偏平足

里山の石神・石仏探訪

里山の石神端書120 五輪塔(茨城県つくば市)

2022年09月24日 | 里山石神端書

茨城県つくば市小田・宝篋山登山口の五輪塔

 小田から続いた平坦な道は登り出した先で二俣となり、左に入ると五輪塔に出ます。鎌倉時代後期を代表する大きな五輪塔です。平安時代末期の五輪塔は東国の岩手の平泉町や福島の玉川村にも残っていますが風化が進んでいます。これに対し鎌倉後期の五輪塔の特徴は花崗岩の固い石を使ったものが出できます。小田の五輪塔もその一つでほとんど風化がみられません。これは真言律宗の忍性(1217~1303)に同行した石大工・大蔵派が持ち込んだ技法でした。大蔵派は中国宗より日本に渡り帰化した石大工・伊行末(?~1260)の子孫(伊派)に繋がる石工集団です。


 現地の立つ案内では初めに基礎の部分を褒めたたえています。「基礎は側面を二区に分かち、各々に流麗な格狭間を作る。基礎上面は返花座とし、中心五葉と両端に位一葉ずつの間弁のある単弁蓮華文を各面に彫出する」。
 これと同じ基礎と形の五輪塔が鎌倉の極楽寺にあります。忍性は文永4年(1267)年、時の執権の招請により小田を離れて鎌倉に入ります。住んだ寺が極楽寺。この寺に残る忍性の墓である五輪塔(高さ310センチ)は、高さは異なるものの基礎からすべて小田の五輪塔(高さ276センチ)と同じ形です。


 小田の五輪塔近くには小さな五輪塔がいくつかあります。これがいつの頃のものかはわかりません。
(地図は国土地理院ホームページより)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里山の石神端書119 地蔵菩薩(茨城県つくば市)

2022年09月23日 | 里山石神端書

茨城県つくば市小田・宝篋山登山口の地蔵菩薩


 平日の小田の駐車場は車であふれていました。何か催しでもあるのかなという混み様です。20年ほど前に初めて訪ねたこの小田で、東郷重夫さんという人が一人で宝篋山の登山道を整備しているのに出会い、小田の歴史資料を送っていただいたことを思い出しました。その後登山道が整備された宝篋山には、平日でも登山者が押し寄せるようになったようです。
 800年前の鎌倉時代、この小田で慈善活動をした僧がいました。真言律宗の忍性(1217~1303)です。忍性は奈良西大寺を復興させ、ライ病患者の世話をした叡尊(1201~1290)の弟子。布教のため関東に出たのは建長4年(1252)、宝篋山の麓の小田で10数年活動しています。小田から宝篋山へ登る途中にある極楽寺跡が忍性の寺とされています。
 忍性たちには石工も同行し、五輪塔や宝篋印塔などの石造物も持ち込みました。極楽寺跡の手前に立つ龕に入った地蔵菩薩もその一つとされています。この地蔵は『日本石造美術辞典』(注)から案内します。


「地蔵像の高さ157センチで、円形頭光を薄肉彫し、右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、沓をはく。屋根は低平で、中心に露盤を作り、軒反りは鎌倉後期様式を示し、頂上には相輪の下部破片がのっている。像の両脇に各一行として、「右為法界衆生平等利益也、檀那左衛門尉□□、承応二年(1289)己丑十一月十日造立、勧進仏子阿浄」の刻銘がある。西大寺忍性の開いた三村山関係の遺仏である」。三村山は今の宝篋山です。
(注)川勝政太郎著『日本石造美術辞典』1978年、東京堂出版


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里山の石神端書 長野県小海町小海

2022年09月23日 | 里山石神端書

小海町小海・宿渡のお子安さまの寒の坊

小海町小海・宿渡の坂ノ上銀杏庵の経典供養塔

小海町小海・宿渡愛宕神社の木鼻と海老虹染

小海町小海・笠原路傍の寒の坊

小海町小海・笠原路傍の祠内仏

小海町小海・親沢の馬頭観音

小海町小海・川平路傍の寒の坊


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里山の石神端書118 寒の坊(長野県小海町小海)

