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細菌戦の系譜!!

2021-10-15 11:54:03 | Weblog

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

 

 

第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

第5 当裁判所の判断

3 中国法に基づく損害賠償請求について(争点3)

(2) そこで、まず、本件に法例11条1項の規定が適用されるのかどうかについて検討する。

ア 法例は、渉外的私法関係に適用される準拠法を定めた法律であるが、それは、人間社会には国家ないし公権力関係とは別次元の普遍的な対等市民間の私法が存在し、国家が異なっても相互に適用可能であるという前提に立つものと解される(乙24参参照)。不法行為は、対等当事者間において一方の違法な行為が他方に損害を与えた場合に、当事者間の利害の調整を図り損害の公平な分担を図るという法律関係であり、法例は、不法行為のこのような性格を前提に、その成立要件及び効力について原因である事実の発生した地の法律を準拠法と定めているものと解される(法例11条1項)。 

 
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から90年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

 

 
二月十七日
 
夜明ー非常に暖かし 之から之の位 暖かになるのかしら でも温度は割合下がる零下十六度 支那の正月なり 晴天 練炭所は動かず 支那賑ぎやかくく人々の声聞こえる
今日は正月だ 嬉しくもないが支那民は嬉しいらしく 夜が明けた今日は非常に暖かだ 正月にはもってこいだ 僕の家の正月も今日だ いなかでは本当に楽しく遊んでいるだろう 衛兵下番 今日こそ本当に自分一人でご飯炊いた 非常によくできた なんだか鼻が高いような感じがした。
 
午後5時巡察に出た。小東大河往復だ 写真屋が来たので分遣を背景に二枚写した。尚巡察姿でも一枚絵機で写した。
 あたりは真黒になったが小東大河までは一里半以上あるから 目的地に着くまでに足元までも暗くなった。凍った道は閉口だ。非常に滑ってしようがない。ちょうど目的地に着く少し手前の東台達溝の付近にさしかかった際 暗い中から突然発砲された 本当に支那人なんて物騒極まりない 夜のことと故当たりはしないが 危なくてしようがない
 午後八時構内巡察共にして分遣に帰る 何か事件でもなければよいがと思いつつも 入浴で故郷の思い出にふけった。内地に帰っていろいろと満洲の事を語りつつ祝杯を上げる自分の姿を想像しては微笑んだ・・・
 
 
軍都広島での物語

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅶ 広島へのさまざまな旅


 

小西信子さんたちの『ひろしまの河』は今年初め11号を出して、やはり着実に続いている。その巻頭の文章。≪今日本においては、新たに平和を脅かす兆しがあり、私達被爆者を憂慮させている。権力のある者はその威容を誇示するために、汲々としている。我々庶民は誇示する何ものもない。ただ真実を訴える言葉のみである≫ 

 今原爆症の病床にある正田篠枝さん、占領下の1947年に、沈黙を強制されていた被爆者たちの中から、原爆ドームを描いた扉に≪死ぬ時を強要されし同胞の魂に手向けん悲嘆の日記≫という歌を添えた歌集『さんげ』を非合法出版して、原爆をもたらした人間的悲惨の最初のスケッチを行った、この不屈の歌人の詩と歌も、ここに掲載されている。詩は、ルメー将軍への叙勲を激しく非難したものである。そして悲痛な問答体の2首の歌。ここの盛られた、一つの論理的な対話は短歌という形式の最も凝縮された一典型であろうと思う。そこに漂っている苛酷な苦いユーモアは肺腑を貫く。

 

 原爆にて盲目となりし二十歳の娘われ死なば与へむこの眼球を

われ死なばこの眼与へむと言ひたれど被爆眼球は駄目とはいはれぬ 

 
 
 
 
 
 
 
 

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