JBpress (福島 香織:ジャーナリスト)
2024年9月20日
日本人男児殺害事件について記者会見で説明する中国外務省の林剣副報道局長(9月19日)、犯行の動機は明らかになっていない(写真:共同通信社)
9月18日、中国・深圳の日本人学校に通う10歳の男児が刃物で襲われ、翌日死亡が確認された。18日は反日感情が高まる「国恥日」だった。6月にも日本人学校のスクールバスを待つ日本人母子が襲撃されている。日本人は標的にされているのか、背景を検証する。
9月18日、深圳の日本人学校に登校中の10歳の男児が44歳の中国人男に刃物で襲われ、腹部を刺された。病院に搬送され治療をうけるも翌日に死亡が確認された。
この事件はすでに日本メディアが繰り返し報道している。だが、未だに男がなぜこの少年を襲ったのか動機は明らかにされていない。一つ言えることは、9月18日には中国人の仇日情緒、反日情緒が特にたかまる「国恥日」、柳条湖事件が起きた日であったこと。
事件が起きた中国・深圳には日本企業も数多く進出している(イラスト:共同通信社)
そして3カ月の間に日本人学校の生徒を標的にした襲撃事件が2回も起きたことから、やはり日本人を狙った事件であろう、と多くの人たちが想像しているということだ。
6月に蘇州の日本人学校スクールバスを待つ日本人母子が刃物男に襲撃された事件のときは日本人をターゲットにしたものではない、と中国当局は説明していたが、その時も私は日本人が特に狙われやすい事情があると、このコラム欄でも警告したと思う。
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繰り返しになるが、なぜ日本人が今の中国社会で人民の不満や憎しみの矛先を受けやすいのか、背景を今一度整理したい。
国恥日とは、1931年9月18日、遼寧省瀋陽市近郊の柳条湖付近で、関東軍(日本軍)が南満洲鉄道の線路を爆破した事件、柳条湖事件の屈辱を忘れてはならない、という意味で呼ばれている。柳条湖事件が発端となり、関東軍の中国東北部占領、1932年3月1日の満州建国という流れになる。
毎年、9月18日は、中国社会で反日情緒の発露がとくに起きやすい日であり、各地でこの日を記念するイベントが催される。事件の現場の瀋陽では9月18日午前9時18分、防空警報が鳴らされ、車道を通る車が一斉にクラクションを鳴らし、日本になめさせられた屈辱、辛酸を忘れない決意を表明する。中国には、こういう仇日情緒、反日情緒が高まる特別な日というのが、1年のうちに何日かあるということを忘れてはならないだろう。
今回の事件は、そんな特別反日情緒の高まる9月18日に発生した。経緯を振り返ってみよう。
事件について中国・ネット民はどう反応したか
9月18日午前8時ごろ、深圳の日本人学校の校門200メートルのところで、通学中の10歳の男児が刃物を持った男に襲われた。母親に電動自転車で送ってもらい、校門に向かうところで、母親の目の前の凶行だった。男は現場で取り押さえられ逮捕された。
男児はすぐに病院に搬送されたが、腹部を刺されており、緊急手術を行うも、翌日に死亡が確認された。
死亡した日本人学校の児童が男に襲われた現場=9月19日、中国広東省深圳市(写真:共同通信社)
事件が9月18日に起きたのが偶然だったのか、犯人の動機に反日情緒が関係あったのか、それに関する情報はこの原稿執筆時点では得られていない。
香港・星島日報などによれば両親は日中の国際結婚カップルであり、男児は本来なら日中両国をつなぐ架け橋となるような存在であるはずだったが、もしその命が、中国の歴史教育の影響を受けた反日情緒が関係していたとしたらこれほど皮肉なことはない。
日本メディアは、現地の中国人もこの犯行に対し憤り、男児の犠牲を悼んでいることを伝えている。だが微博などでこの事件を報じるニュースに付いたコメントをみると、無辜(むこ)の子供が犠牲になった、ということで同情の声はもちろん多いのだが、やはり反日教育や日中関係の変化について言及する意見も散見されている。
ある微博コメントはこう指摘している。
