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核・戦争のない世界!!

2025-06-29 10:27:49 | Weblog

 

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*日本は、なぜこんなに情報公開に後ろ向きなのだ!!
毒ガス処理を含め、過去の負の遺産を

すべて隠そうとしている日本政府の姿勢にあきれてしまう!!

 

毒ガスの処理についても、大事な問題なのだから、国民にきちんとわかる形にして、どのように処理されているのかはっきりさせる必要がある!!

 

*裁判長にすら、原本黒塗りとは何事だ!!インカメラ審理の導入を!!
*秘密保護法反対!!戦時中の文書・戦後の文書もきちんと国は公開すべきだ!!

・インカメラ審理とは、「裁判所だけが文書等を直接見分する方法により行われる非公開の審理」を指す。情報公開訴訟において、このようなインカメラ審理が認められなければ、裁判官は、争点となっている文書を実際に見ることなく、これに不開示情報が記録されているか否かを判断せざるを得ないのである。
 そのため、情報公開法の立案時以来、実務家、研究者、市民団体などから、情報公開訴訟においてインカメラ審理の導入を認めるべきであるとの強い要望があったにもかかわらず、今日に至るまで、インカメラ審理は認められていない。 (情報公開訴訟とインカメラ審理 行政監視委員会調査室 畠 基晃)より


被爆国日本は、核兵器廃絶・反原発を推進すべし!!

防衛費増額反対!!

旧統一教会問題

帝銀事件

帝銀事件と731部隊

731部隊と大学

731部隊の4つの細菌戦

「証言 石井四郎」~語られた人物像~

細菌製造の731部隊~731部隊軍医秦正氏(はたまさうじ)の証言


厚労省は新型コロナワクチンデータを開示せよ!


関東大震災時の朝鮮人虐殺

「戦争と医の倫理」の検証を進める会シンポジウム

狭山事件ー石川一雄さんを訪ねて

ご冥福をお祈りいたします。

狭山事件 再審求めた石川一雄さん死去で審理終了 東京高裁

62年前の狭山事件で再審求めてきた石川一雄さんが死去 86歳

小林多喜二没後90年(2023)

平頂山事件91周年集会(2023年9月)



まえがき
 1904年から1905年にかけて、日本と帝政ロシアは、中国東北地域で、醜い帝国主義戦争―日露戦争を行った。日本は勝利した後、様々な口実を設け、中国人が開掘した撫順のいくつかの炭鉱占領し、引き続いて1909年に日清間で調印した「間島協約(日清協約)」を利用して、撫順炭鉱採掘権まで強奪した。南満洲鉄道株式会社(満鉄)は鉄道附属地を強制占拠し、撫順の附属地内で炭鉱採掘や工場建設を欲しいままにした。撫順民衆の虐殺、労働者の搾取、労働運動の弾圧などを思うままにし、その罪行は言い尽くせない。 
 1931年、関東軍は陰謀を巡らし「9.18事変 (柳条湖事件)」を引き起こした。中国東北地域を武力で占領し、偽「満洲国」を捏造し、東北の人々に対し残酷でファッション的な植民地統治を行った。撫順でも、日本の侵略者たちは平頂山事件を引き起こし、無辜の村民を惨殺するなど、その凶暴な罪行に人々は激怒した。

 中国共産党の提唱のもとに、抗日民族統一戦線が結成され、全国の軍隊と民衆は共通の敵日本に敵愾心を燃やし、武器を取って抵抗した。世界の反ファシズム陣営の支援のもと、ついに日本の侵略者を打ち破り、全中国の抗日戦争勝利を勝ち取った。

 撫順平頂山事件史実展は、史実を再現することにより、日本が中国侵略時に撫順で犯した罪行を展示し、広範な国内の参観者に歴史をしっかりと心に刻み、屈辱的な歴史を忘れないようにと開いたものである。また日本人を含む外国の参観者には、日本の中国侵略についての本当の歴史を理解していただきたい。

