隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?
実験医学雑誌第17巻雑報
17巻4号(1933年)
学術集談会開催
3月16日午前10時から所内講堂に於いて集団会開催。特に所内内示集談会として4月の学会出席者から業績発表があり非常に盛会であった。右演説終了後引き続き会を二木教授退職記念集談会に改め城井博士座長として開会の挨拶後、長與所長より二木教授の30年に亘る学究生活における教授の純学術ならびに予防医学方面における幾多の偉大な功績について礼賛の弁があり、次いで二木教授「30年の体験と予防医学」と題して先生30年の体験からして一切の伝染病は食物の改善から出発すべきであって煮沸食、完全食の実施こそ唯一の解決策である点を 例の雄弁で面白く聞かせ1時間にわたる講演を終わった。尚長與所長及び二木教授の講演は記念のため蓄音機に収められた。
当日の演題は次のとおりである。
11、昭和7年上海、満洲、内地に於いて分離したるコレラ菌株について
柳沢徳義君、岡本啓君
12、抗酸性ストレプトトリックス菌並びにその病原性について 碇常重君
13、ジフテリア菌の毒素研究に関する研究 細谷省吾君、小沢英作君、田中哲之君
14、組織培養内におけるツツガムシ病病原体の増殖に及ぼす免責組織の影響
15、組織培養内におけるデスメー膜内皮細胞の抗体産生について 宮沢政栄君
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