復元された備中櫓(天守台より)
津山城は、「本能寺の変」で討ち死にした森 蘭丸の弟、森 忠政が慶長8年(1603)、美作一国18万6千5百石で入封し、翌慶長9年(1604)から13年の歳月をかけて元和2年(1616)に完成させた、輪郭式の近世平山城です。往時には、五層の天守閣がそびえていたが、弓狭間・鉄砲狭間・石落とし等の備えを持ち、唐破風や千鳥破風等の装飾のない実戦的なものだったようだ。3層の石垣がめぐらされた中に、本丸・二の丸・三の丸が配置され、その中に60棟の櫓が立ち並び、本丸には70余りの部屋からなる御殿と庭園があった。門は40を数えたそうだ。(パンフレット等より)
天守閣は小さいが、全て現存していたら、「姫路城」に匹敵する?ほどの素晴らしい城郭である。
津山城は、「本能寺の変」で討ち死にした森 蘭丸の弟、森 忠政が慶長8年(1603)、美作一国18万6千5百石で入封し、翌慶長9年(1604)から13年の歳月をかけて元和2年(1616)に完成させた、輪郭式の近世平山城です。往時には、五層の天守閣がそびえていたが、弓狭間・鉄砲狭間・石落とし等の備えを持ち、唐破風や千鳥破風等の装飾のない実戦的なものだったようだ。3層の石垣がめぐらされた中に、本丸・二の丸・三の丸が配置され、その中に60棟の櫓が立ち並び、本丸には70余りの部屋からなる御殿と庭園があった。門は40を数えたそうだ。(パンフレット等より)
天守閣は小さいが、全て現存していたら、「姫路城」に匹敵する?ほどの素晴らしい城郭である。
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