日本軍の毒ガス開発とジュネーヴ議定書
特攻兵に「ヒロポン」注射 「とんでもないこと」 新潟の元軍医、晩年も後悔
2025/06/22 神奈川新聞
太平洋戦争末期、日本軍は爆弾を積んだ戦闘機で敵の艦船に突撃を試み、多くの若者が犠牲になった。特攻隊員は、ヒロポン(覚醒剤)を打って基地を飛び立った。新潟市の元海軍軍医蒲原宏さん=3月に101歳で死去=は、覚醒剤と知らずに約200人に注射し続けた。生前の取材に「とんでもないことをした」と語り、晩年まで後悔の念は消えなかった。
1941年、新潟医科大(現新潟大医学部)に入学。講義打ち切り後、軍医学校で学び、45年2月、鹿児島県の海軍航空隊串良基地に配属された。
同年3月の沖縄戦開始後、戦況が悪化する中、上官に「目が覚める薬」と言われ、特攻隊員への注射を指示された。長さ約3センチの茶色いアンプルに入った透明の液体が何か分からなかったが、指示通り敗戦まで打ち続けた。
特攻直前の隊員は、無口で目がぎょろぎょろしていた。死を覚悟し、諦めたようだった。「軍医さんはいいですね。死ななくていいんだもん」と言われたこともあった。前線に出ない蒲原さんは、返す言葉がなかった。
基地を飛び立った機体は頼りなかった。「最後は練習機まで飛んだ。よたよたして、やっと飛んでるようだった」。心の中で「どこかに不時着して帰ってこいよ」と願った。「自分じゃなくて良かった」とも思い、情けなくなった。
敗戦後、図書館で調べものをしている時、注射していた液体が覚醒剤と知り衝撃を受けた。「加担した古傷に触れたくなかった」と戦争の話題を避けていたが、年齢を重ねる中で、徐々に周囲に明かすようになった。
俳人として2022年に発行した句集にはこう詠んだ句がある。「特攻は 戦の外道 敗戦忌」
知る限り、特攻の志願兵はいなかった。「国のために命をささげた」と特攻を美談とする動きもあるが「特攻は人の命を無視した人間の恥部だ」と怒りをにじませた。「戦争なんて絶対に繰り返してはだめだ」と最期まで非戦を訴えていた。
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日本政府は、重慶爆撃に対し、メッセージを発信しないのか?
●6月5日(いわゆる「重慶大爆撃」の日)、重慶市では防空警報音響試験(防空サイレンの吹鳴試験)が行われ、「重慶大爆撃」関連施設などで記念活動が実施されます。トラブルに巻き込まれないよう安全確保に注意してください。
●本年は第二次世界大戦終戦80周年(「抗日戦争勝利80周年」)にあたり、関連記念活動が例年より大規模に実施され、日本や日中関係への関心が高まることが予想されます。特に過去の日中間の歴史にかかわる記念日(いわゆる「注意を要する日」)前後には、事前の情報収集や外出時の安全対策、日本関連の行事開催の慎重な検討をお願いします。
特攻兵に「ヒロポン」注射 「とんでもないこと」 新潟の元軍医、晩年も後悔
2025/06/22 神奈川新聞
太平洋戦争末期、日本軍は爆弾を積んだ戦闘機で敵の艦船に突撃を試み、多くの若者が犠牲になった。特攻隊員は、ヒロポン(覚醒剤)を打って基地を飛び立った。新潟市の元海軍軍医蒲原宏さん=3月に101歳で死去=は、覚醒剤と知らずに約200人に注射し続けた。生前の取材に「とんでもないことをした」と語り、晩年まで後悔の念は消えなかった。
1941年、新潟医科大(現新潟大医学部)に入学。講義打ち切り後、軍医学校で学び、45年2月、鹿児島県の海軍航空隊串良基地に配属された。
同年3月の沖縄戦開始後、戦況が悪化する中、上官に「目が覚める薬」と言われ、特攻隊員への注射を指示された。長さ約3センチの茶色いアンプルに入った透明の液体が何か分からなかったが、指示通り敗戦まで打ち続けた。
特攻直前の隊員は、無口で目がぎょろぎょろしていた。死を覚悟し、諦めたようだった。「軍医さんはいいですね。死ななくていいんだもん」と言われたこともあった。前線に出ない蒲原さんは、返す言葉がなかった。
基地を飛び立った機体は頼りなかった。「最後は練習機まで飛んだ。よたよたして、やっと飛んでるようだった」。心の中で「どこかに不時着して帰ってこいよ」と願った。「自分じゃなくて良かった」とも思い、情けなくなった。
敗戦後、図書館で調べものをしている時、注射していた液体が覚醒剤と知り衝撃を受けた。「加担した古傷に触れたくなかった」と戦争の話題を避けていたが、年齢を重ねる中で、徐々に周囲に明かすようになった。
俳人として2022年に発行した句集にはこう詠んだ句がある。「特攻は 戦の外道 敗戦忌」
知る限り、特攻の志願兵はいなかった。「国のために命をささげた」と特攻を美談とする動きもあるが「特攻は人の命を無視した人間の恥部だ」と怒りをにじませた。「戦争なんて絶対に繰り返してはだめだ」と最期まで非戦を訴えていた。
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