蒼月の物見遊山ぶらり旅

日々の生活で感じたこと思ったことををつづります。

大反省会

2007年09月30日 22時04分24秒 | Weblog
9月27日に開催された『飲食会』における新入生歓迎会実行委員会の視点と価値観で記す反省点です。


【イベント開催そのものの妥当性について】

当イベントの開催目的は『職員・教授・学生の3者の仲は不良であり、3者で何かを行うことがある場合にこの関係は問題であるために交流と主とした飲食会を催す。』である。

まず第一に3者が不仲である事実はあるのか。さまざまな憶測や噂が飛び交い、学生が学生の視点で事実とは歪曲された情報と拙い理解力でそう感じているだけではないのか。問題定義において自らが掲げた“問題”が誰の目から見ても問題であるかどうかを判断しなければならない、おおにしてこのタイプのイベントは大なり小なりの問題が発生してから行われるもので一個人の考えだけで判断するには多数の意見をある程度聞いてからでないと判断を間違えやすい。

次に『3者で何かを行う』という点である。これは非常に不明瞭な表現です、今までに大学の歴史で3者が共同で物事をこなしてきたことなどいくらでもあります。3者にはお互いの業務的・権利的・立場的な区分が存在するため確かに3者が同じ空間で作業をすることは少ないです。しかしそれは立場の違いからそうなっているだけで決して何も協力していないというわけではありません。立場が違えば協力の仕方が異なるのは当然です、しかしそれを表面的な捉え方しかせず一概に協力していないという見方はこれこそが問題であると感じます。

入学してからさまざまな“交流会”と名のつくイベントに遭遇しましたが現時点での見解では“交流会”というイベントで交流するのには限界があるということです。今回は交流に食事をかませましたが実際の参加者は飲食が目的で交流にはさほど興味が無く、それを外して単純に歓談のような雰囲気を作ってもやはり話す人はずっと話し、話さない人はやはり話さない。これは人の動きとして決して間違っておらずむしろ自然な行動です。人と人が話す理由はその状況の数だけ存在し、さらに人の心の動きなども関係してくるので正攻法など存在しない。すなわち一概にイベントを開催してそれに参加したからといって目的通りの交流が図れるかは状況・数値的にも不確かなのです。それぞれが違う考え・想いを持っている人達の動きをたった一つの方法で同じ方向に向かせることなど皆無に等しい、参加者の効用を満たせば主催者の意図が伝わりにくく、主催者の意図を優先すると参加者の効用を満たすのが困難になってくる。“交流会”というイベントはそれだけ参加者の効用を満たし主催者の意図通りに進めるのが難しいのです、このある種に矛盾をはらんだ両面同士をバランス良く運営するのが企画力・運営力なのかもしれませんがやはりイタチごっこになりやすいイベントの一つだと認識しています。