国家犯罪!731・水俣・原発・天皇制!!

2013-12-04 09:22:00 | Weblog

秘密保護法廃案!!

全参考人が懸念表明=日弁連と新聞労連「廃案を」―秘密保護法案

秘密保護法案、学者や弁護士ら相次ぎ反対表明

大竹まことが苦言!特定秘密保護法成立で一般国民か\x{3099}監視対象


世論で秘密保護法案廃案必ず

参院委、5日強行採決も 秘密保護法案 4日に公聴会

金子勝慶應大学教授が話しています。
特定秘密保護法 衆議院で強行採決!前日の福島の公聴会では全員反対なのに。なんのための公聴会?国民-の声を聞いてないという証だ。このままでは誰も何も言えなくなってしまう。
大竹まことゴールデンラジオ!2013/11/27放送より




暴走モード突入(;^ω^)



(転載)
協会声明「暗黒の時代に逆戻りさせる秘密保護法の制定に反対する」


自公両党によって「秘密保護法案」が臨時国会に上程されました。
法案の趣旨は、防衛や外交等日本の安全保障上支障がある情報を「特定秘密」に指定し、それを漏えいした場合などに最高10年の懲役を科すとなっています。
しかし、秘密とすべき情報とは一体何を指すのか明示されることなく、それ自体が秘密とされているため、恣意的に秘密が指定され、逮捕、拘留される恐れがあります。また秘密を扱うものだけでなく、その家族、配偶者等も「適正評価」と称した身元調査の対象とされており、国民全体が弾圧される危険性があります。
また、報道の自由や憲法で保障された国民の知る権利、基本的人権が根底から侵害され、平和運動、市民運動、友好運動等もすべてが捜査対象になり、戦前の暗黒の時代に逆戻りすることになってしまいます。
法案作成の理由として、緊張する周辺諸国に対する日本の安全保障の必要性も挙げられており、中国や北朝鮮を念頭に置いていることもあきらかです。隣国である中国との友好・交流をすすめる私たち日中友好協会の活動が「我が国の安全保障に支障を与える活動」として理由もわからず「犯罪」対象とされる恐れもあります。
日中友好協会は、戦前、国民の知る権利を封殺して国民を戦争に駆り立て、中国をはじめとしたアジア各国に侵略していった歴史を再び繰り返してはならないとの決意のもとに結成され、不再戦平和の運動を粘り強く進めてきました。
私たち日中友好協会東京都連合会は、不再戦平和の決意を新たにし、侵略戦争への反省もないままに日米軍事同盟を更に強化させ、国民を「戦争する国」に追いやる「秘密保護法」の制定に強く反対し、「秘密保護法案」を廃案に追い込むために奮闘します。

2013年11月26日
日本中国友好協会東京都連合会
常任理事会



●脱原発
福島県民は、放射能汚染を恐れている!!
◆【小出裕章ジャーナル~第47回】燃料棒70体が震災前から損傷

福島第一原発4号機 カメラが捉えた厳しい現実

汚染水 ~福島第一原発 危機の真相~/NHKスペシャル

#原発\x{2622}#福島 の悲劇、帰還奨励は犯罪だ\x{2762}字幕

燃料棒破損と収束作業の実態

タイマーズ サマータイムブルース 直ちに健康に影響は







福島第1原発3号機核爆発
福島3号機爆発当日速報

福島原発爆発瞬間「1000年後に残したい報道映像2011」日テレ 部分映像

福島3号は核爆発チェルノブイリと 同じくらい深刻 バズビー教授


福島3号爆発は即発臨界ガンダーセン

福島1号水素爆発vs3号核爆発vs小型核爆発実験


小出裕章さんにきく。- 福島の子どもの甲状腺がん、胎児への影響


放射能汚染の現実
45年前 水爆が落ちた村 スペインパロマレス

福島原発 メルトアウト:核燃料が地下水脈に接触の可能性! 佐藤暁氏


「原発がどんなものか知ってほしい」の平井憲夫さん 完全版

【耐震補強】浜岡原子力発電所 取材特集~浜岡原発は今桜H24 8 14

原子力規制委員会の委員人事は違法、海渡雄一

「はだしのゲン」は被曝後の広島をリアルに描いている!!
小野俊一第2回院内勉強会放射能と内部被曝2012 4 26

小野俊一第6回院内勉強会フクシマの真実と内部被曝2012 10 11

プルトニウムを飲ませたい人たち!!
奈良林直、中川恵一、大橋弘忠プルトニウムはそんなに危険ではありません

原子力はなぜか金で動いている?
斑目春樹と小出裕章

ドイツZDF フクシマの嘘 (連結済み)29分23秒 



731部隊の問題は戦後の医学界に大きな影を落としている!!
731部隊(アメリカとの取引き・戦犯免責の経緯、部隊員の証言等)


