サイレントフォールアウト
ABC企画委員会 「講演会&2024年度総会」 のご案内
旧日本陸軍の施設
言論の自由が欲しい!!
原発活用の国策見直しを!!
ビキニ被災から70年!!核廃絶!!
アメリカだけではない!!、全世界で起こっている!!
12月13日(水)
2,731部隊の事は日本のメディア(報道)ほとんど扱っていないのではないだろうか。中国では、歴史教育ほとんどの中国の人は学校で教えられて知っていると思う。ところが日本では小学~高校の社会で教えられていなくて知らない人が多いと思います。日本という国は少しでも都合の悪い事は無関心。これでは過去の歴史から学ぶということが出来ないと思う。「戦争はいや」「平和が良い」という言葉が一人歩きしているようです。戦争をしない、平和を守るための議論が社会で為されていないような気がする。(家庭、学校)など、もう少し日本も歴史教育の教科書に時間を割いて、事実から学んでいく議論を深めていくべきだと思う。まるで受験勉強のように知識としてしか学ばない、議論を深めていくのをしないのは危険だと思う。(60代以上、市内、チラシ)
●三多摩平和交流会の感想
17、千葉君を救うために高校生達が作成した「無限の瞳」素晴らしいです。様々なことを教えられる貴重な映像に感動しました。成城高校では毎年上映されているとのこと。若者に伝え続けて頂きたいです。
高校生平和ゼミナールの活動には希望を感じました。こんな素晴らしい学生達が全国にいるんだと思うと元気が出ます。お世話役をしている津田先生の存在は、とても大きいと思います。感謝いたします。
(チラシ、70代以上)
集会のアンケートから
平頂山事件については、日本中国友好協会を通じて知りました。
学校では、アジアの近現代史はなかなか教えられません。自分で興味を持って学んでいくしかない現状に歯がゆさを感じます。裁判の終了後も、こうしてこの歴史を人々に伝える活動をしてくださる人々に感謝します。
私の娘は今4歳です。方さんが事件に合われた年齢です。曲さんのお話に自分の娘の姿が重なりました。もう少したったら、娘も連れてこのような学習会に参加できたらと思います。
来日してくださった曲さんご夫妻に感謝します。いつかまた、どちらかの国で私の娘共々曲さんにお会いできたらと希望を持ちます。
会場への案内に立ってくださっていた実行委員会の方々に助けられました。
ありがとうございました。
(中国語)
●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述(2023年9月12日東京地裁)
令和3年(行ウ)第594号
原告増本美保外11名
被告全国健康保険協会
意見陳述書
2023年(令和5年) 9月12日
東京地方裁判所
民事第51部lA係御中
原告ら訴訟復代理人 弁護士 内藤雅義
第3 本件の被ばくとその問題点
被告の主張は、保険部報告をもとに、外部被ばく、内部被ばくを合わせても、最大0.92mSvであり、 lmSvにも達しないと主張します。
これをめぐる争点について述べます。
2 本件被ばくにおける放射性物質の生成量と降下範囲
しかし、高い線量が降下した範囲については、2013年になって米軍から公開された資料では、相当広範囲に高い線量が降下したことが示されています。更にいまだに軍事機密に多く覆われている事情もあります。また、航空機の測定は、上空から地上から飛んでくるガンマ線を測定するものであり、ベータ線等を測定できず、極めて低い線量となります。また被告の原告らの線量推計が広い範囲に均等に降下したことを前提にしていて、きわめて非現実的です。
131、①約一時間、映画を拝見しました。デー本や本からの理解も大切ですが、映像で見ることで具体的に目に焼き付きます。毎年来ておりますが、ありがとうございます。
②資料の整理、展示などご苦労をおかけしています。もっと多くの方に是非、来て、見て、知ってほしいと思いました。私も友人、娘に資料一式をいただいていきます。
③加害年表はとても貴重だと思いました。常に手元に置いておきます。
(70代、市内、神奈川新聞、DVD上映)
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1、日本人は時代の空気に流されやすいと思い、自分で考え、行動することの大切さを痛感します。(80代、横浜市内、チラシ)
●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
・1938年6月1日の伝染病研究所で石井四郎の厚意によって上映された映画には、731部隊の生体解剖でも映っていたのでであろうか?精神的緊張裡とは、何のことだろうか?
実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??
実験医学雑報22巻 第7号(1938年)
進藤氏凱旋す
昨年8月18日に召集され、爾来佐世保海軍病院部員として勤務中であった海軍軍医大尉進藤宙二氏は去る6月16日召集を解除され、6月25日帰所した。
支那事変応召者調
氏名 応召年月日 備考
寺山廣喜 12.12.13
北川安信 13. 3.1
軽部弥生一 〃 4.25
森藤靖夫 〃 5. 5
増山忠俊 〃 5.12
柳井時正 〃 6.20
出井勝重
中山富雄
市川収
田部邦之助
福山栄三 12.11.7
高野正男 13. 3.1
濱口廣成 13. 5.17
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
第6章 政治的君主の誕生
Ⅳ
ロンドン海軍条約をめぐる紛議は、最終的に若き天皇のイメージを大きく傷つけた。不満を抱く右翼政治家は軍部と結託して、1930年9月の条約調印を道徳的限界を逸脱するものとして非難した。彼らは、民政党はその一線を越えることで国家の矜持(きょうじ)に泥を塗ったと告発した。天皇を批判することはできないので、彼らは天皇の意思を独占し、政党政治を崩壊させようとしていると、宮中グループを攻撃した。
●日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
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解説
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
ところが2003年に、アメリカがイラクに対する戦争を始めると、コスタリカ政府はこれを「支持する」と表明しました。これに怒った大学生ロベルト・サモラさんは、裁判所に政府を訴えました。「イラクヘの戦争を支持するなんて、平和憲法への違反だ !」
裁判所はロベルトさんの訴えを認めました。そしてコスタリカ政府は、イラク戦争への支持を取り下げました。ロベルトさんは日本に来て言いました。
「憲法は単に守ればよいものではありません。平和憲法は人びとのもの。人びとが使うためにあるのです」
『鹿屋(かのや)航空基地 史料館』(鹿児島県鹿屋市)について
~ご理解していただきたいことを文章にしました~
2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)
8、今日講話をしていただいて、今までには知らなかった、また違った面から戦争について知ることができました。
戦争によって苦しむのは兵士だけではなく、その家族も現在まで苦しんでいることが分かりました。今日、改めて戦争は絶対にしてはいけないと感じたし、これからもっと戦争とその事実と向き合って生きていこうと思います。
「戦争のない世界」
戦争が世界を席巻しています。
戦争を仕掛ける集団(国家)と対抗する集団がこの瞬間も殺し合いを続けています。
戦争は集団同士の殺し合いです。
私は戦争することを決めた集団の意思と集団に属する個人の意思の尊重を考えます。
そもそも戦争することはどういう過程を経て決まったのでしょうか。国会で、大統領権限で、集団の長の意思で、あるいは集団の総意でしょうか。集団の多数意見でしょうか。
戦争をしている兵士は全て志願兵でしょうか。殺し合いの場である戦場に派遣されることに強制されたりしていないのでしょうか。全て自由意志でしょうか。