2022年09月20日 | 里山石神端書

長野県小海町小海・川平路傍の寒の坊

 小寒から節分までの寒い冬の30日間行う寒念仏、その講の人たちが造立した〝寒の坊〟と呼ばれている石仏は小海町周辺にだけある珍しいもので、このブログの「小海・宿渡のお子安さま」「小海・笠原の寒の坊」で案内しました。この2基の寒の坊の持物は鉦と槌でしたが、川平の寒の坊は風鈴のような鐸と数珠を持つ姿です。
 寒の坊を調査した岡本知彦氏によると、観音風の丸彫りの像容が寒の坊特徴ですが、6臂の持物は念仏に必要な鉦と槌もあれば、鐸を持つのもあります。他に弓・矢・斧など多少の違いがあります。


 川平は親沢川沿いにある小さな集落。橋のたもとに並ぶ石仏のなかに寒の坊が祀られています。頭部は別の石造物で補われ、また風化が進んでいるために寒の坊には見えませんが、合掌する手と鐸と数珠持つ手が確認できます。


 この場所は石造物が集められたようなところで、他に馬頭観音、庚申塔、経典供養塔、それから筆塚もあります。長野は筆塚の多いところです。
(注)岡本知彦著「寒の坊―民衆の手になる観音風寒念仏塔」『日本の石仏』№95、2000年、日本石仏協会
(地図は国土地理院ホームページより)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊藤介二・昭和の石仏写真館(102)板碑

2022年09月19日 | 石仏写真館

板碑(埼玉県飯能市・願成寺)
全景

正嘉2年(1258)

右・貞治5年(1366)

左・永徳2年(1386)右・建長5年(1253)


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里山の石神端書117 馬頭観音(長野県小海町小海)

2022年09月17日 | 里山石神端書

長野県小海町小海・親沢の馬頭観音

 親沢は諏訪神社を中心にした大きな集落です。


 その集落で目につくのが「馬頭尊」の文字塔。これが各屋敷の入口に置かれているのです。


 40センチ前後の船形の石に「馬頭尊」と大きな銘が入り、右側に造立年、左側に造立者が刻された形はみな同じ。造立年は大正、昭和、平成もあり、なかには「種馬金龍号の碑/大正八年」もあります。多いのは大正と昭和初期。
 馬頭観音といえば峠道などに道標や供養などのために造立されてきました。しかし家ごとに立つ「馬頭尊」の造立背景は別の意味がありそうですが、そのような話をきくことはできませんでした。
 参考になるかどうか、明治から大正期にかけての馬産を研究した堀内孝氏の「軍馬改良と名馬の産地」(注)から、明治期の軍馬について簡単に紹介します。
 日清、日露戦争で勝利した日本だったが、軍馬とくに徴発馬は外国の軍馬とは性質、体尺、能力のすべての面で劣っていた。これを憂いた国家は軍馬改良に総力をあげ、馬政局を設立して優良種牡馬の輸入、種馬牧場の全国規模の開設、獣医の教育などに取り組んだ。なかでも種馬場は種牡馬の民間への派遣や貸し付けを業務として、農家にとっては農耕馬とは違う軍馬は高収入の魅力もあったという。この流れのなかで明治39年、小海町の近くの佐久郡三井村にも種馬牧場が開設された。しかし軍馬を主とした日本の戦いかたは、車両運搬が主となった太平洋戦争まで続き、時代遅れとなって多くの徴発馬が戦場に消えていった。
(注)堀内孝著「軍馬改良と名馬の産地-明治期の戦争がもたらした矛盾-」2019年、駿台史學167
(地図は国土地理院ホームページより)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里山の石神端書116 祠内仏(長野県小海町小海)

2022年09月16日 | 里山石神端書

長野県小海町小海・笠原路傍の祠内仏

 笠原集落の先に建つのは諏訪神社。新しい四脚鳥居(両部鳥居)が立派です。広い境内の奥に石祠が並んでいます。聞こえるのは蝉の鳴き声だけ。石段に腰を下ろし、夏草に覆われた神社の境内と鳥居越しに青い山脈を眺めると、一瞬蝉の鳴き声が聞こえなくなったりします。