「コメント削除を覚悟の上で書くけど、深圳含む国内の大都市では外資を吸引し、外資を留めようとしているが、一方で、民衆と子供たちに対しては西側や日本に抵抗せよ、反対せよといった宣伝と教育を行っている。我が家の娘ついていえば、10代の小学生だが、日本の話題を出すと、異様な興奮状態になって、いろんな罵り言葉を言い出す。理由を聞くと学校で先生たちが、日本は核汚染水で海を汚染し、そのせいで我々は海鮮を食べられなくなった、日本人たちは毒で我々中国人を死なそうとしているのだ、日本人は本当に卑劣だ、などと教えているのだという」
「数日前に新学期が始まり、最初の日は学校で労働を行う日だったが、娘が家に帰ってくるなり『今日は大事件があって、とても楽しかった』という。娘によればクラスメートと一緒に抖音(中国版TikTok)にアップされていた日本大使館かどこかの電話番号に、順番に電話をかけて日本人を一方的に罵ってきたのだという。相手側は娘が誰かもわからなかったようだ」…
犯人への擁護、同情のコメントもあった。
「犯人は人間性を失ったが、愛国者である」
「犯人を擁護する書き込みをすると削除される」…
この事件は中国政府にとって大きな外交的打撃になるだろうという見立てとともに陰謀論のコメントもあった。
「この事件で一番得をするのはまもなく自民党総裁選を迎える自民党だろう。自民党総裁になれば必ず首相になる。この事件で、より対中強硬的な首相が誕生することになるだろう」
「日本側の自作自演ということか」
「日本は最も反中的国家で、地政学上からいっても、統一された強大な中国を最も望まぬ国だ」
「日本が反省しないから、こういう事件が起きたのでは?」
「英国とフランスは和解に100年かかったのだから日中韓も100年かかる」
「これは仇恨教育の呪詛返しだ。(反日教育をやりすぎて、中国が窮地に追い込まれている、の意味)」…
こうしたコメントをざっくり眺めるだけでも、この事件を非難するにしても、犯人を擁護するにしても、犯行を反日、仇日の感情と関連づけてみる人は相当数いるのだ。
しかも、同様の事件が3カ月前にもあったのだ。中国江蘇省蘇州で今年6月、中国人男が、スクールバスをバス停で待っていた日本人母子を刃物で切り付けて襲うという事件があり、この時バススタッフの女性・胡友平さんが、男がスクールバスに乗り込もうとするのを身を挺して防ごうとして命を落とした。3カ月の間に2度、現場は日本人学校。これを偶然といえるだろうか。
中国で多発する「社会報復性テロ事件」
日中の世論がともに胡友平さんの英雄的行動に強く関心を寄せたことで、蘇州の事件については「日本人が狙われたのか」というところに報道の焦点があまり当てられなかった。中国側は日本人を狙った犯行ではない、と説明し、日本側メディアも世論もそのように受け止めた。
だが、今から思えば、中国において日本人は暴力事件のターゲットになりやすい、という意識をもっと喚起しておけば、再発防止措置がもっと徹底されたかもしれない。犯行の真の動機がどうであれ、今の中国で日本人が攻撃されやすい社会のムードがある、という前提をもっていれば9月18日に日本人学校を臨時休校することぐらいしたかもしれない。
中国ではもともと「社会報復性テロ事件」と呼ばれる、社会に不満や恨みをもった人間がその恨みの矛先を無差別に周囲、特に子供や女性など弱者に向ける犯罪が多い。最近は、経済の長期的な低迷や統制強化による息苦しさなどで社会の雰囲気は極めて悪く、こうした事件が急増している。
パターンとして多いのは車を暴走させて無差別に歩行者をはねる事件だ。9月10日、湖北省武漢で、車が通学中の子供たちの列に突っ込み、大勢の子供たちが血まみれになって倒れている様子の動画や写真がネットで拡散された。詳細は報じられていない。
男に襲われ命を落とした男子児童が通っていた日本人学校前に手向けられた花束やメッセージ=9月19日(写真:共同通信社)
9月3日、山東省泰安市の仏山中学で、スクールバスが暴走し、バスを待つ子供たちの列に突っ込み11人死亡13人負傷という大事件が起きた。スクールバスの暴走の原因については報じられていない。
7月に湖南省長沙市で車が人込みに突っ込み8人死亡、5人負傷の事件が起きた。これは住居を強制退去させられた容疑者が自分の不幸を社会に広く知らしめようとして起こした社会報復性テロ事件とされた。
刃物でいきなり人を襲う事件も多い。5月23日に湖北省孝昌市郊外の農村で男がナイフで自分の80歳代の母親を含めて村人を次々と襲い8人死亡、1人負傷という事件があった。
