吸血鬼は生前人間であったときと同様、体内のエネルギー源を熱に変換して生きている――そのために、彼らは酸素を必要とする。それも基礎代謝率が桁違いに上がっているために、生身のときの数倍の量の酸素を必要とするのだ。
だがその一方で、人間が吸血鬼になっても血液量そのものはさほど変わらない――ではなにが違うのかというと、血中で酸素の運搬を行うヘモグロビンの量と能力が違うのだ。
これが彼であれば、大量の血を失っても周囲に存在する大気魔力を自身の活力に転化することで補うことが出来る――が、下位の吸血鬼ではそうもいかない。そして血液量そのものは変わらない以上、出血による損耗は生身の人間よりも吸血鬼のほうがよほど深刻なのだ。彼ら下級の吸血鬼は、大気魔力を取り込んで自分の活力に転化する能力を持たない――代わりに吸血によって出血や消耗を補うことは出来るが、ここには血を吸う相手はいない。体力低下や出血を補う手段が無い以上、待っているのは死だけだ。
吸血鬼の強靭な生命力は呼吸が封じられた状態でも男を生かし続け、その状態でもなお意識は保っているのだろう、男は瞳に恐怖を湛えてこちらを見つめている。だがそれだけだ――呼吸器系が破壊されている以上、もはや助かる可能性は無い。体内から血液が失われ、やがて死ぬだけだ。
血管の収縮で血は止まっているものの腕の組織の再建はまだ始まっていないらしく、左腕は切断面から肉と骨が剥き出しになっていた。
もっとも、左腕切断に内臓破裂、肺の損傷と満身創痍の状態では、腕の切断面の修復は後回しになっているのかもしれない。吸血鬼の自己復元能力は、生命維持に不可欠な器官から優先して治そうとする傾向がある。
もっとも、もはやそれも不可能だ――吸血鬼は大量出血やガス交換器の損傷など、生命維持にかかわる甚大なダメージの治癒に、人血の摂取を必要とする。力尽きる前に人血を摂れなければ、力を使い果たしていずれ死ぬ。
こいつはこれでいい、次は――
胸中でつぶやいて、彼は手にした霊体武装を肩越しに突き出した。
背後から襲いかかってきていた噛まれ者 が、肩口を貫かれて絶叫をあげる。
ふん――やはり気配だけを頼りにするとこんなものか。今ので心臓をえぐり出してやるつもりだったんだがな。
胸中でつぶやいて――振り返りざまに繰り出した横蹴りが、肩口に霊体武装の鋒を突き込まれたまま泣き叫んでいた噛まれ者 の胸元に撃ち込まれた。
そのまま壁に叩きつけられた噛まれ者 の胸骨と肋骨が蹴り足と壁でサンドイッチされ、ぼきぼきと音を立てて景気良く折れる感触が踵を通して伝わってくる。
おそらく折れた肋骨が肺に突き刺さったからだろう、噛まれ者 が大きく開けた口から悲鳴の代わりに大量の血の泡を吐き出す――彼は一瞬ののち、壁に叩きつけられた体勢から復帰するいとまも与えずに片手で繰り出した袈裟掛けの一撃で、香港人の男の肩を背後のコンクリート製の壁ごと斜めに叩き割った。
意外とタフらしくまだ消滅しない噛まれ者 の額に、サプレッサーをつけたままの自動拳銃の銃口を押し当てる。
「じゃあな」 口元をゆがめてかすかな笑みを刻み――別離の言葉とともに、九ミリ口径の彼はトリガーを引いた。
対吸血鬼用の特殊なフランビジリティーの弾頭が頭蓋骨を粉砕して脳髄を攪拌し――脳を完全に破壊された吸血鬼の肉体が崩壊して、塵と化して消えて失せる。
あとは 、そこの死体の処理を ――
胸中でつぶやいて視線を転じ――彼は右腕の下膊を鎧う手甲の裏側に仕込んだ樹脂 製の鞘 から抜き取った柳の葉の様な形状の短剣を振り返りざまに投げ放った。悪魔の外殻から削り出されて造られた投擲用の短剣――肺潰し が眉間に突き刺さり、ちょうど喰屍鬼 として蘇生しつつあった女性ふたりの遺体が霊体構造 を破壊されてそのまま塵に変わって崩れ散る。
