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核・戦争のない世界!!

2025-09-03 12:50:02 | Weblog

 

日本軍毒ガス作戦の惨劇~河北省北坦村を訪ねて~

 

遺棄化学兵器処理事業情報公開請求訴訟と被害者の状況について

「日本軍の毒ガス展」の感想

5月3日(土)

6、湘南エリア・・・日本国内でも、有名な観光地に入る所ですが、その場所、そのエリアにこんな悲惨な事実の歴史があることに衝撃を受けました。人を人として見ない実験や、自分達でけしかけた戦争で、大きな嘘を国民に洗脳して、又国の代表、トップは本当に同じ日本人なのか?本当に身震いする空気が漂いました。

 戦争が人を狂わせるのか?窮地に立たされたから、人としての倫理が狂うのか?とにかく人を殺すための道具又は実験を行っていた日本人、又それを命令してきた政界他諸々の頂点の日本人たちが、恥ずかしい。

 海に囲まれた島国の小さい人間たちが律して責任を取り、世界に向けて謝罪する日が来れば未来もあると思う。これからの日本のために。

(40代、市外・藤沢、友人、パネル)

 

 

黒井講演会の感想

13、 黒井さんの記事を新聞で読んだのが多分数年前でした。交流館を作ったという記事でした。子どもがいっぱい来る、と。

 それ以来、黒井さんにお会いしたい、交流館に行きたいと思っていました。今日はお話を聞けて良かったです。

 しょうけい館での展示するという話も直接お聞きできたので、また行きたいです。(その線対称としての遊就館のチェックも)。交流館にも行きたいです。

 私の父は戦争には行っていませんが、私は戦争遺跡保存に関わっています。そして、故人となった仲間の残した本や資料を集めた資料室にも関わっているので、交流館は見習うべき資料室だと思っています。

(70代、横浜市内、チラシ)

 

 

戦場で心を病む「戦争トラウマ」 日本軍兵士の初調査、展示始まる

 

https://boketen.seesaa.net/article/517104600.html

日中友好新聞 2025.9.1

 



 

日本の団体が中国における日本軍の犯罪を明らかにする展覧会を開催。

著:邢晓婧 徐可越

 

中国における日本軍のガス戦争の犯罪を暴露する展示会が最近、日本の横浜で開催された。

12日、「日本のガス戦争展横浜実行委員会」の五井信治委員長は環球時報記者のインタビューに応じ、日本政府は人民の戦争記憶を消し去ろうとしていると述べた。五井氏がメンバーである市民団体は、長年にわたり侵略日本軍のガス戦争に関する多くの情報を収集し、展覧会を通じて公開してきた。この展示会を通じて、これらの「眠っていた歴史資料」を公開する。日本侵略軍が中国で犯した犯罪についてより多くの人々に知ってもらい、日本政府に歴史を直視するよう促すことを望んでいる。

五井信治氏はグローバル・タイムズ記者に対し、この展覧会の当初の目的について、日本は1925年に「戦争における窒息性ガス、毒ガスその他のガス及び細菌兵器の使用禁止に関する議定書」(すなわち「ジュネーブ議定書」)に調印したが、それでも戦時中は毒ガス兵器の製造と使用に奔走したと語った。

中国での日本軍に対するガス戦の展覧会の宣伝ポスターには、こんな一文がある。

:今年は戦後80周年である。今一度振り返るべきではないだろうか。日本が中国で実際に何をしたのか?

この点について五井信治氏は、日本は中国だけでなくアジア諸国を侵略し、非常に重大な罪を犯したと述べている。

日本政府は、国民の心から戦争の記憶を少しずつ消そうとしている。しかし、これらの歴史的事実は、今日の日本の教科書で少し触れられているか、まったく触れられていない。

日本政府は、少しずつ国民の戦争記憶を消そうとしている。

同氏は、日本の市民団体のメンバーとして、このような展覧会を通じて、より多くの人々が日本の侵略軍が中国で犯した罪を理解し、戦争によってもたらされた苦しみを深く反省し、日本の政府が歴史を直視し、同じ過ちを繰り返さないよう強く求めることを願っていると述べた。この歴史をより深く理解してもらうため、展覧会では、レクチャー・プログラムも用意されている。

