●中国侵略戦争
●細菌(生物)戦争
●『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!
映画『スパイの妻』
第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。
731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!
世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、
きちんと事実を認め、謝罪しない??
ユーザーレビュー
この作品に高評価つけてる人ってあまり映画見た事ない人かな?黒沢清監督、コレで賞もらって嬉しいのかな.....アニメしかヒットしない国だからこの程度で評価が高いのかな。。
―医学と人権を考える―
(以下、パネル展の内容)
◎原爆報告書
封印された原爆報告書
●石川太刀雄
(当時)
731部隊第1部石川班で病理研究
金沢大学医学部病理学教授
アメリカのヒル&ヴィクタ-調査報告書によれば 「・・・・岡本耕造博士によれば、金沢大学にあった病理データは1943年に石川博士によってハルビンから持ち帰られたのである。それはおよそ500人の標本からなっていた」と書かれています。
1943年石川は金沢大学医学部教授となる。
特に流行性出血熱(孫呉熱)の研究で有名。
北野政次の「防疫秘話」の記述では「・・・・流行性出血熱の研究では・・・・
昭和11年11月初旬、トゲダニを朝比奈技師が集め、金沢博士が11月6日実験し、笠原博士が引継ぎ、11月14日石川博士の病理報告で実験成功を知り、その後笠原博士の努力で病原体がウイルスである事が決定・・・・病理研究は所博士が引継いだ」とあります。
また同調査に対して「ペストは自然の流行の際に、集められたものばかりでなく、
人工的にペストに感染させ解剖した人から採った標本の数として、総数は180」と答えています。 論文「炎症(殊にペスト)に関する研究」では、満州国農安地区ペスト流行に際して、 ペスト屍57体解剖を行った。之は体数に於いて世界記録であると自慢しています。
(戦後)
1949年 日本細胞化学会を創設
1954年 オランダの国際細胞学会に日本代表
1962年 第6期日本学術会議第7部会員に選ばれる
1967年 金大医学部付属神経情報研究施設長
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するのか?" rel="noopener" target="_blank">関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するの style="font-size: x-large;">
歴史改ざん(「風を読む」
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る
米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??