「……許せ」
カランカランと音を立てて床の上で跳ね回る肺潰し から視線をはずし、アルカードは再び壁に磔にした下僕 へと視線を向けた。
「……ほう」
吸血鬼の首を貫き、その体を壁に縫い止めていたアイアンのシャフトが無くなっている――シャフトによって壁に磔にされていた、下僕 の姿も消えている。
「……しぶといな」
胸中でつぶやいて、彼はビルの奥へと視線を転じた。おびただしい血痕が、視線の先へと続いている。
廃ビルの中に入ったら、四体の喰屍鬼 と三人の吸血鬼 がいた――『クトゥルク』の下僕 はこの男だけで、残りのふたりは噛まれ者 だったため、重要なのはこの男だけだと判断して、とりあえず残りのふたりと喰屍鬼 を殺したのだ。
まだ動けたというのは予想外だったが――
足元に転がっていたアイアンのヘッドを適当に廊下の隅へと蹴飛ばして、彼は結婚をたどって歩き始めた。
奥に人間がいるのか……? そんな気配は感じられないが。
『クトゥルク』の下僕 は吸血鬼に血を吸われたという出自こそ持たないものの、性質そのものは噛まれ者 とほぼ共通している――日光を忌避し、能力は上位個体の強さと本人の適性で決まり、吸血を必要としてそれを怠ると狂い死ぬ。
数少ない両者の相違点のひとつであり、そして下僕 を下僕 たらしめるのが、下僕 は上位個体である『クトゥルク』に魂を取り込まれているという点だった――生命体を構成するみっつの本質的要素のうちひとつが肉体の内部に存在していないために、下僕 は同程度の能力を持つ噛まれ者 と比較して肉体的にかなりしぶとい。
無論先ほど磔にしたあの吸血鬼 にそうした様に、徹底的に痛めつければいずれは死ぬ――だが同程度の能力を持つ普通の吸血鬼 であれば、あそこまで痛めつけられればとうに死んでいるだろう。同程度の能力を持つ噛まれ者 と比較して特段高い身体能力や魔力を持っているわけではないが、彼ら に比べて非常にタフなのだ。
その一方で、下僕 は上位個体に取り込まれた魂を補うために『クトゥルク』から魔力供給を受けて生きている――彼ら下僕 が噛まれ者 に比べてしぶといのはそのためで、普通の吸血鬼 ならば死ぬ様な重傷であってもかなり長く生き延びる。
そしてもうひとつの特徴が、上位個体である『クトゥルク』の死亡によって下僕 も死んでしまうことだった。『クトゥルク』に取り上げられ取り込まれた下僕 の魂は、彼らの上位個体である『クトゥルク』が死んだ際に下僕 の肉体に戻らない。そのうえでその欠損を補うための魔力供給が途切れれば、下僕 は即座に死んでしまう。下僕 にとって『クトゥルク』の死は、自分の死と同義なのだと言える。
ゆえに下僕 となった吸血鬼は、本人が望むと望まざるとにかかわらず上位個体である『クトゥルク』を守らなければならない――上位個体である『クトゥルク』が生きてさえいれば、その下位個体である下僕 たちは普通の吸血鬼よりも優位な条件で生きていられるからだ。
だが――もちろん、上位個体である『クトゥルク』が生きてさえいれば下僕 が死なないというわけではない。
歩を止めないまま、先ほど頭蓋を踏み砕いた噛まれ者 の首を霊体武装の鋒で刎ね飛ばしてとどめを刺す。続いて床の上に転がった肺潰し を拾い上げ、彼は投擲用の柳葉型の短剣を装甲の隙間に仕込んだ樹脂 製の鞘 に叩き込んだ。
おそらくあの男は、助けを求めて仲間のところに向かうだろう。
この廃ビルの玄関で始末した噛まれ者 、それに先ほど殺した噛まれ者 ふたりの誰かひとりでもあの男以外の下僕 の吸血によって吸血鬼と化していたのなら、今更隠匿するまでなく彼の侵入は露顕している――噛まれて吸血鬼化した犠牲者は自分を噛んだ吸血鬼 と精神がつながっていて、自分の配下の噛まれ者 が死ぬと上位個体はすぐにそれとわかるのだ。
