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細菌戦の系譜!!

2023-01-25 11:19:44 | Weblog

 

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

『細菌戦部隊』

731研究会編

 Ⅰ 731部隊

エントツから出る黒い煙

ペスト感染による死体がどんどん焼かれていく

小笠原 明(おがさわら あきら)

731部隊・少年隊

〈経歴〉

1928年生まれ。

1943年4月 731部隊少年隊に入隊

1944年4月 第2部(実験部)第2課田中班に配属。ペスト菌などを宿らせ伝染させるためのノミ増殖に従事。

1945年8月 日本への撤退途中で中国人民解放軍に入隊、4年間従軍

1949年 帰国。

■この証言は石川(金沢)731部隊展(1993年11月)、栃木(宇都宮)同展(94年9月)、沖縄(那覇)同展(94年1月)、広島同展(94年3月)の『報告集』よりまとめたもの

 

 私が731部隊に入ったのは昭和18(1943)年4月です。昭和12年に日中戦争が始まって、翌年5月、長兄が中国・徐州で戦死しました。小学校の担任の先生から「“チャンコロ”(中国人への蔑称)に殺されたんだから、その兄さんの仇を討つようにせないかん」と言われました。昭和16(1941)年12月8日に、太平洋戦争に入って行ったんですが、当時は戦争に行って一人でも多くの人間を殺せば手柄になって名誉なことになるんだ、と思っておりました。

日本軍政下香港(1997.7.27)

 

 

●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行
 
 
 
第2 731部隊に関する研究状況
 
三 1984(昭和59)年以降の731部隊に関する研究状況
 
 
 5 中国による資料の刊行と各国資料との相互論証関係

(4)各国資料間の論証関係
 
〈例証2〉凍傷実験
 
 
撫順戦犯管理所における秦正氏(まさうじ)の自筆供述書(1954年9月7日)によると、「私はこの文献(ソ連の凍傷治療法―引用者)に基づいて第1部吉村技師をそそのかし、残酷な実験を行わせた。1944年冬、彼は出産後間もないソ連女性愛国者に対して凍傷実験を行った。まず手の指を水槽に浸してから、外に連れ出して寒気の中にさらし、激痛から組織凍結にまで至らしめた。これは凍傷病態生理学の実験で、その上で様々な温度の温水を使って『治療』を施した。日を改めてこれを繰り返し実施した結果、その指はとうとう壊死して脱落してしまった(このことは、冬期凍傷における手指の具体的な変化の様子を描くよう命じられた画家から聞いた)。その他、ソ連人青年1名も同様の実験に使われた」(前掲訳『人体実験』、107―108頁)。
 
 
 
 
 

 

●毒ガス戦

『毒ガス戦と日本軍』

吉見義明  (2004年発行)

Ⅲ 日中戦争の全面化と本格的使用の開始  1937―1938

 

1 日中戦争の全面化と毒ガス戦

 

南京攻略戦とびらん性ガスの急襲使用計

 現地の軍からの強い要求で、12月1日に南京攻略命ずる天皇の命令、大陸命第8号が発令された。しかし、相手方の首都を毒ガスで攻撃して廃墟にするという攻撃案は、国際的な非難を浴びるおそれがあり、さすがに採用されなかった。閑院宮参謀総長は、12月1日、松井中支那方面軍司令官に対して「瓦斯並催涙筒の使用に関しては更(あらた)めて指示を待つべし」(大陸指第9号)と指示して、毒ガス使用案を却下する。

 

 

      海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)

日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

略史
昭和 5年  海軍火薬廠用地の一部割愛を受け、海軍科学研究部化学兵器研究室が平塚出張所を開設
昭和 8年  平塚出張所に一号・二号・三号特薬兵器の製造実験工場を建設
昭和 9年  海軍技術研究所化学研究部として独立
昭和12年  特薬庫、火薬庫、爆発円筒及び特殊化兵研究室などを建設。総敷地面積は124,000平方メートルに
昭和17年  相模海軍工廠(寒川町)の新設と同時に、化学研究部が相模海軍工廠化学実験部になる
昭和20年  終戦、廃廠
 第一次世界大戦後、日本は化学兵器の調査研究と技術開発に着手、大正11年に艦政本部内に担当部署が設置され、翌12年には海軍技術研究所となり化学兵器の研究と技術開発を開始。
相模海軍工廠では士官・常用工・徴用工員・女子挺身隊員・勤労動員学徒等3,500人余りが従事し、主として化学兵器・火工兵器の研究開発・製造が行われた。
海軍では毒ガスを攻撃用よりは防御用とすると認識が強く、相模海軍工廠では防毒マスクの生産が主力だった。(相模海軍工廠より)
 
 

 

 

 

 
 
*A事案区域とは、環境省が平成 15 年に実施した<昭和 48 年の「旧軍毒ガス弾等の 全国調査」フォローアップ調査※1>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定したA事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域となります(図1参照)。 
①旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町内) 
②旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内) 
③ 旧陸軍習志野学校跡地(千葉県習志野市・船橋市内)

 

 
 
 

 

 
 

 

 

 

 

 
 
 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳
明石書店 1995年発行)

訳者あとがき

                      1995年6月         山邉悠喜子

現存する被害者に、せめて医療の手を差し延べ、1歩でも過去の償いをすることが必要だと思う。

 本書は、市場開放の風潮の中で「14年史」にひたむきに取り組む中国の若い学者達の成果の一端である。著者の温和な一言一句の中から中国億万民衆の平和への願いと、戦後を語ることもなく堪え続けてきた人々の叫びをかみしめながら、訳者として、充分に伝えることができただろうかと、自分の力にいささかの危惧を残しながら、翻訳の筆を置く。私達4人のつたない訳が、戦争の真実を伝えることに役立つなら、そして、日中の正常な友好の懸け橋になればと願ってやまない。

 

SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く - 未来に残す 戦争の記憶

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