を誓った。彼等は共に聖王ダヴィドの裔だけあった、それほど敬虔の念に篤かったのである。そしてマリアが三歳に達すると、彼等は先の誓いを果たす為に、彼女を聖殿へ連れて行った。彼等は手放すに忍びぬ心をようように抑えて、我が子を神事奉仕のおとめ達の群れに加え、聖殿に起居させることとした。手放すに忍びぬというのは、マリアが普通の子供と違い、どこか聖い、どこか厳かな所を具えていたからである。彼女を見る者は誰しも自ずと愛を感ぜぬ訳にはゆかなかった。まして親ともなればなおさらのことである。けれどもヨアキムやアンナはその人情を天主の為犠牲として献げたのであった。
 マリアは聖殿に於いてすくすくと生い立ち、年齢の加わると共にその智慧もいや増した。そしてそれからヨゼフの許嫁となり、救い主の御母となり、御子と苦行を共にされた。彼女はイエズスが十字架にかかって死に給うを見、またその御復活に逢われた。後御自分も世を去られるや、霊魂肉身諸共天に迎えられ給うた。彼女は今、天の元后、恩寵の分配者、聖会及び全人類の母にして保護者と仰がれておいでになる。実際あの敬虔な両親ヨアキムとアンナがこれらの事の半分も知っていたならば、どんなに喜びに満ち溢れかつその愛子を尊敬されたことであろう!しかし我等はその一切を知っている。故に心から喜び躍ろう。「ああ天主の御母聖マリアよ、御身の御誕生は全世界を喜びと慰めもて充満せり。そは正義の太陽、我等の天主なるイエズス・キリストが御身より生まれ給いたればなり」これは本日聖会が祈る言葉である。

教訓

 聖マリアは救世主キリストの御母である。けれどもキリストは十字架上から彼女を全人類の御母と立て給うた。孝子は母の誕生日に口で慶祝を述べるばかりでなく、また愛情込めた贈り物をしてそれを現すものである。さて聖マリアは慈愛に富むこの上もない御母であるから、我等はその御誕生日の贈り物として、己のおもな欠点を直す決心を献げ、且つ、その決心を実行することに努めよう。


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