当ブログの、 昨日の記事(「れいわ新選組」多様性ありすぎ!)にコメントが3件ありましたが、逆に質問したいと思います。
①あんちゃん、「多様性有りすぎ」はあまりにも悲しい。嘘でもいいから「国政を任せるに相応しい候補者達、将来は大臣も任せられる。」くらいの事を言ってください。
「国政を任せるに相応しい候補者」とは、どんな資質があれば良いのですか?
あなたが思う「国政を任せるに相応しい候補者」は誰ですか?
②れいわはあんな候補達、立憲は芸能人、国民も自民も似たり寄ったりで候補者はの政治家としての能力はどうでもよい感じ。支援者は疑問も持たずに応援、れいわもそこそこ当選するのでしょう。
これでは日本の政治はしばらく変わらないかな。
「れいわはあんな候補者達」とは、どう言う意味ですか?
③各候補者が議員として適任か?を重視すべきと思いますが、比例代表はそこがうやむやに成りがちですよね。政党の看板、この場合は山本さんという看板にお任せ。
「議員として適任か?」は、誰が判断するのですか?
いつも、当ブログにコメントしていただけるのは有り難いと思っています。
たぶん、二人以上?の方ではないかと思っていますが、「Unknown 」さんなので区別がつきません。
せめてニックネームだけでもお願いします。
これからは、コメントに出来るだけ答えていきたいと思います。
「国政を任せるに相応しい候補者」は誰?
「議員として適任か?」は、誰が判断?
うーん、説明がむずかしいですね。資質については色々な観点があるし意見もあるでしょう。私は「ある事柄に精通している専門家だから」は資質として弱いと考えています、国会議員は専門外の事柄についても採決に加われますので。
適任かどうかは政党の公認候補者なら政党が適任だと判断して擁立したということでしょう。結果的に適任者かどうかは有権者が当選という形で判断したことになるのでしょう。現職でも難しいのに新人候補は数週間で判断しなくてはなりませんから大変です。大半の有権者は判断材料が少ない中で、ある程度見切りで投票するのではないでしょうか。その材料の1つは政党でしょうが、比例で当選しても議員としては選挙区選出と同じ扱いです。れいわの候補者だからではなく、それぞれの候補者を評価してほしいという意味でコメントしました。「山本太郎のれいわ新選組」に投票する人が多く、比例の各候補それぞれは能力は不問、という人が多いのだろうなーと推測して山本さんの看板と書きましたが、そうと決まったわけではないので失礼だったかもしれません。
あんちゃんも「昔は」主張していたように、当選時の政党を抜けるときには議員辞職すべき。少なくとも比例にはこれをあてはめるべきだとおもいます。
それとタイトルに多様性ありすぎ?と書いただけで多様性だけを誉めた訳でもありませんね。私のフライングです、失礼しました。
私の場合は誰が相応しいかは自分の選挙区でも情報が少なく、ある程度しかわかりませんし、比例になるとさっぱりわかりません。他の選挙区については私が判断することではないと思いますので控えます。だから今の選挙制度と国会のシステムについて疑問をもっているのですが、こうすれば解決だ、というものも思いつきません。何となく思うのは、選挙区選出議員は次の選挙対策で時間がとられる、地元にアピール(場合よってはご機嫌とり)しなくてはいけないので、大臣は比例選出か非議員、選挙区選出議員は議員辞職してから就任。にして各政党は大臣候補をはっきりさせて選挙に望むシステムはどうかな?くらいです。論功行賞的に大臣が選ばれるのは由々しきことかと思います。
しかしそれはかなりの宣伝となり、イメージアップとなる可能性が高く、有権者の判断を左右して政治能力と別な力で当選者が出る可能性がある。それではこれまでとかわらず、日本の政治は変わらないかな。という意味でコメントしました。
私は少々ですが市町村、都道府県、国会議員と話す機会がありますが、知る限りではあんちゃん達が騒ぐほど安倍晋三さんをカリスマ視する有権者、議員はいませんよ。自民党議員も支持者も安倍さんは無難な政権運営をしていると評価しているという程度だと思います。
あんちゃんは以前は議員のあるべき姿に高い理想を掲げていて、現実とはならないだろうが国民として納得、共感できるものでした。それが小沢さんに心酔してからはそれまで政治家を批判していた行動、発言も小沢さんがやるとなし崩しになりました。それが今は山本さんに移った感があります。敵を作り上げてそれに対抗しようと周囲を煽るのはどこぞの常套手段だと思います。自民党をカルト集団と批判していましたが、うーん。
これからも、コメント宜しくお願いします。