 我々は歴史を鑑とし、未来へ向かい、世界の恒久平和と繁栄発展の努力をしよう。

細菌製造の731部隊~731部隊軍医秦正氏(はたまさうじ)の証言
南京大虐殺から雲南戦へ



「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
                             1995年8月15日

 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。

 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝
 意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今
 日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

 

南京大虐殺

 

南京大虐殺(マギーフィルム)
パネー号撃沈

 

重慶爆撃
重慶爆撃遺族が沖縄訪問へ 来月に玉城知事と面会調整

第58号 重慶爆撃
原爆投下や東京大空襲ばかり取り上げて、 日本のテレビや教科書が重慶爆撃を取り上げないのは問題だと思います。 (視聴者のコメント)

苦干(重慶無差別爆撃)

731部隊


731部隊[中国新闻]日本学者向浙江义乌捐赠近千件细菌战

日本学者来华披露731部队罪证档案

全球连线|日本学者来华披露731部队罪证档案

原爆
ニュース257号

八王子 平和・原爆資料館

●東京帝国大学伝染病研究所

伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より

●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
・1938年6月1日の伝染病研究所で石井の厚意によって上映された映画には、731部隊の生体解剖でも映っていたのでであろうか?精神的緊張裡とは、何のことだろうか?
・中込亘は、731部隊で細菌に感染して死んだのだろうか?



実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??

実験医学雑報24巻12号で、三田村が伝研の所長に任命されて、挨拶を書いているが、宮川米次がなぜ、伝研を去ったのかに全く触れていない!!

 

宮川は、どんな不祥事をしでかしたのか?その後、伝研には姿を見せていない。

長與又郎・・・・石井は京大総長であった荒木寅三郎(生化学)の娘,清子と結婚します。荒木は東大医学部 出身で後輩に長與又郎(病理学,後に東大総長)がいました。長與は清野,川上漸(京大病 理,後に慶大病理教授),戸田正三,金関丈夫(京大解剖,後に台北帝大教授)らと交流があ り石井ともつながっていました。長與は京都で開催された第十回医学会総会(1938年)で石井 の戦地実況活動写真を鑑賞し,ハルビンの731部隊も訪問しています。石井は京大,軍医学校 を経て東大へと人脈を広げていきましたが,それは731部隊発足前から形成されていた三者の医学界エリートネットワークへの参入を意味しました。(731と大学:吉中丈志)

北野政次・・・1942年4月、学友会に多額の寄付をしている。寄付額377円1銭

*731部隊の2代目隊長の北野政次が学友会にけた外れの寄付をしている!!
(1942年8月1日 石井四郎が華北方面軍第1軍軍医部長に転任。北野政次が731部隊の2代目の部隊長になる)

 

実験医学雑誌26巻(1942年)

雑報8号

伝染病研究所創立第43回記念式典

(昭和17年6月1日)

伝染病研究所創立記念日午餐会席上演説

挨拶

石原喜久太郎氏 

 

 時間は多分9時と思いましたが、この土地ですけれども、元の伝染病研究所にフロックコートを着てやってきました。そうしたら北里先生もおいでになっておりました。それから北里先生がいろいろ事務的なことをお話になった中で私の印象の深いのは、自分は伝染病研究所を自分の家のように心得ておったから、色々そういう風にやってきたというお話があった。なるほど もっともな次第であると思いました。

 

 

              

バード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!  
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

 

第10章 戦争の泥沼化と拡大

ナチス・ドイツ、ファシスト・イタリアとの軍事同盟について、大本営政府連絡会議と近衛内閣は完全な合意に至った。これにより日本の指導層はより大きな戦争に向け運命の第二歩目を踏み出したのである。三国同盟締結の正当性を確固としたものにするため、9月19日、昭和天皇にとって三度目の御前会議開催され、その直後に同盟締結が裁可された。9月24日、木戸が参内すると、天皇は宮中で「親しく賢所に参拝」することを望み、神の加護を求めていた。なぜなら、「今度の場合は日英同盟の時の様に只慶(よろこ)ぶと云のでなく、万一情勢の推移によっては重大な危局に直面する」と考えていたからである。

 

 

 

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口座名義  五井信治(ごいのぶはる)

 

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