山下俊一のお師匠さん、
重松逸造も、戦中の医学界の流れを引き継いだ!!
重松逸造とはどんな人物?
プルトニウム元年 第3作 1993年8月放送 3/5


被曝をめぐる御用学者の系譜より
ところで、この重松逸造とはいったいどんな人物なのでしょうか。
重松が戦時中何をしていたのかは不明ですが、戦後は公衆衛生院の一員であると同時に、広島長崎の原爆被害について米国が作った原爆障害委員会(以下、ABCC)のスタッフでした。このABCCが解散した後、1975年に予防衛生研究所との再編でできたのが放射線影響研究所(放影研)。広島の日赤病院の一角にあり、被曝者を調べるだけで治してくれない処と地元では云われてきたそうです。それもそのはず、ABCCとは原爆を落とした米国が、原爆による被害をチェックするために作った機関であり、被曝に苦しむ人たちを救おうという研究機関ではありませんでした。そして、非被曝群ではなく低被曝群を比較対照とすることで、被曝被害を過小評価してきました。重松は放影研の理事長などを務め、実質的に放影研を牛耳ってきた人物です。

重松は被曝被害を過小評価しただけではありませんでした。日本で公害問題が深刻になり、水俣病をはじめいろいろな公害病が話題になった時にも名前が登場します。イタイイタイ病では公害認定がなされた後の1976年になって三井金属や自民党等が原因のカドミウムを否定する動きを見せ、それを受けてWHOにカドミウムの見直しを提起した学者の1人が重松でした。また、スモン病の時には厚生省の調査班班長となり、後日原因物質として認定されることになるキノホルムを原因としませんでした。つまり、キノホルムによる薬害を認めず、製薬企業や国を利する報告を行ったのです。詳しくは広河隆一さんの『チェルノブイリから広島へ』(岩波 1995)に書かれています(この本は絶版みたいなので最近出た新版らしきものを横に紹介しておきます)。

また、重松は、成人T細胞性白血病(ATL)の原因ウイルスの母子感染について、厚生省研究班の班長として1990年度に「全国一律の検査や対策は必要ない」との報告をまとめ、感染者の全国拡大を招きました。これは、国の対策が遅れたことによる被害という側面をもたらしました。これに関して重松は、今年1月の新聞インタビューで「私は、いわば雇われマダム的な班長だった・・・」と白状しています(雇われマダムに失礼な発言だ!)。

御用学者はその名の通り、国や企業の便宜を図るような話をしたり論文を書いたりするため、研究費等のお金がたっぷり貰えます。お金のある研究室の回りには研究者もたくさん集まるため、御用学者は集団化し大きな勢力となります。お金と人を握れば学会などを支配できますので影響力が増し、発言権も大きくなっていきます。これが(醜悪な)世の習い。

一方、権力側に都合悪い話でも正しいことを堂々と主張する研究者もいます。でもごくごく少数です。そして、このような立派な研究者にはお金が回ってきません。学会からも遠ざけられます。こういう状況を知っている大多数の研究者たちは、発言を慎みささやかに生きていくか、御用学者化するか、どちらかに流れていきます。その結果が今日の東電福島原発を取り巻く状況だと思っていいでしょう。だから、権威筋の話しか信じない・信じられないという一般人は、今回のような事故の時には完全にマヤカサれてしまいます(きっぱり)。

ということで、重松逸造にはたくさんの弟子がいます。最近メディアに出てくる長瀧重信(長崎大、元放影研理事長)は先のチェルノブイリ原発事故調査の時にも重松といっしょにシゴトをしています。広島大原医研の神谷研二。長崎大の山下俊一も、重松や長瀧らとチェルノブイリ原発事故の調査を行っており、その資金源は右翼笹川系の笹川チェルノブイリ医療協力(日本財団)でした。原爆と原発と戦後右翼を繋ぐ禍々しいリンクが垣間見えてきます。最近、山下の代わりに露出気味の高村昇というのは長崎大での山下の弟子になりますね。その他の有象無象の「御用学者」はネットで調べれば簡単にわかります。

