細菌戦の系譜!!

2019-02-04 05:07:49 | Weblog

第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
NO MORE 化学兵器
帝銀事件と登戸研究所
石垣島の自衛隊!!
カネミ油症問題
元731部隊軍医と強制不妊手術
731部隊・100部隊と戦後の流れ
細菌戦部隊員の戦後
731部隊の問題


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に


●ニュース
厚労省担当者の更迭「証言封じるため」 立憲・枝野氏

東京医大で一般入試 不正入試問題で志願者大幅減

「南スーダンPKO動画」開示 防衛省


根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開



核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは

3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~



【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 厚生労働省の毎月勤労統計改ざん! 政府の流れはつぶれる会社のパターン


「歴史の真相」内海聡の内海塾



【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機


【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!


【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 日立のイギリス原発輸出撤退の裏側! 日本に生まれる新ビジネスチャンス



竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30

●お知らせ




京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

意外な来訪者
休みの日であった。洗濯は自分ですることになっていたが、1日に2回ずつ入浴するのに加えて、衣料の消毒や漂白などをしょっちゅうやっているので、洗濯が重荷になるということはなかった。
朝の5時に起床して勤務し、夜は10時まで講義を受けるという厳しい日課のせいで、先ず眠ることが何よりの楽しみなのである。その日も軽く洗濯を済ませて2時ごろから眠るつもりであった。
ところが、突然、私を訪ねて来た人がある。
「秋山という者が、いるだろう?」
平服を着たその人は、森島をつかまえてたずねていた。私は部屋の中で、廊下から聞こえる声を耳にして、はっと立ち上がった。語調は穏やかだったが、私は、憲兵かも知れないと思ったのである。この部隊で平服を着用しているのは憲兵ぐらいよりない筈であったから。―身に何のおぼえもなかったけれども、顔中の血が、すうと引くのが自分でもわかる。
「はい、自分であります」
と、内心の動揺を緊張で抑えながら、私は進み出た。
その人は声や動作などからは30前後の感じであったが、顔を見ると、40ぐらいにも思える。
「S村のどの辺かね?」
その人は、柔和に相好をくずして、私の全身をそれとなく見回した。


・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・


「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」








日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか

多種多様な化学兵器
各種毒ガス弾の外部形状及び規格は普通の砲弾と違いは無い。一般の火炎砲を用いて発射することもできる。しかし毒ガス砲弾の内部には、火薬の他に毒剤が入っている。このため内部の構造は普通の砲弾に比べて複雑で、各種毒ガス弾は装入される毒剤の成分によって分類できる。毒ガス弾の外側は様々な色の塗料で環状の標識帯が塗られている。ラベルの色は毒剤の色の表示と一致する。例えば糜爛性毒剤(きい一号もしくはきい二号)を装入した砲弾には黄色の標識帯が塗られ、嘔吐性のジフェニールシアンアルシン(あか一号)毒剤を装入した砲弾には赤い標識帯が塗られている、等々。日本の軍隊の中では、一般に砲弾の表示帯の色によって砲弾を「きい弾」「あか弾」等と名付けている。1934年、迫撃砲弾用のあか弾、きい弾及び飛行機から空中投下する15キログラムのあか弾が制式化され、また毒ガス部隊用の毒剤補給管も開発された。1937年には、青酸ガスが制式化されたため、この毒剤を装填する山野砲及び榴弾砲用弾丸も制式化された。



東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。 
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●E1棟(ジェニル・シアン・アルシンの充填作業場) 

中は、壁によって細長い部屋と広い部屋に区切られています。上の右側写真で見える二階部分へ通じる階段が見えます。

●登戸研究所資料館
はじめに
登戸研究所資料館の特徴
この資料館の特徴は4つあります。まず第1に、この資料館が、旧日本軍の研究施設をそのまま保存・活用して資料館にした全国でも唯一の事例であるという事です。資料館(36号棟)は、登戸研究所第二科の実験棟の一つ(農作物を枯らす細菌兵器の開発棟)であり、建物そのものが貴重な戦争遺跡です。その為、可能な限り、建物に作り付けの設備はそのまま残し、部屋割り・内装・証明も戦時中の姿に近いもの復元しました。また、室内にフレームを組んで、展示を行なうというやり方を採用し、建物内部の設備・壁面などがなるべく見られるように工夫しました。

●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

4、ドイツではどのように向き合ったのか

■日本ではまだ広く知られていない戦争医学犯罪

―現在、日本では、どのような議論がなされているのでしょうか。また、いま、軍事研究への大学や研究機関の動員という問題が大きな問題となっているときに、どんな議論がなされる必要があるとお思いですか。 

しかし、ナチス・ドイツの戦争医学犯罪を踏まえて、世界医師会はジュネーブ宣言や医の国際倫理綱領で「医師は、常に何ものにも左右されることなくその専門職としての判断を行い、専門職としての行為の最高の水準を維持しなければならない」などの条項を採択し、「患者の人権擁護」のためには患者、医師、医師会、それぞれの自律が必要だとしてきました。このような国際的に普遍的な考え方にたつならば、国政の如何などとは関係なく、日本の医学界・医療界が自省の議論を尽くす必要があります。



昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)



復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

3、特殊爆弾から原子爆弾へ
被災後2週間もすれば、被爆者は外科的症状よりも放射能障害による出血、下血、発熱、衰弱等の症状を著明に現わしていた。そのため内科の本橋少佐と防疫の秦少佐が派遣されて、8月22日から調査に従事した。29日からは嘱託の都築教授、三宅助教授以下が広島に派遣され、御園生、山科の両少佐も再び出張した。これ等の人々は広島戦災再調査班という名称で行動し、原爆症の臨床、病理、及び対策等に関して詳細な観察を行なって9月1日から毎日報告を陸軍軍医学校長へ提出した。





イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変



このような強硬な主張のため元老西園寺からは、しばしば批判されることになるが、近衛は天皇からは信頼されていた。連盟脱退を承認した天皇の決定に、近衛が影響を与えたかどうかを証明することはできない。しかし、昭和天皇は、列強は人種的対立にとらわれ、日本がアジアにおける有力な国家として台頭しないことを望んでいるという見方をかなり以前から聞かされていた。さらには、近衛の考えは、世論形成の役を担う各方面のエリートにも、天皇側近の宮廷官僚にも大きな影響力を持っていたと言える。



小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!


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