●731問題
特定秘密保護法撤廃!! 国民は「知る権利」を行使し、軍事増強を阻止しよう!! ![]() ![]() 4月12日(火)15:00から東京地裁419号室で『衛生学校記事』の情報公開裁判がありました。 10回目の法廷で、初めて傍聴席52席が満杯になり、熱気を帯びてきました。 なぜ、自衛隊衛生学校で作った『衛生学校記事』がきちんと保管されていないのだろうか? 衛生学校と言っても、国民の税金で作られた公の施設である。自衛隊だから戦後、物品の管理はしっかりやっていると思うのであるが、不思議である。自分たちの大事な研究をまとめた機関誌である。寄贈資料も所在不明、よほど、管理が杜撰なのか?? 季刊誌『ふかみどり』がきちんとあるのに、なぜ、その前の『衛生学校記事』ない?? 原告の陳述より 3 彰古館を見学して判明したこと (1)私が、見学した彰古館内の配置などを示す図面は、別紙2のとおりです。 (2)彰古館には、展示コーナーには戦前の元軍医学校時代からの軍事医療の器具や史料を収集展示され、他方、書庫には明治、大正、昭和時代、日清、日露戦争から第一次大戦、日中戦争の陸軍衛生史や軍事史料が保管されていました。中には頁をめくる事も出来ない位、古く貴重な史料も保管されていました。 なんとか、この防衛省の内部研究誌を公開させたい!! ※尚、情報公開・個人情報保護審査会の答申が3月にあり、「『化学学校記事』と『衛生戦史資料の体系化』も不開示決定は妥当」としたことに対しても、裁判で公開を求めることにしたという。 ※特定秘密保護法が施行され、TPPはじめ、各省の情報開示が困難になってきている昨今、マスコミはこういう裁判を積極的に報道し、国の隠蔽体質を明らかにするべきだと思うが、一社も取材しないとは、どういうことだろうか?嘆かわしい!! 日本は「核兵器の非人道性」を主張する前に「731の非人道性」を謝罪せよ!! <G7外相会合>「核兵器の非人道性」盛らず 広島宣言 歴代日本政府は、天皇制護持の為、いつも情報を隠蔽している!! TPP文書だけではない!! ビキニ事件 周辺で操業の元乗組員などが国を提訴へ 内部文書「黒塗り」の中… TPP内幕本の出版未定に 開示された文書「何で黒塗り?」 歴史を繰り返さないための海外の取組み!!日本もパナマ文書等、情報を開示せよ!! <パナマ文書>中国2.8万件 日本関連800件 パナマ文書 民進が調査チームを発足 ヒトラー生家、強制収用へ=ナチス支持者の利用防止―オーストリア 守秘徹底、法人設立も容易=「文書」発端の租税回避地-パナマ 特定秘密の国会監視 実効性高められるかが課題 何で、行政が後押ししない?? 高知県、731部隊講演の後援断る 「事業に該当せず」 731部隊の設置許可、人体実験、毒ガス戦・細菌戦実施の許可した昭和天皇とそれに協力せざるを得なかった日本医学界の責任、戦後、その人体実験、毒ガス戦・細菌戦を全く裁判にかけなかったマッカーサーとアメリカ政府の責任、1990年代から2000年代にかけて行われた裁判において、事実を認めながら、それを放置している司法の責任、全く無視している政治の責任、731に対する国民の認識は? 戦後70周年、中国の人々から日本の我々に届いた重いメッセージ! 虐殺された人々(日本人を含む)の声なき声にどう応えるか? 日本人はこの731問題にどう向き合うか?重い課題!! 日本には本当に三権分立があるのかが問われている!! ソ連軍が満州に侵入したという情報が入って、上へ下への大騒ぎでしょ。それから私1日も経たないうちにドカーン、ドカーンとやり出したと思いますけどね。 731(5) ・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である??? 黒い太陽№15 ※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。 戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。 朝枝繁春の証言 ●水俣病 水俣病の被害が拡大した時も、医学界の権威者が、一時、チッソ水俣工場の有機水銀説を否定した。 原因が工場排水中の水銀らしいと見当がついた1959年夏以降は、熊本大学医学部の研究班は企業や通産省、御用学者の集中砲火を浴びることになる。 