重松、長瀧、神谷、山下、高村、・・・・彼らは、放射線の被曝影響を小さく見せるための御用学者です。それ以外にも、地震の影響を過小評価して原発の立地にゴーサインを出す地震学者、原発関連だけでも御用学者はたくさんいます。フランスのペルラン裁判と同様、彼らの犯罪は後できっちりオトシマエをつけなければなりませんね。

(参考)今中哲二編「チェルノブイリ事故による放射能災害」(国際共同研究報告書)(技術と人間 1998)

重松逸造の訃報に接して 肝心なことは、何も語らずに逃げるように逝った貴方


山下俊一トンデモ発言


●731部隊
いま明らかになるハバロフスク裁判の全容 1

いま明らかになるハバロフスク裁判の全容2




特定秘密保護法安を断固阻止するために

中国の細菌戦調査について・731部隊の情報を公開せよ!!・



731部隊の罪業をアメリカは免責しても、世界の眼はごまかせない!!

日本は過去の清算をきちんとしているのだろうか?

韓国人驚きと衝撃!!

日中友好新聞11月15日

「731部隊細菌戦特別展」開催、旧日本軍の中国侵略の歴史を再現―韓国

おりしも、ソウル大学で人骨発見!!
工事現場から50人分の人骨、日本統治時代の解剖用か

軍医学校跡地で発見された
人骨問題を究明する会



歴史の事実を隠蔽するな!!
教科書検定基準を厳格化…歴史や領土を巡る記述

731部隊が人体実験や細菌戦を行ったことは明らかである!!
日本政府は、速やかに情報を公開せよ!!

【七三一部隊展2013実行委員会より】
(最新の資料を元に新たにパネルを作成しました!!)         


七三一部隊展2013実行委員会
E-mail
exhibition731@yahoo.co.jp
http://ameblo.jp/supportvictim731/
詳しくは「731部隊展2013」で

●開催予定
2014年3月24(月)~3月30日(日)八王子にて

2013年「731部隊パネル展」より


パネル集1993年「731部隊展」


IMAGINE 9
09
想像してごらん、
9条がゆきわたった世界を。

Imagine,
A world filled with Article 9.
文 星川淳、河崎哲 合同出版より



秘密保護法案が成立すれば、残虐な731や南京大虐殺は特定秘密にされ、(いや、もうすでに絶対に公開しない方針?)資料の公開はされない!!


●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開\x{6c85}/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
ヴォートリン
ヴォートリン
日記の抄訳(1937年12月12日~1938年5月13日)
2月15日、火曜日
春の鳥がたくさんきている。わが居間で“春よ、ようこそ”が咲き始めている。
午前中、難民の一群に新聞や雑誌を、図書館の屋根裏部屋へ戻してもらった―屋根裏をきれいにしておく努力がすべて、首尾よくも徒労に終わった。移動したわけは、新聞などに占拠されていた書棚がいるからだ。そのあと、李さんとわたしとで1時間くらいかけて、中央館の後ろの糞便を片付ける、よりよい方法を編み出した。わたしたちはそれを埋め込む溝を、掘っては満たし掘っては満たししてきた―至る所にそれがある。わたしたちに付きまとって離れない、永遠の問題になっている―しかも、わがキャンプがほかよりもずっと見事に、問題を解決してきたと、言われているのだ。石炭がすぐにも手に入らなかったら、夏が終わる前にわたしたちみんな、病気からお墓行きになるだろう。




水俣病
一時は、「奇病」などと呼ばれていた。
水俣病患者と水俣出身者への差別も起こった。
苦しんでいる人は、今もいる!!

もし、戦後日本学術会議や日本医学界が731部隊の反省をきちんとし、人間を「マルタ」としてみるのではなく、「人」としてみる、すなわち患者側にたって、医療をすすめていれば、水俣病の拡大は防げたのでは?
政治家・経済界は目先の経済優先の戦後復興に血眼になった。医療は、企業側・国側に相変わらず加担してしまった。

水俣と福島の状況は酷似していませんか?
水俣病では工場が設置したサーキュレータが全く機能しなかった!
福島ではシルトフェンスは大丈夫なのか?
質問なるほドリ:シルトフェンスで汚染水を防げるの?=回答・鳥井真平

ミナマタからフクシマへ~いま、いのちを問う~(後半

水俣病は克服などしていない!!まだ多くの人が苦しんでいる!!






