真田丸が始まって、早くも3月になりました。
その真田丸、イマイチ視聴率が上がらない状況みたいですが、大河ドラマの視聴率って案外当てにならないかもしれません。
その理由はというと、週に3回もテレビで放送されて更にオンデマンドでも放送されている状況では、視聴率も日曜夜8時だけではあまり意味がないとは思います。
それよりもtwitterとかの反応を見ると、多くの人が関心を持っているのではないでしょうか。
因に「駆引」では16.6でした。
さてさて、そんな中、この真田丸に関して否定的な意見も聞こえてきています。
そのような否定的な意見の一つに
「合戦の描写がほとんどなく、大河ドラマ始まって以来の安上がり大河」
というものがあります。
確かに今まではメジャーな合戦と呼ばれているところはすべてスルー。ナレーションのみで終わっています。
でも、当初から三谷さんは「真田目線で描く」という事だったので、本能寺の変も真田さんたちは全く関わっていないので、当時のその他多勢の人たちのように伝聞でしか聞いていない訳です。ですから、ああいう描写になったのでしょう。
また、神流川の戦いをナレーションだけでスルーしたのも、真田本隊が参加していないからスルーとなったのではないでしょうか。2,3百人くらい貸し出したみたいですが、昌幸パパ本人は参加していいないと思います。
しかし、、、、私が気に入らないのはこういう事ではありません。
それは「小県、小県とうるさい!!」というとってもマイナーな事なのです。
(小県と書いて「ちいさがた」と読みます)
全国の人から見たら、たわいのない話ですが。。
家族でこの「真田丸」を見ていて、「この頃の佐久ってどうなっていたのかな」と良く話す事があります。
今回の「駆引」では、碓氷峠の補給路を断つ、という事が唐突に信繁から提案されたように描かれていますが、この小童が考えたのかい!?と思わずのけぞり、、ました。
そこには、今では佐久市の一部になっていますが、佐久市春日にある春日城の依田信しげさんの力があったからではないのかと思いますが。(しげは藩のさんずいがない漢字)(この依田さん、もともとは芦田城?)←ここらへんの歴史は私自身、良く解っていません。
当時、佐久地方は真田さんちと親しかった?一部?だったと思いますが、この依田さん、この地方では唯一徳川方だったという事です。ですから、この補給路を断つ、という事もこの依田さんが中心になって行ったと思うのですが。そして、その後、徳川と真田さんを結びつけるのに大きな働きをしたようです。そしてこういう事があって、その後徳川さんもこの依田さんの子孫をかなり重用したようです。
そこのところがすっぽり抜けている、この真田丸。
でもなんて言ってもこのドラマ、主役が信繁さんですから、ここに依田さんの話を持ってくると、それではもう、昌幸パパの話だけになってしまい、ストーリー展開がおかしくなってしまうので仕方ないのかもしれませんね。
この春日という場所、とても山の中にあってこんなところにお城が?というようなところです。が、今では温泉とそれに駒の里として有名です。
それに、なんと言ってもこのドラマの基本となっている場所が、「小県郡真田町」ですから、しょうがありません。(今では上田市に合併されています。)
さてさて、今後合戦シーンはあるのでしょうか??まさか、上田合戦も関ヶ原も大阪夏の陣もナレーションだけでスルーという訳ではないでしょうね。
上田合戦、どういうシーンになるのか、楽しみですね。
(と言っても、この第一次上田合戦、以前は全く興味がなかった話ですが。)