5月21日四川省自貢市の路線バス上で52歳の男が刃物で乗客を次々襲い、3人が負傷。20日には江西省鷹潭貴渓の小学校で刃物をもった女が次々子供たちを切りつけ、少なくとも2人死亡10人負傷という事件があった。
立て続けに刃物を使った無差別襲撃事件が起きたので、当時は、これも社会報復性テロだとネットで噂になった。ただ当局は事件の詳細については報道統制しており、事件の詳細な背景、犯行の動機についてははっきりしていない。
こういう事件について当局はだいたい、原因を犯人の精神疾患などとして、動機などは深くは追求していない。だが中国世論の受け止め方は、世の中に不満をもち、不幸に苦しむ人間が、周囲をその不幸に巻き込み、自分の不幸を世に知らしめるために起こす事件だとみている。そして社会不満の原因は、政治の悪さであり、その責任の矛先が共産党、あるいは習近平政権という風になりかねないので、報道が統制されるのだろう、と見ている。
社会の不満が日本や日本人に向かいやすい理由
今回の深圳の男児殺害事件も、6月の蘇州の事件も、犯人の直接的動機が何であれ、本質は中国の社会不安、不満を反映した事件ととらえることができる。だが、同時にその社会の不満が日本や日本人に向きやすい政治的歴史的背景は間違いなく存在する。
中国人は社会不満を暴力で発露することがよくあるが、共産党政権はそうした民衆の不満を自分たちに向かわないように誘導する。その誘導先が日本であることは今に始まったことではない。
2005年に起きた反日デモは、最初は明らかに官製デモであった。2010年や2012年の反日暴動も当局による動員があった。反日デモが社会不満の適度なガス抜きとして、ある程度容認されていたことは比較的周知の事実だろう。
私の考えを言えば、習近平政権になって、中国人民の情緒を反日に誘導する傾向が強まったとみている。理由は、習近平の政策の方向性が鄧小平路線から中国式現代化、習近平式改革という方向に転換したからだ。
つまり経済至上の政策から安全至上の政策に転換し、米国や日本などと経済を緊密化して先進国の仲間入りを望む方向性から、ロシアやイランの反米国家と組んでグローバルサウスの途上国を引き込み、欧米日本に対抗していく新たな経済圏を構築する方向性に切り替えた。
反日教育は今に始まったことではないが、胡錦涛政権までは日本との経済関係も重視し、同じ反日でも「コントロール可能な反日」を目指していた。適当なところで関係を回復しようと反日世論を抑えようともした。
だが習近平政権は日本との経済関係を配慮して、反日世論を抑えようという考えはない。習近平の反日誘導には手加減はない。
かつて反日世論は、「南京大虐殺」「慰安婦」「徴用工」といった戦争歴史問題、尖閣諸島など領土問題の宣伝、プロパガンダで誘導されてきた。だが、最近は日本の「スパイ問題」、「福島核汚染」「台湾独立に加担」といった問題を喧伝し、過去の歴史ではなく、今後、日本が中国に害をなそうとしている、といったより明確で激しい日本敵視情緒を醸成しようとしている。
本心では親日的な中国人も、こういう状況で日本人に同情的、擁護的な態度は表にできない。こうして中国人社会全体がより日本人に敵意を向けやすいムードに染まっていくだろう。
日本政府は中国に再発防止を求めたそうだが、習近平政権が目下行っている手加減のない反日、仇日、日本敵視の宣伝、教育、世論誘導をやめさせないかぎり、またこういう事件が起きうるという覚悟と警戒が必要だろう。
日中関係が昨年から今年にかけて、明らかに悪い方向へ大きく転換し、それは当面改善されそうにない。2010年や2011年に起きた反日暴動時代以上にやっかいな反日情緒がこれから中国に全面的に広がっていくと私はみている。
福島 香織(ふくしま・かおり)
ジャーナリスト。大阪大学文学部卒業後産経新聞に入社。上海・復旦大学で語学留学を経て2001年に香港、2002~08年に北京で産経新聞特派員として取材活動に従事。2009年に産経新聞を退社後フリーに。おもに中国の政治経済社会をテーマに取材。主な著書に『なぜ中国は台湾を併合できないのか』(PHP研究所、2023)、『習近平「独裁新時代」崩壊のカウントダウン』(かや書房、2023)など。
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