偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏659榛名・磨墨峠(群馬)前鬼・後鬼

2016年05月09日 | 登山

榛名・磨墨峠(するすとうげ) 前鬼(ぜんき)・後鬼(ごき)

【データ】 榛名・磨墨峠 1120メートル▼最寄駅 JR上越線・渋川駅▼登山口 群馬県高崎市榛名湖町の榛名湖▼石仏 磨墨岩基部の洞窟、地図の赤丸印▼地図は国土地理ホームページより


【案内】 前鬼・後鬼は大峯山中で修業中の役小角(えんのおづぬ)の世話をしたという伝承のある家の夫婦の呼称。修験道の奧儀を授ける大峯奥駆けの案内者としてその伝統を守り、末裔という家が奈良県吉野の下北山村に現存することで知られている。役小角が修験道の祖に祀り上げられると、前鬼(義覚)・後鬼(義賢)も小角の脇侍とした三尊形式で、修験のあった各地の山中に造立されていった。 榛名山磨墨岩は相馬山の入り口の磨墨峠にそそり立つ大岩。その基部の洞窟内に祀られた役小角像も三尊形式で、小角の足元に斧を持つ前鬼と水瓶を持ち笈を背負う後鬼が控えている。



 アンヌ・マリ プッシイ氏の「実利行者と大峯山」(注)(実利は木曽御嶽から大峯の前鬼で修業を重ね、那智の滝に捨身した行者)に、前鬼の最後の弟子といわれた大沢円覚行者の「七十五靡・極秘伝」に書かれた前鬼の由来の引用がある。「義覚義賢ハ夫婦ニシテ五人ノ子供アリ(略)両人ハ先祖天乃手力男命ニシテ、大和生駒山ニ住セリヲ役行者ト共ニ国土山岳宗教開基セリ」。また実利の書「転法輪」には、「義覚義賢は子供を食う鬼として表され、役小角に調伏されて小角の信者となり、左右に離れることなく忠勤するようになった」とある。


 磨墨岩の頂きへは鉄梯子がかかり、岩上に烏天狗、別の岩に「意波羅山」の石塔が立つ。意波羅山は木曽御嶽五神の一柱で、秩父の旧大滝村にある御嶽神社の裏山に鎮座していた神であることは、このブログの意波羅山(埼玉県秩父市)で案内した。
(注)『山岳宗教史研究叢書11 近畿霊山と修験道』昭和53年、名著出版



【独り言】 関東の山にある石造前鬼・後鬼の秀作は、埼玉県奥武蔵の黒滝の奥にある大平山の像=写真上=でしょうか。この像、手の指は4本、足の指は3本、それに表情からして鬼で、造形の美しさに見とれてしまいます。これに対して磨墨岩の鬼=写真下=の指は5本、顔も鬼というより修験者といった風体です。前鬼・後鬼を解説する伝承や文献は古くから今日まで数多くあるようですから、仏像の像容を決める儀軌のようなものもあったのでしょう。斧を持ち立膝の前鬼、水瓶と椀をもち坐る後鬼と、どの山の像も同じ姿で彫られています。そんななか、斧の持ち方が気になりました。斧の刃が上を向いているか、下を向いているかです。大平山のは担いでいるが刃は下向きで、まったくリラックス状態。後鬼は一杯やっているようです。対して磨墨岩の前鬼は立膝で刃は上向きで、休んでいてもすぐ動ける状態です。後鬼は正座する品のある姿でした。こうして見直すと、磨墨岩の前鬼・後鬼が役小角に忠勤するにふさわしい姿に見えてきました。

 


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