五井信治氏によると、来場者のほとんどが、展覧会を通して、日本の教科書ではほとんど触れられていない、あるいは全く触れられていない内容を知り、日本が戦争中に犯した罪に気づき、展覧会を非常に実りある有意義なものと感じたという。

近年、日本は「軍備拡大」を意図して、防衛予算を大幅に増やしている。「日本の軍備増強に反対します」と五井信治氏は述べた。五井信治氏は「日本は現行日本国憲法第9条(日本は永久に戦争武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、これを放棄する。)を守るべきだと思います。戦争中に犯した罪について謝罪すべきです。」 と述べた。

 


日本軍の毒ガス展(かながわ県民センター1階展示場)








毒ガス年表

1894年  日清戦争

1904年  日露戦争 

1907年  「ハーグ条約」(毒ガス使用禁止

1914年~18年  第1次世界大戦(毒ガス大量使用100万人死傷)

1918年  シベリア出兵 大量の防毒マスクと毒ガスをシベリアへに送る、陸軍省に臨時毒ガス調査委員会を設置

1919年  陸軍科学研究所設立  化学戦の研究に着手

1925年 「ジュネーブ毒ガス議定書」調印 (毒ガス・細菌兵器の戦争使用禁止)、

    宇垣軍縮 軍備近代化のための毒ガス兵器の促進 

1929年 大久野島にて毒ガスの生産開始 

1930年 台湾湾霧社事件 霧社事件弾圧に日本軍初めて毒ガス使用

1931年 満州事変 

1933年 陸軍習志野学校創設(毒ガス戦訓練開始)、関東軍防疫班創設(731部隊の前身)

1935年~36年  イタリア軍エチオピア侵略で毒ガス攻撃

1936年 2.26事件 陸軍毒ガス準備

1937年 日中全面戦争を開始 大本営陸軍部 催涙ガスの使用許可

1938年 731部隊ハルピンに細菌工場を建設  大本営陸軍部 くしゃみ性毒ガスの使用許可 

1939年 同大本営陸軍部致死性毒ガスの使用許可、関東軍化学部チチハルに創設、曽根兵器製造所(毒ガス弾の充填)創設 

1941年 アジア太平洋戦争開始 

1943年 相模海軍工廠(寒川)にて毒ガスの生産開始 

1944年 大本営陸軍部毒ガスの使用中止命令

1945年 日本敗戦 中国全土及び日本各地で日本軍の毒ガス大量投棄  

1946年 極東国際軍事裁判 日本軍の毒ガス。細菌戦は不起訴 

1950年~53年 朝鮮戦争
1954年7月1日 防衛庁、自衛隊発足(戦時中の反省なきまま、旧軍関係者入隊)

1954年(昭和29)大蔵省から「ガス障害者救済のための特別措置要綱」が通達された。なぜ「毒ガス」と明記せず、「傷害者」が「障害者」なのか不審を抱く人もいた。政府は特別措置によって毒ガス問題に蓋をし国家責任を回避したのである。しかし、旧陸軍共済組合加入の旧従業員の道はついたが、大久野島で働いた動員学徒や勤労奉仕隊、女子挺身隊、などは救済されず取り残された。    

1964年 自衛隊化学学校サリンの合成に成功 

1965年 ベトナム戦争本格化(アメリカ軍枯葉作戦)

1969年 沖縄米軍知花弾薬貯蔵所で毒ガス漏洩事件 

1970年 日本国会「ジュネーブ毒ガス議定書」批准

1972年 「生物・毒素兵器の禁止条約」調印、日中国交回復 

1974年 中国黒竜江省ジャムス市、旧日本軍の毒ガス弾で35名重軽傷 

1980年~88年 イラン・イラク戦争(イラク軍毒ガス使用)

1984年 旧日本軍の毒ガス戦関係公式文書相次ぎ発掘 

1990年 国連軍縮会議で中国代表、日本に対し遺棄毒ガス兵器の廃棄処理を要求 

1993年 「化学兵器禁止条約」締結 (他国に遺棄した化学兵器の廃棄義務も明記)

