サイレントフォールアウト
ABC企画委員会 「講演会&2024年度総会」 のご案内
旧日本陸軍の施設
言論の自由が欲しい!!
原発活用の国策見直しを!!
ビキニ被災から70年!!核廃絶!!
アメリカだけではない!!、全世界で起こっている!!
12月13日(水)
1,731部隊の事は少し知っていました。しかし、軍が隠し通しながら凄惨な人体実験をやってきたこと、関係者の上部の者は罪を免れ公職にも(その後)就いた事、改めて知り、驚きました。今あちこちできな臭い戦争が行われています。かつて日本も侵略して現地の人々を実験台にしていた事、もっと知るべきと思います。
貴重な企画ありがとうございました。
毎年八王子市も平和展が夏休み中開かれています。原爆の被害関係の展示はありますが、加害の部分が少ないようです。731部隊の資料も(1部でもいいから)加えて欲しいと思います。毎年実行委員会が1月頃広報に出るとか。来年度731部隊の展示もできないか問い合わせてみたらいかがでしょうか。
(60代以上、立川市、友人)
●三多摩平和交流会の感想
16、高橋君の「カクカワ」の活動の話に引きづりこまれました。国連での「核兵器禁止条約」成立の、新しい時代を切り開く希望として正面から受け止めた姿勢に深く感動しました。市民の運動が社会を動かし、世界を動かす展望を語る姿に日本の新しい希望を感じました。
「核兵器禁止条約への日本参加」を議員に直接尋ねる面会活動を進める「カクカワ広島」の体験談が聴きごたえがありました。この広島からの核廃絶の取組の中から研究分析による政治の分析は若い世代にできる柔軟で納得できるものになっていました。
(70代)
集会のアンケートから
平頂山事件については、日本中国友好協会を通じて知りました。
学校では、アジアの近現代史はなかなか教えられません。自分で興味を持って学んでいくしかない現状に歯がゆさを感じます。裁判の終了後も、こうしてこの歴史を人々に伝える活動をしてくださる人々に感謝します。
私の娘は今4歳です。方さんが事件に合われた年齢です。曲さんのお話に自分の娘の姿が重なりました。もう少したったら、娘も連れてこのような学習会に参加できたらと思います。
来日してくださった曲さんご夫妻に感謝します。いつかまた、どちらかの国で私の娘共々曲さんにお会いできたらと希望を持ちます。
会場への案内に立ってくださっていた実行委員会の方々に助けられました。
ありがとうございました。
(中国語)
●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述(2023年9月12日東京地裁)
令和3年(行ウ)第594号
原告増本美保外11名
被告全国健康保険協会
意見陳述書
2023年(令和5年) 9月12日
東京地方裁判所
民事第51部lA係御中
原告ら訴訟復代理人 弁護士 内藤雅義
第3 本件の被ばくとその問題点
被告の主張は、保険部報告をもとに、外部被ばく、内部被ばくを合わせても、最大0.92mSvであり、 lmSvにも達しないと主張します。
これをめぐる争点について述べます。
2 本件被ばくにおける放射性物質の生成量と降下範囲
被告はアメリカの一部の報告を根拠に大部分の放射性物質は、成層圏まで上昇して地球全体にばらまかれてゆっくり降下したとして、高い線量の放射性物質が降下したのは、ごく狭い範囲であり、第五福竜丸は特殊だと主張します。また、当時航空機で測定したりした線量ではごくわずかの線量であったと主張しています。
130、神奈川での関東大震災時の虐殺を知らなくてきました。
事実を多くの人が知るべき。
(60代、市外、ウェブ、関東大震災時の朝鮮人虐殺・毒ガス戦・731部隊)
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11、呉監督の地道で長期間の執念に近い思いが詰まっている作品と感じました。
日本人として忘れてはならない!と反省させられる面もありました。特に近年の保守的な傾向は、若い人に特に見られる様になり危惧しています。(記載なし)
●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
・1938年6月1日の伝染病研究所で石井四郎の厚意によって上映された映画には、731部隊の生体解剖でも映っていたのでであろうか?精神的緊張裡とは、何のことだろうか?
実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??
実験医学雑報22巻 第7号(1938年)
進藤氏凱旋す
昨年8月18日に召集され、爾来佐世保海軍病院部員として勤務中であった海軍軍医大尉進藤宙二氏は去る6月16日召集を解除され、6月25日帰所した。
支那事変応召者調
氏名 応召年月日 備考
中村敬司 12、7.19
西下止夫 〃 7.29
江崎唯人 〃 8.15 13.4.10 除隊
進藤宙二 〃 8.26 13.6.16 除隊
金澤謙一 〃 8.17
中神清一 〃 7.17
篠田茂 〃 8.22
松本信 〃 7.28
鈴木良次 〃 8.15
大原良之 〃 8.17 13.4.7除隊
神子謙 〃 8.27
飛田義雄 〃 9.13
中野豊策 〃 9.12
米倉秀雄 〃 11.6
鈴木勝治 〃 12.5
石井信太郎 〃 12.5 13.4.8除隊
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
第6章 政治的君主の誕生
Ⅳ
1930年初頭、天皇の強い支持を受けた浜口はロンドン海軍条約をめぐって軍令部と衝突した。論争は長びき、多くの海軍指導者が職を辞し、条約反対派は条約支持派将校を追放した。海軍の政治干渉は陸軍にも飛び火し、軍の中核人事権を握っていた陸相宇垣の立場を困難なものにした。政友会は国内の不穏な情勢をすぐさま、民政党と宮中グループによる以前の仕打ちへの復讐に利用した。
●日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
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解説
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
第2次世界大戦は、1945年に日本の「敗戦」で終わりました。その直後に、日本の平和憲法は生まれました。日本、アジアそして世界の人びとに対する「2度と戦争をしません」という誓いとして憲法9条は誕生したのです。
同時にこの憲法は、民主主義の憲法でもありました。それは国民の権利を定め、また「世界中の人びとが平和のうちに生きる権利をもつ」とうたいました。
中米の国・コスタリカも平和憲法をもっています。コスタリカは1949年、軍隊を廃止しました。軍隊の廃上によって、国は教育や医療などにお金を使うことができるようになりました。また、軍隊がないコスタリカに攻め入ろうと考える国はありません。
『鹿屋(かのや)航空基地 史料館』(鹿児島県鹿屋市)について
~ご理解していただきたいことを文章にしました~
2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)
「戦争のない世界」
「戦争のない世界」をめざす行動の道筋に戦争は必要ありません。暴力は不必要です。
「戦争のない世界」をめざす行動は初めから最後まで戦争や暴力と無縁でなければなりません。戦争や暴力を肯定したり、つまり、戦争をするどちらかに肩入れがあってはなりません。
「戦争のない世界」をめざす人たちが、白旗を掲げる人たちが世界の多数になる時、「戦争のない世界」が実現します。
いや、想像するに世界の10%の家々に白旗が掲げられたら世界は劇的に変わるでしょう。
それは遠い夢物語でしょうか。
ありえない事でしょうか。
戦争や暴力に優れた者たちの正義や道理がこの先100年も続いたら人類は核戦争を回避し生き残れるでしょうか。