上村智子ちゃんはみんなのために中公審に連れて行かれた。患者たちは委員に要求した、
この子を見、触れ、抱けと。そして人間を金額で評価する彼らに、その経験を忘れるなと。

写真集『水俣』(W.ユージン・スミス、アイリーンM.スミス、中尾ハジメ訳 三一書房より)

江頭が会長だった1972年1月、千葉県のチッソ五井工場に交渉にやってきた患者や新聞記者たち約20名が暴力団員に襲われた。著名なカメラマンであるユージン・スミスはこのときに脊椎を折られ、片目失明の重傷を負っている。その件について、彼が謝罪することは決してなかった。

娘・優美子が外務省勤務の小和田恆に嫁いだ。恆と優美子の長女である雅子は平成5年(1993年)、皇太子徳仁親王と結婚し、皇太子妃となった。


水俣条約:外交会議 首相ビデオメッセージ 「水銀による被害とその克服を経た我々」 「苦しみ知らぬ」患者反発

医学界はここでも水俣病の否定にはしった!!
水俣病では、田宮委員会が、水俣病をもみ消し走った。(宇井純)
昭和35年に入り、医学者は水俣病の発生は止んだと発表した。こうして患者は、以後10年まったく忘れ去られた!!
(20:40あたりから)福島原発事故を想起させる!
水俣病=その20年=


偉い学者(原田正純、宇井純、小出裕章など)は出世できない社会?(権力側が押さえつける構造)
宇井純氏は、なぜ万年助手だったの?

助手就任の1965年に新潟水俣病が発生し、実名での水俣病告発を開始したため東大での出世の道は閉ざされ、「万年助手」に据え置かれた



【訃報】<宇井純さん死去>「水俣病」などに大きな足跡

尊敬する学者・宇井純・水俣病

コメント
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国家犯罪!731・水俣・原発・天皇制!!

2013-12-04 09:18:34 | Weblog

水俣病と731部隊の影

田宮猛雄について
◆731部隊関連科学者たちの戦後
東京帝国大学にあって、731部隊のための人材スカウトの役目を果たしていた田宮猛雄博士は、1945(昭和20)年4月東大医学部長になった。そして後にリッケチアによる伝染病、かの有名なつつが虫病の研究で世界的名声を獲得する。彼はさらに日本国立ガンセンターの初代の所長になり、日本医師会の会長にもなった。
【『731部隊の生物兵器とアメリカ』
(バイオテロの系譜) 2003年発行
(ピーター・ウィリアムズ / デビッド・ウォーレス=著 西里扶甬子=訳 かもがわ出版)より】
◆京大閥「731部隊」、東大閥「同仁会」
そのころ、東京帝大伝染病研究所(伝研)は激動に見舞われていた。昭和20年9月2日、岡本啓氏(伝研2部)が自分の研究室でガス自殺をし、ついで、昭和20年9月16日、米軍が伝研を接収しようとしたが、これは田宮猛雄所長らの抵抗で阻止するなど大忙しであった。
北野(北野政次・・・731部隊2代目隊長)が東大伝研に現れたとき、最も北野を庇護したのがこの田宮猛雄伝研所長であった。田宮は日本医学界の大ボスで、多くの伝研所員を「徴兵逃れ」を餌に731部隊や同仁会に送り込んでいた。
731部隊の大ボスが京大閥の石井であるならば、当時の軍隊を頂点とする権力構造に、民間の側から医学的に奉仕したのが同仁会である。
【『731部隊細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)高杉晋吾著より】
◆水俣病と田宮猛雄
東大医学部の反論が原因特定の遅れを招いた!!

公式見解として、メチル水銀化合物 と断定したのは、1968年9月26日であった。これは、水銀中毒であることは確かだが、当時、数ある有機水銀のうちのメチル水銀が原因であるという確証が得られなかったことに起因する。この物質がメチル水銀であったことはすぐに判明したものの、初期の曖昧な内容が東大医学部などの反論を招いた。そして、それに対する再反論作成の必要に迫られるなどして原因特定の遅れを招くことになった為である。なお、当時の文献や、それを引用した文献では、原因物質は単に有機水銀と表記されていることがある。(ウキペディアより)

「原発はいますぐ廃止せよ」より転載
歴史は繰り返す  水俣病の有機水銀説を否定する「田宮委員会」御用学者たち
(3)日本化学工業協会の田宮委員会
見舞金契約の決着で年を越した昭和35(1960)年以降は、通産省の指導によりチッソは表立って有機水銀説に反論を出すことはなくなり、代わって、有機水銀説への反論・異論を唱える役割は日本化学工業協会(以下「日化協」という。)が担うことになった。
その場として日化協は「田宮委員会」を用意した。
チッソに代わって業界団体が水俣病問題に乗り出してきたことは、有機水銀説すなわち工場原因説による影響がチッソだけでなく国内の他の同種工場へ波及することを懸念したものと思われる。
昭和34(1959)年9 月には、既に大島日化協理事が爆薬説を主張していた。日化協は、同年12 月に水俣病問題に関連した排水対策のため、産業排水対策委員会の中に塩化ビニール酢酸特別委員会を設立した。
昭和35(1960)年4 月8 日、日化協は、酢酸特別委員会の付属機関として、田宮猛雄日本医学会会長を委員長に、錚々たるメンバーを集めて「水俣病研究懇談会」を設けた。
この会は委員長の名を取って「田宮委員会」と呼ばれ、日化協は、これを中立的、科学的見地からの水俣病への取り組みであると強調した。
[注釈]主なメンバーとしては、顧問に小林芳人東京大学名誉教授(薬理学)、沖中重雄東京大学医学部教授(内科学)、幹事に勝沼晴雄東京大学医学部教授(公衆衛生学)、委員に山本正東京大学伝染病研究所教授、斉藤守東京大学医学部助教授(病理学)、大八木義彦東京教育大学教授(分析化学)のほか、同月12 日の第2 回水俣病総合調査研究連絡協議会で「有毒アミン説」を発表した清浦雷作教授と戸木田菊次東邦大学教授(薬理学)らも加わった。
熊本大学医学部も参加を要請されたが、世良完介医学部長(法医学)はこれを断り、昭和36(1961)年に医学部長が忽那将愛教授(くつな・まさちか)(解剖学)に代わってから参加するようになった。

http://www.nimd.go.jp/syakai/webversion/pdfversion/houkokushopdf.html

原因についてはさまざまな説があり、いまだ確定していないという委員会の主張がそのままマスコミによって報道され、 有機水銀説を相対化させ、原因は未解決という印象を与えることになった。この点で、日化協の田宮委員会が水俣病の原因究明を後退させた影響は大きく、 新潟における第二水俣病の発生を許す一因にもなったと考えられている。
http://www.supercourse-japan.org/lecture/other/Minamata3/10.html

これは過去に現実に起こったこと、本当にあったことだよ、日本の医学界の代表、学会のトップの東京大学だよ、

みんな全員うそつきなんだよ。マスコミも連動してうそつきだよ。

今起こっている福島原発問題、子供たちの被曝線量の安全安心のうそ発表を、これでもまだあなたは、信じるの?

資金をかき集めて、東京に避難しろ、東電に行って補償金をふんだくれ、金が出来たらさらに遠方に疎開しろ、それからゆっくり今後の仕事や学校のことをのんびり考えろ、人生は長い慌てることはない、ただ子供の健康にだけ気をつけろ、まだ子供を作る気なら、自分の健康も注意しろ、私からは以上だ。(以上転載)


#福島 #原発 #4号機 核燃料飛散し東京も避難必要か\x{2049}字幕

◆小出裕章ジャーナル~第43回【トリチウム79万ベクレル検出】 福一、汚染水問題の今後 2013/11/02


小出裕章先生:事態はどんどん悪い方向に行っているわけですから「福島の重荷」を背負っていくしかない

水俣病では、海洋汚染のメチル水銀によって人々は神経細胞が冒された!1942年には水俣病の患者はいた!!

国も期待していたのでは?
1931年、水俣工場を昭和天皇が臨幸(11月16日)
昭和天皇は、チッソ水俣工場を昭和六年と昭和24年に訪問あそばされました。孫はチッソの経営者の孫娘と結婚しました。
チッソは、戦前国策会社の一つだった。

水俣病ビデオQ&A(1996年)


「水俣病の大なる原因は人を人としてあつかわなかったこと」-原田正純先生をしのぶ


・・・・・・・・・・
見舞客を笑顔で迎え、亡くなる2週間には、原田先生が胎児性水俣病患者に深くかかわるきかっけとなった人物・金子スミ子さん(81)との面会も実現し、感謝の気持ちを伝えたそうだ。スミ子さんとの出会いは60年代の水俣にさかのぼる。

ある日、原田先生は、縁側で遊んでいる兄弟の症状が全く同じことにきづき、母親のスミ子さんに、二人とも水俣病なのかと聞いた。すると「お兄ちゃんは水俣病だけど、弟は違う」という。

どうしてかたずねると、「先生たちがそういっているじゃないですか」といわれた。兄のほうは魚を食べて発病したから水俣病だが、弟のほうは生まれたときから病状があったから水俣病ではないという。