1995年 東京地下鉄サリン事件、日本政府調査団、中国各地で日本軍の遺棄毒ガス兵器の確認、日本国会「化学兵器禁止条約」批准

1997年4月29日 「化学兵器禁止条約」発効、日本政府、中国の遺棄化学兵器の処理を開始

2018年7月6日 オウム真理教の死刑囚全員死刑執行(自衛隊とオウムの繋がりは解明されず 信者の中には自衛隊員が複数いた)

2025年3月19日  東京地裁判決 自衛隊「化学学校記事」の開示を却下(化学学校の実態を隠し続けている) 

 

2025年現在 遺棄化学兵器の処理事業は終わっていない

 

*1931年~45年の間、中国では2091回の日本軍の毒ガス使用が確認され、9万4000人の死傷者を出したと中国資料は伝えている

1945年以降、中国の遺棄毒ガスによる被害者は2000人以上と推定されている

 

 

北坦村の毒ガス被害


 

           記念碑に刻まれた弔文

 1942年「5・27」は1000を越える英雄たちの血が塗り込まれた1日だった 「5・27」それは偉大な民族解放戦争が敵と相対峙した最中の最も過酷な悲惨な1日だった。群をなして人を襲った野獣―日本侵略者とその走狗は冀中の長期的統治を狙い、華北を統治し、トーチカを構築し、民衆に向かって血も凍る虐殺を展開した。定県の民族的愛国者―優秀な中国共産党員と、勇敢なる戦闘指導者、民兵、農民はまさにこの日、民族の不滅をかけて、獣どもと―日本鬼子と頑強に戦い、栄光的な死を遂げた。

 私たちは「5・27」の惨状を永遠に忘れない。多くの乳飲み子が母とともに虐殺された。烈士の鮮血で赤く染められた 黄土には、800の死者が横たわり、北坦の道々は埋まった。子らは親を求め、父母は子を探し、止めどもない涙でどの目を真っ赤になった。恨みと傷心の日―「5・27」誰がこの日を忘れられようか

 親愛なる死者たちよ、あなたたちは、民族の自由と解放のために、日本侵略者による壊滅的な「蚕食掃蕩」を粉砕するため、私たちの故郷を守るため、勇敢にも武器を持って立ち上がった。―手製の銃、手製の砲、手榴弾、地雷で百倍も勝る機関銃、大砲、戦車、毒ガス・・・を持つ敵と相対し、郊外で、屋上で、街路で、地道で戦った。銃弾の中、毒ガスが蔓延する中、1日と休まず激しく頑強に抵抗し、幾度となく敵の猛襲を撃退し、多くの敵軍と裏切り者を撃退、冀中の輝しい戦いとして名を轟かせた。もはやあなたたちは私たちと離別したが、あなたたちの精神は永遠に伝わり、あなたたちの名は永遠に残る。

 不朽なる英雄たち、あなたたちの流した血は決して無駄ではなかった。あなたたちの血と生命は、ついに抗日戦争に最後の勝利をもたらし、私たちは勝利であなたたちを埋葬することができた。烈士の皆さん、永久の安息を迎えてください!私たちは必ずあなた方の血の跡を踏みしめ、あなた方が成し遂げられなかった事業を引き継ぎ、独立と自由、民主、統一、富強なる新中国をあなた方英霊に呈します。私たちは永久にあなた方を忘れぬよう、特にここ沙河南岸の根拠地―北坦に記念堂を築き、千古にわたり追悼します。

 

「5・27」殉難烈士長存!

中国共産党万歳!

中華民族解放万歳!

殉難烈士万歳!

                       中華民国35年(1947年)孟夏中浣建立

戦後の日本軍の遺棄毒ガス弾の被害者

*なぜ、日本政府は、毒ガス被害者の救援に当たらない??なぜ民間基金??

日中未来平和基金

化学兵器被害者支援日中未来平和基金

中国で毒ガス被害の聞き取り調査 旧日本軍が遺棄、後遺症など証言

日本人弁護士、旧日本軍毒ガス被害者を20年間自費で支援

 

 

 


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