 神社の手前の道端に2基の石祠が並んでいます。

 これが墓地であれば石祠型墓石としますが、墓地以外にあるときは、仏を安置するお堂であったり、神を祀る石祠ということもあります。いずれにしても内部にある石造物を祠内仏としています。


 スマホカメラで右側の石祠の中を撮影すると、合掌する仏が一尊写りました。石祠型墓石の場合、祠内に納められている石仏は双体像がほとんどです。これは夫婦像と私は見ています。これに対して石祠のお堂の場合は単独の仏菩薩が鎮座しているのがほとんどです。したがって諏訪神社手前の石祠の一つはお堂となります。もう一つ石祠内は撮影不能でした。いつも思うのですが内視鏡のようなカメラがあるといいですね、と思いながらなかなか叶えません。
(地図は国土地理院ホームページより)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里山の石神端書115 寒の坊(長野県小海町小海)

2022年09月13日 | 里山石神端書

長野県小海町小海・笠原路傍の寒の坊

 笠原集落の中心に建つのが東明寺。


 薬師を本尊とし、十二神将があるようですが施錠されていて見ることはできません。寺社の賽銭や宝物をねらう輩が多い昨今、辺鄙な山奥の小社やお堂まで鈎をつけるのは当たり前になってきました。寺の横の屋根が架けられた下に庚申塔と地蔵菩薩が並んでいます。地蔵は六体ですが、5体が同じ造りで別の地蔵を併せて6地蔵となっています。


 寺の手前に馬頭や牛頭観音文字塔が並ぶなかに六臂の寒の坊があります。おかっぱ頭の優しい表情の寒の坊です。寒の坊はこのブログの石神端書112も案内しましたが、長野県の南佐久地方にだけ造立された寒念仏塔です。鉦と槌を持つ丸彫りが特徴です。寒念仏は寒中にお堂を巡り、鉦をたたいて念仏を唱える僧侶の修行です。これが江戸時代には庶民の間にもひろまったようです。
 これを調査した岡本知彦氏の「寒の坊―民衆の手になる観音風寒念仏塔」(注)によると、この地方の寒の坊19基のうち14基が小海町に残っています。
(注)岡本知彦著「寒の坊―民衆の手になる観音風寒念仏塔」『日本の石仏』№95、2000年、日本石仏協会

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊藤介二・昭和の石仏写真館(101)竹寺

2022年09月12日 | 石仏写真館

竹寺(埼玉県飯能市)
庫裏

茅の輪

牛頭天王社

石燈籠

お札


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里山の石神端書114 木鼻と海老虹染(長野県小海町小海)

2022年09月10日 | 登山

長野県小海町小海・宿渡愛宕神社の木鼻と海老虹染


 愛宕神社を勧請した所には二つの傾向があります。一つは集落の西の山に祀り、二つは神社へは急な石段が続く。これに勝軍地蔵が祀られていれば、本山である京都の愛宕神社と同じ形式になります。


 小海の愛宕神社も二つの傾向が当てはまりますが、御本尊は社殿が施錠されていて確認できませんでしたので、木鼻と海老虹梁の動物を案内します。
 木鼻(きばな)は寺社本殿の貫(ぬき)が柱より出ているところで、寺社建築では向拝正面と同じように重要な装飾部分ですから、ここに獅子や象の彫刻がよく見られます。海老虹梁(えびこうりょう)は本殿と向拝を繋ぐ海老のように曲がった梁(はり)で、簡単に曲がった木ですませるところが多いようです。

 小海の愛宕神社の木鼻を見ると、獅子と象がついています。装飾物には程遠いデフォルメというか、余計なものをそぎ落とした素朴な獅子と象になっています。すごいのは木の年輪をうまく利用していて味のある獅子と象になっているところです。

 海老虹梁は龍です。こちらも余計なものはありません。足の爪と鬚が大きいため表情がよくわかりませんが、阿吽になっているのがすごいところです。普通の大工が一生懸命造ったという龍です。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里山の石神端書113 経典供養塔(長野県小海町小海)

