細菌戦の系譜!!

2022-09-02 09:10:08 | Weblog

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 ●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

『細菌戦部隊』

731研究会編

はじめに

  1993年、細菌戦の断片を明らかにする業務日誌(参謀本部作戦課員・井本熊男中佐の業務日誌、陸軍省医事課長・金原節三軍医大佐の『陸軍省業務日誌摘録』、金原の後任の医事課長・大塚文郎大佐の『備忘録』、参謀本部第1(作戦)部長・真田穣一郎少将の業務日誌)が発見された。その解明に当たった吉見義明氏は、『731部隊と陸軍中央』(吉見義明・伊香俊哉/岩波ブックレット)の中で、「毒ガス戦や細菌戦の実施という重大な決定は天皇の承認なしにはできなかった」と昭和天皇の責任に向かう言及に及んでいるが、この検証は極めて興味深い。

日本軍政下香港(1997.7.27)

 

 

●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行
 
第1 本件検定経過について
 
第2 731部隊に関する研究状況
 
1 1983(昭和58)年以前と1984(昭和59)以後を統一的に把握する必要性
 
731部隊に関する教科書記述の全文削除が妥当性を持つか否かを判断する為には、1983(昭和58)年度検定時点の同部隊に関する研究が如何なる状況にあったか、学界の同部隊に対する認識がどのようなものであったかが重要であることは言うまでもない。しかしながら同時に、83年当時の研究状況をその時以降今日までの研究状況と無関係なものとして切り離して論じるべきではない。その理由は次の2点にある。
 
 


 

 










 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」

 

●毒ガス戦

『毒ガス戦と日本軍』

吉見義明  (2004年発行)

Ⅰ 第1次世界大戦の衝撃 1915―1930

 

1、毒ガス開発の開始

 

シベリア戦争と毒ガス戦計画
 
なぜこの時期に、日本軍は毒ガス戦を展開しようと1度は計画したのだろうか。それは、第1次世界大戦に参戦しながら、毒ガス戦の主要な戦場がヨーロッパ方面であった為、未だ毒ガス戦に習熟することができていないという焦りがあったためであろう。

 しかし、ロシア革命軍が毒ガスを使用し始めたという現実もその背景にあった。例えば、1920年春に始まり、1921年の春・夏に頂点に達した黒海地方タンボフ県の大規模な農民反乱に対して、ロシア革命政府は無慈悲な鎮圧政策をとったが、その中で毒ガスも使われたのである。6月12日、ミハイル・トハチェフスキー西部方面軍司令官は「匪賊が隠れている森林は毒ガスで浄化される。その際、毒ガスの雪が森林全体に完全に広がって、隠れているものすべてを皆殺しにするよう注意深く準備するものとする」という命令を出したという。

 

 

海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)



 

 

 

 

 

 
 
 

 

 

 
日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備
えていた!!
 



 

 

 
略史
昭和 5年  海軍火薬廠用地の一部割愛を受け、海軍科学研究部化学兵器研究室が平塚出張所を開設
昭和 8年  平塚出張所に一号・二号・三号特薬兵器の製造実験工場を建設
昭和 9年  海軍技術研究所化学研究部として独立
昭和12年  特薬庫、火薬庫、爆発円筒及び特殊化兵研究室などを建設。総敷地面積は124,000平方メートルに
昭和17年  相模海軍工廠(寒川町)の新設と同時に、化学研究部が相模海軍工廠化学実験部になる
昭和20年  終戦、廃廠
 第一次世界大戦後、日本は化学兵器の調査研究と技術開発に着手、大正11年に艦政本部内に担当部署が設置され、翌12年には海軍技術研究所となり化学兵器の研究と技術開発を開始。
相模海軍工廠では士官・常用工・徴用工員・女子挺身隊員・勤労動員学徒等3,500人余りが従事し、主として化学兵器・火工兵器の研究開発・製造が行われた。
海軍では毒ガスを攻撃用よりは防御用とすると認識が強く、相模海軍工廠では防毒マスクの生産が主力だった。(相模海軍工廠より)
 
 

 

 

 

 
 
*A事案区域とは、環境省が平成 15 年に実施した<昭和 48 年の「旧軍毒ガス弾等の 全国調査」フォローアップ調査※1>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定したA事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域となります(図1参照)。 
①旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町内) 
②旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内) 
③ 旧陸軍習志野学校跡地(千葉県習志野市・船橋市内)

 

 
 
 

 

 
 

 

 

 

 
 

 

 

 


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