「政治を国民の手に」国民会議

政治を国民の手に取り戻すために、腐りきった菅政権や検察、裁判所などの実態、権力と癒着したマスコミの横暴を暴きます。

政治家を壊した小泉政治

2007年11月02日 | Weblog
かつて自民党は森政権の末期に「派閥政治」「密室政治」を非難され、下野せざるを得ない状況に追い込まれた。そこに登場したのが小泉元総理である。彼は分りやすい言葉で語りかけ多くの国民の支持を得て自民党は蘇ったかに見えた。ところが「自民党をぶっ壊す」という言葉どおり、小泉政治は自民党の政治家も壊してしまった。

従来の自民党の政治家は総理・総裁を目指し「派閥」という村の中で過酷な権力闘争を戦い抜いてきた。ところが小選挙区制度の導入によって党執行部の力が強くなる半面「派閥」が機能不全に陥り、さらに選挙に勝つため「政治力」より「国民受け」する政治家を総理に担ぐ状況が生まれてきた。その代表格が小泉元総理であろう。

その後自民党は「国民受け」するという理由で権力闘争とは無縁の安部を総理に選んだが、ひ弱な安部は総理の重圧に耐え切れず途中で政権を投げ出すという前代未聞の行動に出た。小泉、安部政権の6年間を通じ、自民党の有力な政治家は外へ放り出され、自民党に残った政治家は魂を抜かれたようにポストだけを追い求めるようになった。、

かつての自民党の総理・総裁であった田中角栄、大平正芳、竹下登、橋本龍太郎らは卓越した「政治力」で官僚を動かしていた。しかし「官僚丸投げの小泉」「官僚と対立した安部」「官僚頼みの福田」を通じ、官僚は政治家を自由に操るまでに強大化した。やり放題となった官僚組織が腐敗まみれになっていくのは当然の帰結であろう。

ところで「政治力」があるとは、政治哲学や原則を持ち自らの政策を実行する力である。現在の与党の政治家は「政策は官僚任せ」で自己顕示欲や私利私欲の塊となってしまった。自民党内で次期総理と言われている麻生太郎や小池百合子もパフォーマンスだけの小粒政治家でとても「政治力」があるとは思えない。

政治家を見事に無能力化した小泉政治のおかげで「政治力」を持った本当の政治家はすでに与党には存在せず、野党民主党の小沢一郎や無所属の平沼赳夫くらいだろう。しかし彼らの政治生命もそう長くは無い。彼らを超えるような若手政治家は現時点で見当たらず、10年先の日本の政治を考えると暗澹たる思いになる。