耳慣れないことばを聞いたら、すぐに調べてしまわないと。 うっかり、わすれてしまう。
せっかく出会えた、未知のことば。
この出会いを無駄にしては、もったいないので、さっそく調べてみる。
「トワッデル」 (twaddell)
なるほど。 ちょっと、どきりとすることばだ。
さらに web 検索をかけてみたところ、どうやら、「トワッデル度」 (degree of Twaddell) というと、比重の単位を表すようだが ... 。
そもそも、何語なのだろう? と思った。 さいきん話題になっている(?)、外来語みたいだけれど、 twaddell で英和辞書検索しても、人名や単位などの答えしか出てこない。
おかしいな ... ということで、さらに調べてみて、どうやら、twaddle のまちがいではないだろうか、ということに気がついた。
だから、ほんとうは、「トワッデル」 ではなく、「トワッドル」 あるいは 「トウォッドル」 が正しいのではないかしら ... ???
おそらく、耳で聞いたことばがひとり歩きして、やがて広まってしまったということなのだろうと想像するが、辞書がまちがっていて、どうするのか、と不安になる。 まあ、辞書でさえまちがうことがあるのだから、私の書いた 「たわ言」、 「無駄口」、 「駄文」 なんか、いったいどうなるのか? という感じだろうか ... ?!
そもそも、「たわ言」、 「無駄口」、 「駄文」 を言ったり、書いたりしない人がいるのかしらという気もしてきた。
じぶんは、決して 「トワッドラー」 ではない、と言い切れる人がどれだけ?
じぶん自身の話だが、私は、いろんな、「戯言(たわごと)」、「無駄口」 を重ねながら、生きてきた。 意味のある発言ばかりなんて、天才じゃあるまいし、そんなことできっこない。 ましてや、すべてが完璧な美文を常に書きつづけてきたとは思えない。 (当たり前)
けれども。 たくさんの無駄口の、三十回に一回でも、五十回に一回でも、百回に一回でも、なにか意味のあることが言えれば、まあ、じぶんにしては、たいしたものではないか、とも思っている。
むしろ、「無駄口」 のなかに、人生の真理や、こころの奥底の本音のようなものがひそんでいたりして ... とも思う。 無駄なことなんて、なにもないんじゃないかな、と。
もちろん、表現の仕方によるのだと思う。 その方法や状況によっては、「無駄口」 と受け取られても仕方のない場合があるかもしれないが。
うん。 もしかすると、「トワッデル」 とは、私のような考えの人が、そういうじぶん自身を戯画化するために使いはじめたものなのかな、と、想像した。
BGM:
Rolling Stones “It's Only Rock 'n Roll”
(本日は、「ローリング・ストーンズ記念日」 とのこと)
(‘I know it's only rock 'n roll, but I like it ! ’)
せっかく出会えた、未知のことば。
この出会いを無駄にしては、もったいないので、さっそく調べてみる。
「トワッデル」 (twaddell)
たわ言.無駄口.駄文.またそれらをする人.〈現〉
infoseek 辞書 検索結果より
なるほど。 ちょっと、どきりとすることばだ。
さらに web 検索をかけてみたところ、どうやら、「トワッデル度」 (degree of Twaddell) というと、比重の単位を表すようだが ... 。
そもそも、何語なのだろう? と思った。 さいきん話題になっている(?)、外来語みたいだけれど、 twaddell で英和辞書検索しても、人名や単位などの答えしか出てこない。
おかしいな ... ということで、さらに調べてみて、どうやら、twaddle のまちがいではないだろうか、ということに気がついた。
twaddle
━━ n., vi. むだ口(をきく).
goo 辞書 検索結果より
だから、ほんとうは、「トワッデル」 ではなく、「トワッドル」 あるいは 「トウォッドル」 が正しいのではないかしら ... ???
おそらく、耳で聞いたことばがひとり歩きして、やがて広まってしまったということなのだろうと想像するが、辞書がまちがっていて、どうするのか、と不安になる。 まあ、辞書でさえまちがうことがあるのだから、私の書いた 「たわ言」、 「無駄口」、 「駄文」 なんか、いったいどうなるのか? という感じだろうか ... ?!
そもそも、「たわ言」、 「無駄口」、 「駄文」 を言ったり、書いたりしない人がいるのかしらという気もしてきた。
じぶんは、決して 「トワッドラー」 ではない、と言い切れる人がどれだけ?
じぶん自身の話だが、私は、いろんな、「戯言(たわごと)」、「無駄口」 を重ねながら、生きてきた。 意味のある発言ばかりなんて、天才じゃあるまいし、そんなことできっこない。 ましてや、すべてが完璧な美文を常に書きつづけてきたとは思えない。 (当たり前)
けれども。 たくさんの無駄口の、三十回に一回でも、五十回に一回でも、百回に一回でも、なにか意味のあることが言えれば、まあ、じぶんにしては、たいしたものではないか、とも思っている。
むしろ、「無駄口」 のなかに、人生の真理や、こころの奥底の本音のようなものがひそんでいたりして ... とも思う。 無駄なことなんて、なにもないんじゃないかな、と。
もちろん、表現の仕方によるのだと思う。 その方法や状況によっては、「無駄口」 と受け取られても仕方のない場合があるかもしれないが。
うん。 もしかすると、「トワッデル」 とは、私のような考えの人が、そういうじぶん自身を戯画化するために使いはじめたものなのかな、と、想像した。
BGM:
Rolling Stones “It's Only Rock 'n Roll”
(本日は、「ローリング・ストーンズ記念日」 とのこと)
(‘I know it's only rock 'n roll, but I like it ! ’)