母親は続けて、「先生たちは魚を食べないと水俣病にならないといっているけど、私はそう思っていない」というのだ。夫も長男も発病し、同じものを食べていた自分がうんだ下の子は、うまれながらに障害をもっている。自分に症状がみられないのは、体内の水銀がおなかの子どもにいったのではないかと。

当時の医学では、「胎盤は毒物をとおさない」が定説だったが、原田先生はスミ子さんの言葉を聞き流さなかった。このことは後に、国に胎児性水俣病患者を認めさせることにつながった。


水俣病と生きる1-6 医師・原田正純の50年 ドキュメンタリー番組

水俣病患者が自らの悩みを語る!!
水俣病と生きる2-6 医師・原田正純の50年 ドキュメンタリー番組


ハバロフスク軍事裁判!!

「スミルノフは公開裁判で731部隊の行為を明らかにし、アメリカ主導で行われた東京裁判の不完全さに世界の目を向けようとしたのである。」
・・・・起訴状朗読をもって審理に入った。
「起訴状―多年にわたり帝国主義日本は極東における侵略の主なる根源地であった。
日本の参謀本部及び陸軍省は日本の有名な細菌戦提唱者石井四郎を長とし・・・」
-起訴状には細菌戦部隊の罪が列挙されている。
・細菌戦を準備した罪。
・生きた人間を実験に使用した人道上の罪。
・中国で細菌兵器を実際に使用した罪。
・ソビエトに対して戦争を準備した罪。
ソビエトは、細菌戦部隊にかかわった個人としての責任を問い、さらには日本の戦争責任を追及しようとした。
「強制感染によって数千人の囚人を殺戮するごとき、あらゆる凶悪な行為をあえてなしたことが判明した。」
起訴状を書き上げるのに元になった内務省の捜査記録、この中には100人以上の証人の証言や被告たちの尋問調書が含まれている。
(プライム10「731細菌戦部隊」より)


アメリカは細菌戦のデータを独占し、天皇と731部隊員を裁かなかった!!アメリカにも大きな責任がある!!
ニュルンベルグ裁判では、非人道的な実験をした医師を裁いた!!
医者裁判



日本政府は、過去の日本軍の忌まわしい史実を教科書から消し去っている!!
人体実験被害者、細菌戦被害者の悲鳴が聞こえませんか?

戦後マッカーサーと昭和天皇の極秘会談は11回行われ、その中で沖縄や731のことも話し合われたのだろう。GⅡと731部隊幹部との話し合いは鎌倉で行われ、731部隊員の戦犯免責と引き換えにアメリカに情報を提供するということで合意した。
東京裁判では、天皇と731部隊員は戦争犯罪人から外されたが、その人たちの行った中国をはじめとするアジアでの加害行為は、消し去ることはできず、子々孫々まで語り継がれるだろう!!
今の安倍自民は、過去の史実をことごとく消し去ろうと必死になっている!!

「731部隊展開催20周年記念シンポジウム」


731細菌戦部隊 1(前編:プライム10) よりの書き起こし
現代史スクープ・ドキュメント
731細菌戦部隊 前編(1992年)
・・・私達は、この文書館で旧日本軍の細菌戦部隊、731部隊の膨大な報告書を発見した。
2000ページに及ぶ細菌の感染実験のデータ並びにアメリカの科学者による731部隊の調査報告書である。
細菌を使った感染実験のデータ。
実験材料として使用されたのは、400体以上の人間である。
報告書には、実験に使われた細菌の種類、そしてアメリカの調査に協力した日本人研究者の名前が列挙されている。
石井四郎、731部隊部隊長である。
甲状腺、肝臓、リンパ節、脊髄、肺。
実験材料にされた人体はすべて解剖され、あらゆる臓器、器官がつぶさに観察されている。
前編・後編全文を読みたい人は「ノブのノート」で

・・・・・
現代史スクープドキュメント
(1992年放送、NHK[プライム10 731細菌戦部隊後編〕より)
・・ しかし、その政治性ゆえに、ハバロフスク軍事裁判は黙殺され、幻の裁判として忘れ去られていく運命をたどったのである。

こうして米ソ対立のはざまで日本の細菌戦部隊が行った人体実験の罪は闇に葬り去られた。

当事者である日本はその責任を自ら問うことなく半世紀が過ぎようとしている。

前編・後編全文を読みたい人は「ノブのノート」で

しかし、帰国の直前、そのうちの1人が世を去った。
元731部隊第4部課長(細菌培養課課長)、柄沢十三夫。彼は自らその命を絶ったのである。
「彼は恩赦になると知っていました。日本に帰れたのです。ところがそのことを知っていながら、ある夜、彼は自殺することに決めた。これが、私の知っている全てです。日本に戻ることができない訳が何かあったのだろう。私達は、そう噂しあいました。」
村はずれの墓地。ここには収容所で死んでいった人が葬られている。この墓地の一画に柄沢が眠っていた。
柄沢はソビエトに抑留されていた細菌戦部隊員の中で人体実験の事実を最初に認めた1人である。
告白を始めるとき、柄沢はその心境をこう語っている・
「このことは、いずれ誰かが語らなければならないと思って、苦しい思いをしてきた。今、私は、医者としての良心をかけて、すべてを話そう。」











良心の呵責を起こし、苦しんで自決したのは柄沢だけではない!!
優秀な医学者の中には、自分の犯した罪に苦しみ、自決した人もいた!!【詳しくは『細菌戦部隊と自決した2人の医学者』(常石敬一・朝野富三著、新潮社)をお読みください!!】


天皇はもちろん731部隊の人体実験を知っていただろう!!
(3:30あたりから)

UNIT3
・・・・
日本の防衛庁資料室で見つかった記録によると、731部隊は天皇の裁可によって設立されたということが明らかになりました。
この書類には天皇の印章が押されてあったのです。また、天皇の弟の三笠宮は平房を訪れていたことがわかりました。
部隊のカメラマンだった山下氏です。
「当時の貴族はみな軍人になっていました。ときどき、我々の部隊にもそういう方々がやって来ました。私は三笠宮のご訪問を特によく覚えています。私が彼の写真を撮ったのですが、太陽がメガネに反射して目がよくわからなくなってしまったのです。石井隊長は関東軍の科学のメッカたる我が部隊の写真班としては科学的にこれを修正する方法があるはずだと言って、すぐに修正するように迫りました。そんなことがあったので、私は三笠宮の来訪をはっきりと覚えています。」
それどころか、天皇自身も平房での研究が最盛期であった1939年に満州に少なくとも1度は行っています。しかし天皇は人体実験について知っていたのでしょうか。
「日本の制度として主要な研究の報告書は、組織内のすべての人に回覧されることになっており、その流れが途中で止まることは考えられません。私の考えでは、あのように重要な情報が天皇に届いていなかったと考えるのは馬鹿げていると思います。」・・・・・


unit 731 3

2013年 731部隊シンポジウム1  単長清女史(陳列館書記)、


2013年   731部隊シンポジウム 2  張可偉氏(731部隊被害



731部隊は中国各地で細菌戦を行った!!

2013年 731部隊シンポジウム3 李宏華氏、易友喜氏(常徳細菌戦被害者)









2013年 731部隊シンポジウム 4 山田朗氏(明治大学教授、登戸研究所資料館館長)


2013年 731部隊シンポジウム5  吉中丈志氏(京都民医連中央病院院長)



2013年 731部隊シンポジウム 6 奈須重雄氏(細菌戦資料センター理事)、伊勢弘志氏(明治大学講師)
井本熊男

・・・・\x{25fe}1940年(昭和15年)秋:細菌作戦の責任者である井本の日誌によると731部隊航空班はペスト菌(に感染したノミ)を航空機によって中国浙江省の衢県、寧波、金華、玉山に投下して多くの死者を出した。爆弾を落とすようにスイッチを押すと飛行機の前後が空いて風圧でノミが噴出する仕組みであった。一方、新京には地上にて散布し大量の死者を出した。
・・・
三、一九四一年の細菌戦に関する井本日誌
以下に引用する一九四一年の井本日誌から、日本軍が常徳に対して本件細菌戦を行っていたことは明らかである。


2、一九四一年一一月二五日の井本日誌

次の一一月二五日の日誌は、常徳における細菌戦に関して、井本が支那派遣軍参謀の長尾正夫から受けた報告の内容を記載したものである。

次頁の記載のとおり、一九四一年一一月四日、日本軍は、湖南省の常徳市に対し、細菌戦を実行した。この内容については、前記第二章で述べた(五一頁参照)。

日誌から、実行者(七三一部隊の増田美保)、攻撃機の型式や攻撃時間、投下時の高度、さらにペスト感染ノミを飛行機の機体の下に取り付けられた函に入れ、その函のフタを開けて投下させる方法をとったこと等がわかる。

