偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏658榛名・味噌玉岩(群馬)山の神、鬼面

2016年05月06日 | 登山

榛名・味噌玉岩(みそだまいわ) 山の神(やまのかみ)、鬼面(きめん)

【データ】 味噌玉岩 1047メートル▼最寄駅 JR高崎線・高崎駅▼登山口 群馬県高崎市倉渕町権田の蘭津集落▼石仏 味噌玉岩への道の途中、地図の赤丸印▼地図は国土地理ホームページより



【案内】 味噌玉岩へは倉渕町の蘭津集落から始まるが、登山道の途中を横切る李が嶽林道を利用して登る。登りだしてすぐ出会うのがここに案内する石祠。流れ造りの一般的な石祠である。石祠の室部正面に「山御神 享保八癸卯(1723)」とある。山の神であろう。この榛名山麓を含む群馬北部の山の神は「十二様」が多く、これまでこのブログの雨乞山子持山岩櫃山で案内した。〝山御神〟は初対面である。
 山の神の石造物がいつのころから造立されるようになったかはわからないなか、像容のある山の神については、大護八郎氏の『山の神の像と祭り』で、群馬県白沢村の享保2年(1717)と、同倉渕村(現高崎市倉渕町)の享保12年(1727)があげられている。したがってこの山御神の石祠は古いほうかもしれない。
 側面に「猿谷村 庭床村」とある。二つの村は味噌玉岩山麓の榛名川沿いの集落。屋根両側の妻の部分左右に10センチほどの人面を入れている。左右とも同じ、能の小面のような涼しい表情で角を生やしている。角があるので鬼面とすべきか。


 石祠から味噌玉岩への道は不明瞭になるので、尾根を外さないようわずかな踏み跡をたどるようになる。写真は味噌玉岩山頂と李が嶽。
(注)大護八郎著『山の神の像と祭り』昭和59年、国書刊行会。



【独り言】 鬼面 石祠屋根の両端、妻という部分に鬼のような面を彫りつけるものは、群馬をはじめ長野や山梨でも見かけます。石祠のなかでも流れ造りや入母屋造りの両端、それも江戸時代初期から中期にかけての石祠としては古いものにみられます。これの正式な名称はわかりませんが、中沢厚氏は『山梨県の道祖神』(注)の石祠型道祖神を紹介するなかで、これを「鬼面」としています。屋根の鬼とくれば鬼瓦。屋根、ひいては家を災いから守るのが役目の鬼瓦です。石祠の鬼面も同じ役目なのでしょうが、屋根ではなく妻の部分にあるのが気になります(あきらかに屋根につく鬼面もある)。石祠の小さな部分に彫るので自然にそうなってしまうといえばそれまでですが、木造神殿建築の妻の部分に同じような鬼面をみていますので、これは社殿建築、それも社殿の守護的な意味がこめられた意匠とみました。左右一対なので阿吽の表情かと注意してみていますが、石祠の場合そういうのもあったり、なかったりです。これを調査したものはまだ見ていません。下の写真は群馬県黒保根村(現桐生市)で見た鬼面。

(注)中沢厚著『山梨県の道祖神』昭和45年、有峰書店


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