個体識別も可能だから、一番最初に殺した個体も含む三体の噛まれ者 の上位個体があの男でなかった場合、上の階にいる上位個体には彼が噛まれ者 三人を殺したことは露顕していることになる――少なくともその前提で行動しなければならない。
ならば、もはや隠密接敵 にこだわる意味も無い――蛞蝓の這った跡を思わせる血の跡をたどって階段室に踏み込みながら、彼はかすかに笑った。
あの男は最短距離で仲間のところに逃げ込むだろう――仲間に迎撃準備を整える時間を与えるために廻り道をする様な余裕はあるまい。
ならばあれについていったほうが早い――あれが道案内をしてくれるだろう。
さらに、あれの惨状を見れば『クトゥルク』の手下たちは戦力を集中して守りを固めるはずだ――彼らは彼が誰かを を知っている。戦力の分散などなんの意味も無いことも理解出来ているだろう――彼としても分散した敵を部屋から部屋へとめぐって殺して回るより、一網打尽にしたほうが効率がいい。
そして戦力が集中していたほうが、効果的な攻め手というのはあるものだ。
急ぐとしよう――敵が完全に迎撃態勢を整える前に踏み込まなければならない。理想的には敵が戦力をひと部屋に集中し、かつ状況が完全に把握出来ていない状態のときに襲うことだ。
奇襲を成功させる鉄則は常にひとつだ――敵を混乱に陥れながら、自分は冷静であること。
懐に手を入れて、装備 ベストのグレネードポーチに収められていた閃光音響手榴弾 を掴み出す。
デフテックNo.25ディストラクション・ディヴァイス――室内制圧作戦に用いられるスプレー缶に似た形状の非殺傷手榴弾を手の中で弄びながら、彼はゆっくりと笑った――人間相手でも怪物相手でも、こういうものはたいてい有用だ。
男に焦燥感を与えて冷静な判断を封じるためにわざと聞こえる様に足音を響かせ、男に遅れて階段を昇っていく――どのみち彼の身を鎧う重装甲冑は、足音を殺して歩くには向いていない。
その間に、彼は攻撃の手順を頭の中で組み立てていった。
強襲制圧 は、苛烈、そして迅速 に行われなければならない。
さて――少しは楽しめればいいんだがな。
かすかなつぶやきを漏らして、彼は階段を折り返して次の階段の一段目に足をかけた。
だがその一方で、人間が吸血鬼になっても血液量そのものはさほど変わらない――ではなにが違うのかというと、血中で酸素の運搬を行うヘモグロビンの量と能力が違うのだ。
これが彼であれば、大量の血を失っても周囲に存在する大気魔力を自身の活力に転化することで補うことが出来る――が、下位の吸血鬼ではそうもいかない。そして血液量そのものは変わらない以上、出血による損耗は生身の人間よりも吸血鬼のほうがよほど深刻なのだ。彼ら下級の吸血鬼は、大気魔力を取り込んで自分の活力に転化する能力を持たない――代わりに吸血によって出血や消耗を補うことは出来るが、ここには血を吸う相手はいない。体力低下や出血を補う手段が無い以上、待っているのは死だけだ。
吸血鬼の強靭な生命力は呼吸が封じられた状態でも男を生かし続け、その状態でもなお意識は保っているのだろう、男は瞳に恐怖を湛えてこちらを見つめている。だがそれだけだ――呼吸器系が破壊されている以上、もはや助かる可能性は無い。体内から血液が失われ、やがて死ぬだけだ。
血管の収縮で血は止まっているものの腕の組織の再建はまだ始まっていないらしく、左腕は切断面から肉と骨が剥き出しになっていた。
もっとも、左腕切断に内臓破裂、肺の損傷と満身創痍の状態では、腕の切断面の修復は後回しになっているのかもしれない。吸血鬼の自己復元能力は、生命維持に不可欠な器官から優先して治そうとする傾向がある。