「アワ36㎏」とは、ペスト感染ノミ三六キログラムのことで、これが常徳に撒布された。

しかも、細菌戦実行後の常徳のペスト流行の報告がなされている。

┌─────────────────────────────────┐

│一、長尾〔正夫支那派遣軍〕参謀ヨリホ号ノ件 │

│ 4/11朝目的方向ノ天候良好ノ報ニ接シ97軽一キ出発〔以下四字分抹消│

│   〇五三〇出発 〇六五〇到着 │

│ 霧深シ H〔高度〕ヲ落トシテ捜索、H800附近ニ層雲アリシ為一〇〇〇│

│m以下ニテ実施ス(増田少佐操縦、片方ノ開函不十分 洞庭湖上ニ函ヲ落│

│ス  │

│ アワ36kg、其後島村参謀捜索シアリ。 │

│ 6/11 常徳附近ニ中毒流行(日本軍ハ飛行機一キニテ常徳附近ニ撒布│

│セリ、之ニ触レタル者ハ猛烈ナル中毒ヲ起ス) │

│ 20/11頃猛烈ナル「ペスト」流行、各戦区ヨリ衛生材料ヲ集収シアリ │

│     判決 │

│ 「命中スレハ発病ハ確実」  │

│          〔一九四一年一一月二五日付「井本日誌」一四巻〕│

└─────────────────────────────────┘


米国陸軍感染症研究所
生物兵器被害者医療管理ハンドブック(抄訳)

・・・・1937年には日本軍が生物戦計画を始め、満州国奉天近郊に731部隊と呼ばれる研究施設を設立した。石井部隊は1945年まで研究を続け、施設は焼き払われた。部隊は多くの菌を研究し、戦争捕虜に人体実験をおこなったことが戦後判明した。1000体近くの人体実験がなされ、多くは炭疸吸入によって死亡している。3000人にのぼる中国人がここで犠牲となった。さらに、飛行機からペストに汚染したのみを散布し、中国、満州にペストの流行を引き起こした。日本軍は、爆弾用として、400㎏の炭疸菌のストックを持っていたと言われる。・・・・


731細菌戦部隊 1(前編:プライム10)

闇に消えた虐殺ー731部隊 1

731部隊からフクシマまで、日本医学界は何の反省も無く医療が続けられている!!

日中戦争の最中、国家総動員法が施行され、医学界から多くの優秀な人材が731部隊にも行った。そこで人体実験を繰り返しながら、細菌兵器の開発を進め、中国各地で細菌戦を行い、多くの中国人や日本人にも被害を出した!!敗戦直前に、天皇の責任が問われないよう証拠湮滅のため部隊は破壊され、部隊員はいち早く日本へ帰国した。上級幹部は、アメリカに研究データを引き渡し、戦犯免責を受け、アメリカの細菌兵器開発に協力し、東京裁判にはかけられなかった。

1945年8月6日や9日の原爆投下後の被爆調査には、医学者が動員され、天皇制護持するためのカードとして、アメリカの喜ぶような原爆の威力を示す被害調査が行われ、患者の治療はほとんどされなかった。8月のうだるような暑さの中での原爆投下の惨状は、本当に生き地獄であった!!
医学者たちは、被害調査に没頭し、ほとんど被爆者の医療がなされていないとは驚きだ!!
その中で、治療とは関係ない人体実験が行われ、もしかしたら生体解剖もされていたのではないかと疑ってしまう!!
また、731部隊上級研究員たちは、医学界で出世し、重要なポストに坐ったため、731部隊の非人道的な行為は反省も謝罪もされなかった。 戦後も、人体実験が行われ、それが世間に知られるようになると、社会問題になることもあった。
1954年の水爆実験では、元731部隊員の宮川正が被曝した漁船800隻のうちの1隻「第5福竜丸」だけを問題視し、放射能の影響を過小評価した。
また、
水俣病では、田宮委員会が、水俣病をもみ消し走った。
昭和35年に入り、医学者は水俣病の発生は止んだと発表した。こうして患者は、以後10年まったく忘れ去られた!!
(20:40あたりから)福島原発事故を想起させる!
水俣病=その20年=

「薬害エイズ事件」では、元731部隊員内藤良一の設立したミドリ十字が問題となった。


今回の福島第一原発の事故も、健康被害の調査は表面上は行われているが、治療は行われていないのではないか?
長崎大学の山下俊一を福島県立医大の副学長として派遣し、とんでも発言を繰り返し、問題を起こしている。


全文を読みたい人は「ノブのノート」で

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