2022年09月09日 | 里山石神端書

長野県小海町小海・宿渡の坂ノ上銀杏庵の経典供養塔

 宿渡集落の中心部に坂ノ上銀杏庵という寺があります。


 その墓地の高台に石仏のような石が見えたので登ってみると、馬頭観音が並んでいました。経典供養塔も立っています。石仏は雑草に隠れていたので、持参した鎌で草刈りです。実は、山の石仏探しから里の石仏探訪に変えた昨年秋から、長靴に鎌持参のスタイルにしています。
 この様子を見ていた人がいて、私の行動が怪しげにみえたのでしょう、男性が様子を見に来ました。こちらの趣旨を説明するとご理解いただき、その後はこの寺の墓地のこと、さらに馬頭観音の上の山に祀られている山の神のことなど、貴重なお話を聞くことができました。


 その情報の一つは墓地のなかで一番古いとされている墓石でした。立錐の余地もない墓石のなかを確認すると石祠型墓石でした。この形の墓石は江戸時代初めのものです。もう一つは山の上に祀られている山の神で、男性の家では暮れの30日のこの山の神を家にお迎えしているそうです。

 それで経典供養塔ですが、「(釈迦種字)バク奉眞讀大乗妙典百三十千部為偽二世安楽/寶歴四甲戌天(1754)」と彫られています。2メートルを超える大きな自然石を利用したもの。大乗妙経は法華経の大乗妙典のことでしょか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里山の石神端書112 寒の坊(長野県小海町小海)

2022年09月06日 | 里山石神端書

長野県小海町小海・宿渡お子安さまの寒の坊

 小海地区の寺社を訪ねた最初、お子安さん(子授け子育てのお堂)の入口に並ぶ5基の石造物のなかに、胸から太鼓のような鉦を下げ、右手にバチのような槌を持つ丸彫りの石仏に出会いました。すぐ「寒の坊」だと気づきました。


 これが寒の坊か! 写真では何度も見ていましたが対面するのは初めてでした。
 寒の坊は20数年前の『日本の石仏』(注)に岡本知彦氏が詳しく紹介していたのが印象に残っています。それによると、寒の坊は寒念仏の人たちが建てたいろいろな石造物のなかでも、江戸時代の天明期(1781~89)前後の短い期間南佐久地方にだけ造立された石仏です。特徴の一つは念仏に必要な鉦と槌を持つ6臂の観音風丸彫り像。土地の古老が「かんのぼさま」「かんのばさま」などと呼んでいたところからの名称です。
 宿渡の寒の坊は高さ55センチ。この後訪ねた小海の路傍で何体かの寒の坊に出会いました。



 お子安さまは、山の中腹にある巨石を乳房に見立てて御神体としたものです。
(注)岡本知彦著「寒の坊―民衆の手になる観音風寒念仏塔」『日本の石仏』№95、2000年、日本石仏協会
(地図は国土地理院ホームページより)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里山の石神端書 群馬県下仁田町西牧野

2022年09月06日 | 里山石神端書

下仁田町西牧野・半弓の道祖神

下仁田町西牧野・中野の山の神

下仁田町西牧野・中野の供養塔

下仁田町西牧野・上野の道標

下仁田町西牧野・清水沢百庚申の五神神名塔

下仁田町西牧野・新屋路傍の金剛界五仏庚申塔

下仁田町西牧野・初鳥屋大師堂の弘法大師

下仁田町西牧野・菅倉金毘羅神社の祠内仏


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊藤介二・昭和の石仏写真館(100)能仁寺

2022年09月05日 | 石仏写真館

能仁寺(埼玉県飯能市)




地蔵菩薩

花冠の聖観音

地蔵菩薩

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

屋上菜園2022-09夏終わり

2022年09月04日 | 屋上菜園


雑草に 肥料獲られて 夏野菜
坐骨神経 助けも出来ず

夏野菜 雨風太陽 容赦なく
遮光ネットも 張る力なし

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする