細菌戦の系譜!!

2021-01-08 11:55:53 | Weblog

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中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

細菌(生物)戦争

米中の生物兵器開発?
中国、感染対策に集中と釈明 WHO調査団入国できず
「国や医師会に憤りを感じる。このままでは医療崩壊だけでなく“居酒屋崩壊”だ」緊急事態宣言の再発出を前に、厚労省の元医系技官が訴え

 

謎の感染拡大ー新型ウィルスの起源を追う―

 

 

 

 

 
 

731細菌部隊と帝銀事件との真相1

 

犯人像

・毒物の取り扱いに慣れていた人物

・毒物は、青酸カリではなく、青酸ニトリールではないか。(伴繁雄が証言を覆す・・GHQの圧力?

・もし、この犯人が変装にたけていたなら、731部隊とか、研究者関係は除外されるのではないか、むしろ特務機関とかの謀略活動をやっていた人物ではないのか?

・旧軍関係者の虐殺行為はGHQと繋がっていた有末機関によって隠蔽された。

・警視庁は敗戦から3年で、日本の秘密戦部隊の残虐性を把握したが、国民には全く伏せていた!!

戦前と戦後の連続性 -帝銀事件と戦争責任-【後半】質疑応答

 
(2021.1.21:18:30~)お話:根岸恵子さん


安倍は起訴だ!!

 

安倍前首相不起訴 “事実誤認あり不当” 検察審査会に申し立て

リニア反対!!

 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

 

「人骨問題と731部隊」
講師:鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)
2021年2月11日(木)までダウンロードできます。
 
 

入所者479人の遺体解剖 ハンセン病療養所が報告書―熊本

 

 

 
 

終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!

 

『長き沈黙【増補版】父が語った悪魔の731部隊』 
2020年11月10日初版第1刷発行 1000円+税

 

父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。

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細菌戦の系譜!!

2021-01-08 11:54:32 | Weblog

「憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。

第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲『悪魔の飽食』

 

 

混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)

 
 

「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー

 
 

 

中国侵略史から学ぶもの

 

『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!

映画『スパイの妻』

第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。

731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!

世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、

 

きちんと事実を認め、謝罪しない??

 

 

黒井秋夫講演会

 

PTSDの日本兵と家族の交流館

 
 

・多様性をどのように日本に取り入れる?

 



 


 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」

―医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

=福見秀雄=

長崎大学と731部隊、細菌ウイルスの人体実験の遺伝子があり、ここにBSL4施設を造るのは人体実験を進めるようなもの

 

福見秀雄 ふくみ-ひでお
1914-1998 昭和時代後期の微生物学者。
大正3年4月20日生まれ。昭和22年創設の国立予防衛生研究所にはいり,細菌部長をへて,
53年所長。55年長崎大学長。藤野恒三郎(つねさぶろう)らと腸炎ビブリオを発見。
インフルエンザワクチンの開発,集団接種などに力をそそいだ。平成10年12月19日死去。
84歳。愛媛県出身。東京帝大卒。著作に「社会の中の感染症」など。

 

 

[略歴][3]
1914年4月20日 愛媛県松山市湊町1丁目に生まれる
1934年3月 松山高等学校(旧制)卒業
1938年3月 東京帝国大学医学部医学科卒業
1938年4月 東京帝国大学附属伝染病研究所嘱託(小島三郎教授研究部)
1947年7月 国立予防衛生研究所勤務(厚生技官)
1952年10月 国立予防衛生研究所細菌部長に昇任
1963年12月~1969年12月 長崎大学教授併任、長崎大学風土病研究所長
1964年1月 朝日文化賞受賞
1965年~1989年 小島三郎記念会代表
1965年10月~1989年 日米医学協力委員会(外務省)委員、コレラ専門部会長
1969年11月 野口英世記念医学賞受賞
1977年8月 国立予防衛生研究所長に昇任
1980年4月 国立予防衛生研究所定年退官
1980年10月 長崎大学学長
1984年10月 長崎大学退任
1986年4月 勲二等旭日重光章受章
1993年6月~1998年12月 財団法人 黒住医学研究振興財団理事長
1998年12月19日 逝去(84歳)、従三位
---------(引用ここまで)----------

 


 
 
 

 

 

隠された毒ガス兵器

 
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細菌戦の系譜!!

2021-01-08 11:46:09 | Weblog
小津安二郎も毒ガス部隊だった
 

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           ※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    歴史改ざん(「風を読む」)

 

     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)

 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

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1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報

雑報

学術集談会

10月20日午後1時より当所内講堂に於いて学術集談会を開催した演題下の如し

1.コレラバクテリオファージに関する研究

        吉積泰君

2.人体に於ける寄生虫の原虫病に於ける

興味ある2.3の近業  宮川米次君

(宮川君の講演の内容は総説蘭に掲出せり)

吉積君のコレラファージに関する実験成績を左の如く総括す

 1.フルーによりて発見せられ野辺地によりて追試確認せられたるコレラファージ産生菌の存在を余も亦確認せり。コレラファージ産生菌とは単なる肉汁培養又は寒天培養に於いて18時間以内に協力なるコレラファージを常に産生する性能を有するコレラ菌株の謂なり。

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より    

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

埋もれた細菌戦調査書

 

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●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

第3部

第1審判決に対する中国の各界の支援の声

 1章 中国の弁護士から

 

道理があればどこでも行ける

 賀 宝健(中国弁護士会 常務理事、弁護士)

 中国の被害者は日本政府に対して謝罪と賠償を求める権利があります。今回の判決に対しては強い遺憾の意を表したいと思います。日本政府が細菌戦の歴史的事実を認め、戦争責任を引き受け中国の被害者に謝罪と賠償を行うまで、私達は中国の原告の訴訟継続を毅然として支持します。私達中国の弁護士は、日本の弁護士と力を合わせて頑張ります。なぜなら、それが正義の道です。

731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

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細菌戦の系譜!!

2021-01-08 11:43:14 | Weblog



2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 ●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 三月二十七日

 

晴 風冷たし 巡察あり 第二三列車第七二列車 事件あり。首山の○○について面白い話を知った。今日は久しぶりの巡察だ。第二三列車にて第七二列車で帰るんだ ところが七二が早発の為に十八で帰った。

経理検査の為に相変わらず使役 但し自由だ 相撲を取れば足の角の座角力流行 本当に呑気だ 午後五時五十分に巡察の為に首山に着いた。今日は本当に恵まれた日の様だ。

    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 


 

 
挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅱ 広島再訪

  被爆者の挨拶が終わると、様々な質問と答えが交換される。その全体の雰囲気は真摯だし切実だが、僕は、質問の大半が、去年の被爆者を囲む懇談会で行われたものと同じものであることに気が付く。日本の数々の地方から広島に集まってきた若い人たち、彼らは熱情に満ちているが、原爆症について、あるいは被爆者の生活について、ごく限られた知識しか持たないでやって来たのだ。そこで、挨拶を終えたばかりの汗みずくの被爆者が、恐らく数年にわたって繰り返してきたはずの、基本的な説明を根気強く、繰り返さねばならない。僕は改めて広島には実に数多くの忍耐強い人間が生き続けているのだろう、と考えないではいられない。それも実に驚くべく忍耐強い人々が・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

Ⅰ 731部隊

 

昆虫班でのノミの増殖

ノモンハンでの細菌撒布も

 

鶴田兼敏(つるたかねとし)

731部隊・少年隊

〈経歴〉

1921年生まれ

1938年 731部隊に入隊(少年隊・田中班)

1939年10月 退職

1945年12月 帰国

■この証言は佐賀731部隊展(1994年12月)の『報告集』をもとに本人がまとまたもの。

 

解説ーノモンハン事件 (西野留美子)

 一方、当時少年隊でありノモンハンで使用した細菌を製造した篠塚良雄氏は、戦後撫順戦犯管理所に収容されていた時に、次のように供述している。

 

 

 1939年7月上旬から8月下旬の間、私は石井部隊の少年隊員であった。臨時の編成による、同部隊の培地班班長早川少佐を総指揮とする細菌大量生産の小林隊に所属し、「ノモンハン事件」の細菌作戦に使用するチフス菌、コレラ菌、発疹チフス菌を生産した。無菌室に於いて今野信次技手の直接指導のもと、2名の者と1組になり、毎月約30缶(培養用の缶)の細菌を培殖した。この間に私は、約1㎏の細菌を掻き取った。大量に生産された細菌は、生産参加人員が逐次出張命令により将軍廟、ハイラルなどの地へ運搬し、「ノモンハン事件」での使用に提供された。(略)私の運んだ細菌は碇挺身隊によってハルハ河に散布され、いわゆる細菌戦謀略戦が行われた。(『細菌作戦』中央档案館・中国第2歴史档案館・吉林省社会科学編、同文館)

 

 

 

 

 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

 

六 第731部隊の各支隊

 

張清林証言(1956年5月11日)

私の名は張清林という。年齢は38歳。黒龍江省林口県新城郷(もと古城鎮)出身で、現在は郷の通信員をしている。

「満洲国」時代、労務者徴用がひどかったので、私は徴用を免れる為、村の隣人である趙炳海に頼んで仕事を紹介してもらった。彼は私たちの村から6,7里【1里は0.5㎞】の所にあった日本軍第162部隊で、ボイラー係をしていた。「満洲国」康徳11【1944】年6月、彼から第162部隊で鼠や兎、「海猫」【学名Steneofiber、齧歯類、ビーバーの半分ほどの大きさ】などを飼育する仕事を紹介され、私はそこに日本の降伏迄勤務していた。

 

 

 

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第3章

2 国内民間人の防毒訓練

 

防空演習と防毒訓練

 

 

 信濃毎日新聞社の主筆だった桐生悠々は、東京が空襲を受けた事を想定して、1933(昭和8)年8月6日から3日間にわたって行われた関東防空大演習について論評し、これが実戦であれば損害は大きく、将来現実にあってはならないとしたうえで、敵機を東京の上空に迎え撃つという事は本土に侵入を許しているという事であり、これは日本軍の敗北そのものであって、敵機を断じて領内に入れてはならないし、そのような防空演習でなければ何も役に立たない、航空戦は空襲したものの勝利であり、空襲されたものの負けであるなどと8月11日の社説に記したところ、在郷軍人会の圧力を受けて新聞社からの退社を余儀なくされた。この時、十数年後には桐生が指摘した状況が現実のものになるとは、誰も予測していなかったであろう。


 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2021-01-08 11:39:47 | Weblog

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第2章 地図から消えた神秘の大久野島

 最初の毒ガス被害者

何年かの後、又1人の作業員、大隈政蔵さんがイペリットガスの原料となる塩化硫を運んでいたとき、足元の踏み板が安定していなかったのでひっくり返り、原料を頭から被った。大隈さんは人事不省に陥り病院で1ヶ月治療したが効果なく、肺が完全に焼けて苦痛のうちに死んだ。

 大久野島では、このような事故の発生は枚挙にいとまがない。ある者は塩化硫が熱のために爆発して死んだし、ある者は硫酸が目に入って失明したりした。給料がいいという事だけで、多くの農村の貧しい農民たちを引き付け、島で作業をさせられたのだが、戦争の絶え間ない拡大によって、化学兵器の需要がどんどん増加するとともに、危険な事故が頻繁に発生するようになった。死傷者が多くなると作業員の気分に影響するので、1937年3月、工場は大久野島神社の中に死者の供養に「殉職碑」を立てた。だが、こんなことで、作業員の心の中の暗い影を消し去ることはできるはずもなく、彼らの気持ちを落ち着かせることはできなかった。

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

強姦

赤ん坊を殺し母親を犯す

 

石田幹雄

兵長

〈略歴〉

1913年 山梨県の中農の家に生まれ、

1928年 小学校卒業と同時に東京に出て、印刷労働者となり、

1941年10月20日 補充兵として東部63部隊に入営。

1942年5月末 中国に侵略し、

1945年8月22日 59師団54旅団110大隊兵長として朝鮮においてソ連により武装解除を受ける。

 

 泥靴で布団の上に飛び上がり、大手を広げて壁際の女をめがけて襲いかかった私の体の下を潜り抜けて、素早くオンドルの片隅へ身を寄せた婦人は、じっと闇の中で私の次の行動を見つめていた。たやすく女が自由にできると思っていた私は当てが外れ、気を立て直して女の様子を窺いながら向き直った。

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

 

16日に『化学学校記事』の情報公開裁判があった。防衛省は、「衛生学校記事」と違って「化学学校記事」は、公文書として管理していないという。同じ自衛隊の中の機関誌でありながらなぜこうも扱いが違うのか?防衛省は最初「化学学校記事」は12号まではあったと主張していたが、原告が16号を提出すると、2年間も回答をしなかった。そしてやっと存在を認めた。そして20号まではいっていないと思う。何号まで発行されていたかは分からないとの曖昧な回答。

なぜ、防衛省という公的機関の機関誌の存在を、防衛省はきちんと把握できていないのだろうか?

何を隠そうとしている??

 

次回「衛生学校記事」情報公開裁判 2月5日(金)15:00~

419号法廷

「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00~

法廷未定

自衛隊におけるCBRN対応
         長岡大学教授  兒島 俊郎

2 陸上自衛隊におけるCBRN対応

(3)教範から見えるCBRN対応

 

 

本教範が自衛隊化学部隊の行動の基準を与え、化学幕僚のなすべきことを明確にするためまとめられたことは明らかである。その目次は以下の通り。
「はしがき
綱領(欠)
・・・・・

第4章 第4章 化学補給整備部隊
 第1節 概説
 第2節 化学補給部隊
 第3節 化学基地補給処部隊
 第4節 化学警備部隊
 第5節 化学処理部隊

 

第5章 情報関係部隊
 第1節 化学技術情報班
 第2節 化学実験小隊
付録
1、特殊武器防護計画の様式
2、特殊武器防護に関する作戦規定の参考様式
3、作戦命令の一例」
第1章では化学部隊の任務、種類などが示される。興味深いのは第1節2款の「幕僚活動」である。化学幕僚としての任務が記述されているのであるが、その「21他の幕僚に対する調整」において、化学幕僚以外の幕僚との調整の必要が指摘されており、その際CBRN関係で他の幕僚と調整すべき事項が記述されている。

 

 

*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

 


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

4、日本本土も汚されている

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る

機動隊の催涙ガス作戦

 

学生たちは、激しい放水を直接浴びたりして、びしょぬれの衣類に催涙剤が付着したまま、逮捕された。最初は身体中がヒリヒリする程度だったが、一夜明けると皮膚に赤い湿疹が出来ていた。それはちょうど凍傷に似た症状だった。やがてそれが小さい無数の水泡となり、水泡はだんだんと大きくなり小児の頭くらいの大きさの袋が患部にいくつも垂れ下がって激痛を覚える。皮膚の40%を負傷した患者は、下半身脱水状態で衰弱し、3日間危篤状態が続いたとも報告されている。

●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 

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細菌戦の系譜!!

2021-01-08 11:36:54 | Weblog

●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 ※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

多くの日本人がこの写真を目にしたことで、改めて、天皇がほどなく退位するという噂が飛び交うこととなった。国民は、天皇が、815日に行った降伏を告るラジオ放送によって否応なく敗戦を知らされた。そして、今度は、1枚の写真によって、国民は敗戦の持つ苦痛に満ちた政治的な意味合いを思い知らされた。国民が写真の中に見た天皇は、現人神(あらひとがみ)ではなく生身の人間であり、その傍らには彼よりも年長で、いまや彼を屈従させている人間が立っていた。天皇が敗戦国をみごとに象徴していたのとは対照的に、マッカーサーはじつにくつろいだ雰囲気で立っており、勝利が彼にもたらした自信に満ちあふれていた。

 この1枚の写真によって、天皇は日本の共同体のアイデンテイティの中心から退き、さらに国民を過去の呪縛から解きほぐす小さな一歩が踏み出されることとなった。

 

小泉親彦と昭和天皇

 731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

 

あとがきにかえてー自然エネルギーの展望

 そればかりか、各地に設置された風力発電には、「低周波音が風車病を引き起こす」、「騒音公害がすさまじい」という声が絶えない。しかも送電線が必要なので、分散型の電源ではない。これら、あまりにも多くの問題がありながら、自然エネルギーのシンボルだと勘違いされている。直径80mもある羽根が高速で回れば、風車病と呼ばれるすさまじい被害が出るのも当然である。

※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?


 アメリカ合衆国

ニューメキシコ州での核実験

 

2010年11月18日 Zマシン(サンディア国立研究所)と呼ばれる核融合実験装置/X線発生装置を使い、核爆発を伴わない「新型核実験」に成功している(この実験はマスメディアなどでは一応臨界前核実験とは区別して新型核実験と呼ばれている)。これは強力なX線を発生させ、超高温、超高圧の核爆発に近い状況を再現し、プルトニウムの反応をみる実験である。この実験は2014年11月まで続いており計12回行われている。

 


月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

 

 
 

 

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書


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水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!

 

 

 

 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

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