近代の探検家 = ロバート・ファルコン・スコット・南極探検家 =
~ 南極点到達レースの敗者 / 英国海軍大佐~
南極の発見には諸説あるが、1820年から翌1821年の1月にロシアのファビアン・ベリングスハウゼンとミハイル・ラザレフが南極に到達したことはごく初期の事例に当たる。
1月後にアメリカのジョン・デイビスらが南極大陸初上陸を果たした。
当時、南極の地形は未知であったが、19世紀中ごろにアメリカの海軍士官チャールズ・ウィルクスが自ら行った1839年-1840年の探検結果を元に南極は新大陸であると主張し、後にそれは正しさが証明された。
ジェイムズ・クラーク・ロスは1839年-1843年に航路で南極点到達を目指す探検に挑んだが、失敗した。
南極点への行程を探す最初の試みは、1901年-1904年にディスカヴァリー号探検隊に加わったイギリスの冒険家ロバート・スコットによって行われた。
アーネスト・シャクルトンやエドワード・ウィルソンとともに、出来るかぎり南を目指したスコットは、1902年12月31日に南緯82.16度まで到達したている。
シャクルトンはニムロド号探検隊の隊長として再び南極に挑み、1909年1月9日に南緯88.23度、南極点まであと112マイルというところまでたどり着いたが、引き返さざるを得なくなり涙を呑んだ。
人類初の南極点到達は、1911年12月14日にノルウェーのロアール・アムンセン一行によって成し遂げられた。
アムンセンは南極点にポールハイムというキャンプを張り、南極点周辺の台地を国王ホーコン7世にちなみ「ホーコン7世台地」と命名している。
ロバート・スコットもまたテラノヴァ号探検隊を組んで再び南極大陸に上陸し、南極点を目指していた。
スコットと4人の探検隊が南極点に到達したのは1912年1月17日、アムンセンに遅れる事34日後だった。 そして、帰路 飢餓と極寒の中で彼らは全滅してしまう。
南極点到達はイギリスとスェーデンの国威に関わる競争であった。 両者の争いの詳細は後に話しますが、国の名誉を背負う冒険者の話をしよう。
ロバート・スコット; ート・ファルコン・スコット(Robert Falcon Scott、1868年6月6日 - 1912年3月29日) は イギリス海軍の軍人。
南極探検家としても知られ、1912年に南極点到達を果たすが、帰途遭難し、死亡する。
1868年、醸造業を営むジョン・エドワード・スコットの長男として、誕生。 武人の家系であり、13歳で海軍兵学校に入学する。 15歳で士官候補生となり、1888年、海軍大学を卒業。
1899年、少佐だったスコットは、王立地理学協会による南極探検計画を知り、隊長として参加する事を熱望する。 翌年中佐に昇進し、その任にあたったのです。
1901年から1904年にかけて、第1回南極探検(ディスカバリー号の探検)が行われた。
この際、アーネスト・シャクルトンらと共に南極点到達を目指し、残り733kmの地点まで迫っている。 また、ペンギン生態観察等を行い、南極に関する多くの科学的知見を得て、高い評価を得、帰国と同時に大佐に昇進する。
1908年に、彫刻家のキャサリン・ブルースと結婚。
1909年9月、彼の南極探検計画が発表され、同年12月には自ら予備役に転じ資金調達に奔走する。
前回の南極探検は、国家的プロジェクトだったが、今回の探検はその立案からスコット個人によるところが大きかった。
1910年から1912年にかけて、南極探検(テラ・ノヴァ号の探検)が行われた。 学術調査だけでなく、ノルウェーと人類史上初の南極点到達を競うことになる=アムンゼンとの戦い=が、2着に終わり、さらに帰路1912年3月29日、死去した。 享年43歳。
同年10月に救援隊により遺体が確認され、遺品の一部が回収されたが、遺体は現在も回収されていない。
ロンドンのウォータールー・プレイスには、北極探検の半ばに死亡した、ジョン・フランクリンの銅像と並び立つように、スコットの像が建てられている。
この銅像は、キャサリン夫人が製作したものである。
さて、彼の足跡を追う旅に出よう
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森のなかえ
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