もっとも、もはやそれも不可能だ――吸血鬼は大量出血やガス交換器の損傷など、生命維持にかかわる甚大なダメージの治癒に、人血の摂取を必要とする。力尽きる前に人血を摂れなければ、力を使い果たしていずれ死ぬ。
こいつはこれでいい、次は――
胸中でつぶやいて、彼は手にした霊体武装を肩越しに突き出した。
背後から襲いかかってきていた
ふん――やはり気配だけを頼りにするとこんなものか。今ので心臓をえぐり出してやるつもりだったんだがな。
胸中でつぶやいて――振り返りざまに繰り出した横蹴りが、肩口に霊体武装の鋒を突き込まれたまま泣き叫んでいた
そのまま壁に叩きつけられた
おそらく折れた肋骨が肺に突き刺さったからだろう、
意外とタフらしくまだ消滅しない
「じゃあな」 口元をゆがめてかすかな笑みを刻み――別離の言葉とともに、九ミリ口径の彼はトリガーを引いた。
対吸血鬼用の特殊なフランビジリティーの弾頭が頭蓋骨を粉砕して脳髄を攪拌し――脳を完全に破壊された吸血鬼の肉体が崩壊して、塵と化して消えて失せる。
胸中でつぶやいて視線を転じ――彼は右腕の下膊を鎧う手甲の裏側に仕込んだ
「……許せ」
カランカランと音を立てて床の上で跳ね回る
「……ほう」
吸血鬼の首を貫き、その体を壁に縫い止めていたアイアンのシャフトが無くなっている――シャフトによって壁に磔にされていた、
「……しぶといな」
胸中でつぶやいて、彼はビルの奥へと視線を転じた。おびただしい血痕が、視線の先へと続いている。
廃ビルの中に入ったら、四体の
まだ動けたというのは予想外だったが――
足元に転がっていたアイアンのヘッドを適当に廊下の隅へと蹴飛ばして、彼は結婚をたどって歩き始めた。
奥に人間がいるのか……? そんな気配は感じられないが。
『クトゥルク』の
数少ない両者の相違点のひとつであり、そして
無論先ほど磔にしたあの
その一方で、
そしてもうひとつの特徴が、上位個体である『クトゥルク』の死亡によって
ゆえに
だが――もちろん、上位個体である『クトゥルク』が生きてさえいれば
歩を止めないまま、先ほど頭蓋を踏み砕いた
おそらくあの男は、助けを求めて仲間のところに向かうだろう。
この廃ビルの玄関で始末した
個体識別も可能だから、一番最初に殺した個体も含む三体の
ならば、もはや
あの男は最短距離で仲間のところに逃げ込むだろう――仲間に迎撃準備を整える時間を与えるために廻り道をする様な余裕はあるまい。
ならばあれについていったほうが早い――あれが道案内をしてくれるだろう。
さらに、あれの惨状を見れば『クトゥルク』の手下たちは戦力を集中して守りを固めるはずだ――彼らは
そして戦力が集中していたほうが、効果的な攻め手というのはあるものだ。
急ぐとしよう――敵が完全に迎撃態勢を整える前に踏み込まなければならない。理想的には敵が戦力をひと部屋に集中し、かつ状況が完全に把握出来ていない状態のときに襲うことだ。
奇襲を成功させる鉄則は常にひとつだ――敵を混乱に陥れながら、自分は冷静であること。
懐に手を入れて、
デフテックNo.25ディストラクション・ディヴァイス――室内制圧作戦に用いられるスプレー缶に似た形状の非殺傷手榴弾を手の中で弄びながら、彼はゆっくりと笑った――人間相手でも怪物相手でも、こういうものはたいてい有用だ。
男に焦燥感を与えて冷静な判断を封じるためにわざと聞こえる様に足音を響かせ、男に遅れて階段を昇っていく――どのみち彼の身を鎧う重装甲冑は、足音を殺して歩くには向いていない。
その間に、彼は攻撃の手順を頭の中で組み立てていった。
さて――少しは楽しめればいいんだがな。
かすかなつぶやきを漏らして、彼は階段を折り返して次の階段の一段目に足をかけた。
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