水俣語り部、金子スミ子さん死去 一家で経験の苦しみ伝え 「出生年の線引きはおかしい。確かに症状があるのに。認めてほしい」 <水俣病>46歳、認められぬ苦難…公式確認60年 水俣病公式確認60年 未曽有の被害 全容未解明 水俣病 ![]() 日本の公害 ●イタイイタイ病も賠償まで50年かかった!! G7閣僚 高い関心 イタイイタイ病の教訓 世界へ/富山 1920年(大正9年)、当時の上新川郡農会長であった金岡又左衛門が農商務大臣山本達雄と富山県知事東園基光に神岡鉱業所の鉱毒除去の建議書を提出したのが神通川流域の鉱毒被害の表面化の始まりである。 1966年(昭和41年)11月、被害者の家族や遺族らがイタイイタイ病対策協議会(略称:イ対協)を結成した。 その後、イ対協は神岡鉱業所と交渉するも企業側の対応が冷ややかだったためイ対協の会長であった小松義久などは裁判で訴えることを決意する。 1968年(昭和43年)1月、全国から集まった20人の弁護士によってイタイイタイ病訴訟弁護団を結成した[8]。 1968年(昭和43年)3月9日、患者・遺族28人が三井金属鉱業を相手に総額約6億3000万円の第1次訴訟を起こす。 1971年(昭和46年)6月に第1審が原告勝訴の判決を下した。 1審判決を不服とする三井金属鉱業は控訴したが、第2審も1972年(昭和47年)8月9日に原告側勝訴の判決となった。 三井金属鉱業は上告を断念し、第2次以下の訴訟も判決内容にしたがって補償することを決めた。判決ではカドミウムの放流とイタイイタイ病とは因果関係があると断定した。 三井金属鉱業は第5次訴訟まで総額23億5633万円の損害賠償金の支払い、農業被害の賠償と汚染土壌の復元義務、住民の立ち入り調査権を認めた公害防止協定書の締結の3点を内容とする和解に応じることとなった。・・・・・ 2014年(平成26年)9月末時点では認定患者は198人で要観察者が延べ408人となっており[15]、患者数は増加し続けている。 さらに、2014年(平成26年)9月の検査では従来行われてきた5歳刻みで対象年齢を決めていた流域住民への健康調査を全年齢を対象に切り替えたところ、1969年(昭和44年)の調査開始以来最多の精密検査対象者が出ており、健康調査への受診率が低迷していることも合わせると、患者数の正確な数字は把握できていない[15]。 患者に認定されると公害医療手帳が支給され、国から医療費・障害補償費・療養手当などが給付される。また、三井金属鉱業からも賠償費・医療費・入通院費・医療介護手当・温泉療養費が支給される[14]。 しかし、認定にハードルは厳しく、いまだに行政の救済を受けることができずに苦しんでいる人たちが残っている。現代での問題点は原因分析ではなく、患者認定・要観察判定の具体的な基準に移っている。行政側である県認定審査会は厳しい基準を課して却下する事例が多い。 具体的には、イタイイタイ病の認定の4要件の1つとなる骨軟化症の判定をおこなっている。 ドキュメンタリー:イタイイタイ病 「イタイイタイ病」全面解決?? 萩野医師によって、原因究明がなされたが、日本医学界はこの問題にきちんと向き合ったのだろうか??? 「カドミウム原因説」発表後、萩野を取り巻く状況は一変する。「田舎医者に何が分かる」「売名のためのPRだ」と罵声が浴びせられ、地元からも「嫁のきてが無くなる」「米が売れなくなる」と白眼視される。「萩野は砂利トラックに撥ねられて死ぬだろう」との風評が飛びかい、患者の元には白衣の男たちが現われて「鉱毒説に関わると大変なことになる」と脅迫した。萩野は荒れ、富山市内に繰り出しては飲み歩く日々が続いた。・・・・・ 萩野昇の人生 萩野昇(富山のシュヴァイツァー) イバラの道を進んだ医師 大正4年に生まれた萩野昇は、旧制金沢医科大学を昭和15年に卒業すると、研究生として病理学を専攻した。しかし研究する間もなく軍医として徴兵され、病理学教室に籍を残したまま7年間のあいだ戦地の野戦病院で傷病兵の治療にあたった。そして中国大陸で終戦を迎えると、昭和21年3月21日、7年ぶりに故郷の富山県へ帰ってきた。 ・満州で軍医としてどんなことをやっていたのか気になる??? |
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